木村一基
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人物
両親は札幌市出身。そのため、帰省の際に出た大会(さっぽろ東急将棋まつり)で屋敷伸之や野月浩貴、金沢孝史とは小学生時代からの顔なじみで奨励会同期でもある[2]。(屋敷だけ2学年上)
昭和学院秀英高等学校(千葉市美浜区)卒[20]。一芸入試枠で入学した亜細亜大学経営学部を1997年3月に5年かけて卒業し、同時にプロとなった[21]。在学中は映画研究会に所属。棋界内の大学の後輩に伊藤真吾[21]、女流棋士の伊藤沙恵がいる[22]。
解説者としては、丁寧でわかりやすく、時にとぼけたり、毒舌を交えたりするという、軽妙でサービス精神旺盛なトークをする。そのため、ニコニコ生放送等で解説を務めた時は度々「解説名人」と呼ばれる。将棋ファンからのあだ名は「かじゅき(又はかじゅっきー)」、「将棋の強いおじさん(又は単におじさん)」。安食総子の「あじあじ」をもじって「おじおじ」とも呼ばれている[23]。(なお、「おじさんは自分で言っちゃいましたからね。おじおじはあんまり……ちょっとなという気もします。まあ言われてしまったものは仕方ないですし、悪い意味でつけてるとも思えませんのでね。」とインタビューで答えている[24]。)
対局中の食事は、バナナ・ヨーグルト・チョコレート・コーラといったもので済ますことが多い。これは本人曰く、普通の食事では満腹感から集中力が低下するためである[25]。また、対局中によく梅のど飴やレモン飴を口に含む[26]。昼食には弁当を持参することが多い。このことについて2019年のインタビューで「娘が中学生になり弁当になった。それで自分もここ2年ばかりは妻の作った弁当を持たされるようになりました。」と語っている[26]。以前は「肉南蛮そば」をよく注文しており、「木村定跡」にも改良が加えられているようである(食事とおやつ 木村一基)。
好きな酒は日本酒(辛口派)とビール[24]。趣味は昼寝である[27]。また、長年ランニングを日課としており「中学時代から体重が1キロも変わらない」とのこと。[28]
佐藤康光に次いで2人目のNHK「将棋講座」講師3回担当者である。(2002年度前期、2012年度秋期[29]、2021年度前期)
対局に関するエピソード
1998年3月30日、村山聖と対局(第39期王位戦挑戦者決定リーグ白組3回戦)して敗れた。村山は当該対局を最後に休場し癌の治療に専念していたが、対局に復帰することなく同年8月8日に29歳で死去。そのため当該対局は結果的に村山の絶局となった。
2008年8月12日、中原誠十六世名人との対局(第58期王将戦二次予選2回戦)で敗れたが、当該対局直後に中原が体調の異変を訴え、病院に緊急搬送される(脳内出血)。以降、中原は休場したが、これによる中原の最初の不戦敗の相手も木村であった(2008年8月21日予定の棋王戦3回戦)。中原は休場のまま2009年3月31日に引退したため、中原の最後の公式戦(休場不戦敗を除く)及び勝局(1308勝目)は、結果的に、前述の木村との対局ということになった。
通算勝率が高いにもかかわらず、和服着用の対局では負けやすいというジンクスがある。2008年の公式戦の限りでも、A級順位戦最終局[注 6]、NHK杯、日本シリーズ、王座戦すべてで負けている。2009年6月19日、棋聖戦五番勝負第2局で羽生善治に勝ち、ついに和服で初勝利。最後、羽生の竜を連続王手の千日手(反則)の筋に誘って受け切るという将棋であった。
注釈
- ^ 2017年度終了現在。ただし、羽生は4回達成。
- ^ 涙を流した様子は、囲碁・将棋ジャーナルで紹介された。
- ^ 羽生善治による史上初の3連勝4連敗での敗戦(竜王戦)からわずか9か月後のことであった。
- ^ 女流棋戦では伊藤沙恵が挑戦8回でタイトル獲得無しを記録している。
- ^ 千駄ヶ谷は日本将棋連盟の東京本部・将棋会館がある場所
- ^ 対戦相手の佐藤康光はスーツであったのに対し、木村はあえて和服で対局に臨んだ。このとき佐藤はA級陥落の瀬戸際にあり、木村の和服着用は、兄弟子である米長邦雄の、いわゆる「米長哲学(理論)」の表れと、テレビ解説の深浦康市はコメントした。尚、木村本人は最終局にA級残留が掛かっていた久保利明が和服で対局に臨むと聞いて便乗したと囲碁・将棋ジャーナルで語った。
- ^ 当時の昇段規定では、竜王戦の規定といえども1年に2つ以上の昇段ができなかったため、六段免状発行から1年経過後の年度始めの日付で七段に昇段した。
出典
- ^ a b “涙ぬぐう「千駄ヶ谷の受け師」46歳、史上最年長で初タイトル”. 読売新聞. (2019年9月27日)
- ^ a b c d “この手だれの手?(完全版) 第39回 ゲスト 木村一基王位(1) | 駒doc.”. komadoc.jugem.jp. 2021年2月2日閲覧。
