日露関係史 日露戦争後の関係改善

日露関係史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/17 14:01 UTC 版)

日露戦争後の関係改善

1905年9月のポーツマス条約で日本は満洲におけるロシアの権益を賠償として取得し、ロシアの極東進出は後退を余儀なくされた。またこの条約で南樺太が日本領となる。アメリカはポーツマス条約の仲介により漁夫の利を得て満洲に自らも進出し、極東への影響力強化を企んでいたが、このアメリカの影響力を排除することで日本とロシアは利害が一致し、数度に渡る日露協約を結んで満蒙(南北満洲と蒙古)における両国の権益・勢力範囲を分割した。ロシアとの協約成立は、ロシアの報復を恐れていた日本政府を安堵させるものであった。1906年4月に東京において日露協会が誕生した[8]。また、1906年8月にはロシア国技師のカ・カ・ヨーキシ(ロシア語: К. К. Иокиш)が、清国ハルピンにある所有地及び租借地を外国人、特に日本人へ譲渡したいという書簡を日本側に送り[9]、その後、ハルピンが開市場となって日本とロシアの関係が深まった。

日露戦争後のイギリス・日本とロシアの間の歩み寄りの結果、1907年に第一次日露協約、日露新通商航海条約が結ばれ、1910年に第二次、1912年に第三次が締結されて二国間の相互理解と協力関係が強化された[10]

1908年にはロシアの軍艦が公海で日本の民間船を拿捕するという三重丸事件が起きている。1911年に日米英露の間でオットセイ及びラッコの保護条約である膃肭獣保護条約が結ばれた。

第二次大隈内閣時、1914年7月に始まる第一次世界大戦では共に連合国側に参戦することとなって友好関係が続き、1916年7月に第4次日露協約を結んで、日露両国は極東における相互の特殊権益の擁護を再確認した。ロシア政府の特使として同年1月に大正天皇即位の祝賀を名目に来日したゲオルギー・ミハイロヴィチ大公への返礼として、閑院宮載仁親王一行がロシアを訪問し、皇帝を初め、ロシア皇族・高官らと交歓した。


注釈

  1. ^ 法制上は天皇を国家元首とする明文規定は無いものの、外交慣例上は天皇は国家元首として扱われる。
  2. ^ 歯舞群島のロシア支配を認めていない日本側の見解では実効支配境界線となるが、これが事実上の国境として操業条件などが定められている。
  3. ^ 先に日本とロシアは互いに駐在外交官らを8人ずつペルソナ・ノン・グラータとして国外退去を通告し合う応酬が行われ、関係悪化の一途に在った[22][23]

出典

  1. ^ 大槻 玄沢, 志村 弘強 編 『環海異聞』 雄松堂出版 ISBN 4841900985
  2. ^ a b c d 維新前後の日本とロシア 平岡雅英 1934年
  3. ^ 『サハリン島占領日記1853-54』 (ニコライ・ブッセロシア語版 、東洋文庫)
  4. ^ a b c 日本大百科全書(ニッポニカ) 日露通好条約
  5. ^ コトバンク 樺太千島交換条約
  6. ^ 朝日新聞 大津事件
  7. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 三国干渉
  8. ^ 日露年鑑 P.334 日露貿易通信社 1929年
  9. ^ 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B12082554100、在支帝国専管居留地関係雑件/哈爾賓之部(B-3-12-2-32_14)(外務省外交史料館)」 在支帝国専管居留地関係雑件/哈爾賓之部
  10. ^ 1916年閑院宮載仁親王のロシア訪問―来露100年を記念してセルゲイ・チェルニャフスキー
  11. ^ PESTUSHKO Yuri S.「戦争からシベリア出兵まで : 20世紀初頭における日露関係をどう見るか」『日本文化の解釈 : ロシアと日本からの視点』、国際日本文化研究センター、2009年12月、261-273頁、CRID 1390009224771115648doi:10.15055/00001357 
  12. ^ a b 6.在日本露西亜国民統一会 大正09年08月26日 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B03041012800、在内外協会関係雑件/在内ノ部 第二巻(B-1-3-3-006)(外務省外交史料館)」
  13. ^ 10.浦汐政府対日宣伝開始記事ノ件 自大正九年九月 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B03040651200、新聞雑誌出版物等取締関係雑件 第四巻(B-1-3-1-075)(外務省外交史料館)」
  14. ^ 創価学会公式サイト「SOKAnet:ソ連初代大統領 ミハイル・ゴルバチョフ氏
  15. ^ ロシアNIS貿易会資料より。日本の輸出額は8213億円、ロシアの輸出額は7744億円で、日本の貿易総額に占める比率は日本の輸出・ロシアの輸出(日本の輸入)ともに1.1%。なお、同時期に日本円が対米ドルで6%の円安となっている点に留意する必要がある。
  16. ^ 外務省: 日露首脳会談(於:サハリン)(概要) 外務省 2009年2月18日付
  17. ^ “麻生首相 「北方4島の帰属問題が一番肝心だ」 - MSN産経ニュース”. MSN産経ニュース. (2009年2月19日). https://web.archive.org/web/20090222020930/http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090219/plc0902191242009-n1.htm 
  18. ^ 鳩山元首相が語る、クリミア訪問の真相 西部邁ゼミナール 2015年4月26日放送”. TOKYO MX. 2015年5月6日閲覧。ゲスト:鳩山友紀夫、木村三浩 司会:西部邁 アシスタント:小林麻子
  19. ^ “ロシア、日本と平和条約交渉中断 ビザなし交流停止”. 産経新聞. (2022年3月22日). https://www.sankei.com/article/20220322-TWJALZDUONPV3JZUPSAPUWN3SA/ 2022年3月22日閲覧。 
  20. ^ “ロシア、北方領土交渉の中断発表 ビザなし交流も停止、制裁に反発”. 共同通信社. (2022年3月22日). https://web.archive.org/web/20220321160515/https://nordot.app/878663878986203136 2022年3月22日閲覧。 
  21. ^ “ロシア、日本人63人を入国禁止に 岸田首相ら”. 日本経済新聞. (2022年5月4日). オリジナルの2022年5月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220508091749/https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR042BC0U2A500C2000000/ 2022年5月8日閲覧。 
  22. ^ “ロシア外交官は「ペルソナ・ノン・グラータ」 日本政府が追放決定”. 朝日新聞デジタル. (2022年4月8日). オリジナルの2022年5月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220506130232/https://www.asahi.com/articles/ASQ4865F3Q48UTFK00Y.html 2022年5月8日閲覧。 
  23. ^ “日本人外交官8人を国外追放へ ロシア外務省、日本への対抗措置で”. 朝日新聞デジタル. (2022年4月28日). オリジナルの2022年5月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220506153511/https://www.asahi.com/articles/ASQ4X0CQ1Q4WUHBI041.html 2022年5月8日閲覧。 
  24. ^ (ロシア語)『日本の衆議院議員に対する報復措置に関するロシア外務省声明』(プレスリリース)ロシア外務省、2022年7月15日。 オリジナルの2022年7月15日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20220715135029/https://www.mid.ru/ru/foreign_policy/news/1822249/ 
  25. ^ 北海道沖で確認したロシア艦艇、千葉県沖まで南下 計7隻となり動向警戒”. ライブドアニュース. 2022年6月18日閲覧。
  26. ^ a b 都心に「ソ連領」…ロシア大使館など一等地に - 読売新聞・2014年9月20日
  27. ^ a b えっ、ロシア大使館はまだ「ソ連領」 - FACTA・2009年1月号





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