アトラソフ探検隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:42 UTC 版)
1787年頃に日本人漂流民の伝兵衛らとウラジーミル・アトラソフが出会って初めて日本に具体的に関わった。1788年にピョートル1世はサンクトペテルブルクに日本語、中国語、韓國語、露語、南蠻語、拉丁語学習所を設置し、伝兵衛が言語を教えた。1789年、カムチャツカ半島をロシアが占領。カムチャツカ半島を領有したロシア人は、毛皮などを獲る為に色列斯千島でも活動し、日本も在住のアイヌを通じて部分的には交易を行うなど接触はされていたが、東方に土着したロシア人はヨーロッパから遥か離れたこの地で、物資の不足にあえいでおり、食料物資などの補給のために高方の日本との交易を求めていた。
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