- ^ a b c 神谷浩司. “木村一基七段に聞く 粘りは最善の頑張り。「これからは、すべて勝ちたい」”. 日本経済新聞社. 2012年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月25日閲覧。
- ^ NHKテレビで解説役の内藤國雄が証言。
- ^ “第14期竜王戦 決勝トーナメント・七番勝負”. www.shogi.or.jp. 2019年1月25日閲覧。
- ^ “第33期 新人王戦”. www.shogi.or.jp. 2019年1月25日閲覧。
- ^ “第18期竜王戦 決勝トーナメント・七番勝負”. www.shogi.or.jp. 2019年1月25日閲覧。
- ^ “第20期竜王戦 決勝トーナメント・七番勝負”. www.shogi.or.jp. 2019年1月25日閲覧。
- ^ “第21期竜王戦 決勝トーナメント・七番勝負”. www.shogi.or.jp. 2019年1月25日閲覧。
- ^ “第56期王座戦挑戦者決定トーナメント/五番勝負”. www.shogi.or.jp. 2019年1月25日閲覧。
- ^ “木村一基八段が九段に昇段|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2019年1月25日閲覧。
- ^ a b “木村一基九段、600勝(将棋栄誉賞)を達成”. www.shogi.or.jp. 日本将棋連盟. 2019年1月25日閲覧。
- ^ a b “木村九段が悲願の初タイトルを獲得”. kifulog.shogi.or.jp (2019年9月26日). 2019年9月26日閲覧。
- ^ “第47回将棋大賞受賞者のお知らせ”. 日本将棋連盟 (2020年4月1日). 2020年4月1日閲覧。
- ^ https://www.shogi.or.jp/news/2019/11/post_1846.html
- ^ “48歳の木村一基九段が王座戦挑決に進出 51歳の佐藤康光九段との大一番に向け「最後のチャンスに」(スポーツ報知)”. スポーツ報知. 2022年1月7日閲覧。
- ^ 『先崎学の実況!盤外戦』(講談社文庫、2006年)pp.54 - 55
- ^ 文字通り「長い日」になったA級順位戦最終戦 その「盤側」と「外の世界」 - 文春オンライン・2020年3月7日
- ^ 別冊宝島440『将棋これも一局読本』(宝島社、1999年)p.119
- ^ “「百折不撓」悲願の王位 四街道出身・木村一基棋士 将棋、最年長46歳で初タイトル ファン応援に感謝”. www.chibanippo.co.jp. 2020年7月15日閲覧。
- ^ a b 「学歴は関係ない」といわれる将棋棋士の学校事情 2013.03.01
- ^ “【web版】 第5期リコー杯女流王座戦挑戦者 伊藤沙恵女流二段インタビュー「個性ある自分の将棋を」”. 将棋情報局. 2021年2月2日閲覧。
- ^ 木村一基新王位、家族への思い聞かれ涙…感謝は「家に帰ってから伝えます」46歳で悲願の初タイトル(AbemaTimes、2019年9月26日)
- ^ a b “この手だれの手?(完全版) 第39回 ゲスト 木村一基王位(3) | 駒doc.”. komadoc.jugem.jp. 2021年2月2日閲覧。
- ^ 2010年5月16日放送の囲碁・将棋ジャーナルでの発言など。
- ^ a b “この手だれの手?(完全版) 第39回 ゲスト 木村一基王位(4) | 駒doc.”. komadoc.jugem.jp. 2021年2月2日閲覧。
- ^ “棋士プロフィール”. 日本たばこ産業 (2012年4月1日). 2012年8月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月10日閲覧。
- ^ “中年の星・木村一基王位、46歳の体力支えるランニング「中学生から体重変わってない」/将棋・第3回AbemaTVトーナメント”. ABEMA TIMES. 2021年10月16日閲覧。
- ^ “「木村一基の初級者でもわかる受けの基本 」”. NHK出版. 2021年3月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月22日閲覧。
- ^ 『近代将棋(1999年7月号)』近代将棋社/国立国会図書館デジタルコレクション、166頁 。
- ^ 開運!なんでも鑑定団 2024年2月6日放送 (テレビ東京)
- ^ 日本放送協会. “過去の放送”. 王手!最後のお願い - NHK. 2020年3月21日閲覧。
固有名詞の分類
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