帆船時代の海戦戦術 単縦陣戦法

帆船時代の海戦戦術

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/04 03:40 UTC 版)

単縦陣戦法

17世紀前半の舷側砲の性能向上によって、その火力を他の艦に遮られることなく最大限に発揮するために、艦隊は縦1列に並んで戦うべきであるという結論が導き出された。

単縦陣戦法はイギリス海軍の伝統的な戦法となった。特に1653年に「航海戦闘術」を書いたロバート・ブレイク将軍[注 1]によるところが大きい。最初に文献に残っているのは、やや早く1639年9月18日の戦闘におけるオランダマールテン・トロンプ中将がスペイン軍に対して取った戦法である。この戦法は英蘭戦争では両軍とも用い、「戦闘術」として文書化された。これが17世紀と18世紀の海戦では基本的な戦法となった。

単縦陣戦法で大事なことは船の1隻1隻が十分に強くなければならないことである。旧時代の乱戦の中では小さな船は同じような大きさの船を探して戦うか、あるいは複数で大きな船に戦いを挑むことができた。単縦陣戦法が採用されると海軍は戦列を組める船とそうではない小さな船とを区別し始めた。1660年代に単縦陣戦法が標準的な戦闘隊形として確立されると、商船や軽武装の軍艦は会戦の中での位置付けが無くなっていった。単縦陣戦法では、敵の戦列の対応する艦がいかに強力であったとしても、それに独力で立ち向わねばならない。そうした単縦陣戦法に対応して、独力で戦う十分な戦力を持った船として作られたのが戦列艦である。

風上の重要性

風上をとるということは戦術的に重要なポイントとなった。風上を取った提督は戦闘の主導権を握った。風上を維持することで敵を叩くことも回避することもできた。風下の艦隊はさらに風下に逃げることはできたが、戦いを挑むことは出来なかった。2つの船隊が接近していて風下に向かえば後ろを襲われる危険性が高いような場合は、風下に撤退することすら難しかった。風下にいることの2つめの欠点は、弱風以外の時に接近戦を演じていると、風圧で風下に傾き船底を敵の砲の前にさらけ出してしまうことである。通常は水面下にある船体の一部に穴を空けられれば、逆の傾きになった時に浸水し、さらに沈没さえしてしまう危険性がある。このことは「風と水の間の船殻("hulled between wind and water")」として知られる。もう一つ、風上の船から流れてくる硝煙は当然風下に向かって視界を悪くする。提督が敵の風上を取ろうとして何日も操船に費やすような戦いがよく行われた。例えば、1778年ウェサン島の海戦1780年のセントルシア海峡の海戦、1794年栄光の6月1日の海戦などである。

強風が吹く場合にのみ、風上に不利が生じる。風下側に傾き低くなった砲門が波に洗われるので、浸水のリスクを避けるには低層甲板の開口部を閉じておかねばならないからである。そのため、風上から攻撃する艦は下層甲板に装備した重砲を使うことができないのに対し、一方風下の敵艦は風上側の砲が船の傾斜で持ち上げられるのでそのような問題がない。この理由から、荒天で行われた1780年サン・ビセンテ岬の月光の海戦では、ジョージ・ロドニー提督は指揮下の艦にスペイン艦隊を風下から攻撃するよう命じた。

フランス海軍における海軍戦術の発展

フランス海軍では、戦術家のポール・オスト、ビゴー・ド・モローグ、ブールド・ド・ヴィルユーの論文で帆走戦術が発展した。また他言語にも翻訳された。

18世紀、フランス政府は制海権を求めて戦うよりも個々の作戦目的の達成を優先させる戦略を取った。フランス政府はその戦略的な目的を達成するために戦術的なリスクを冒すことに消極的だった。海軍はその命令の臆病さに拘束されていた。フランス艦隊はイギリス艦隊と戦うリスクを冒すよりも避ける方を選んだ。それは例えば1780年6月、ド・テルネーがバミューダ沖でウィリアム・コーンウォリス指揮下のイギリス戦隊に遭遇した時の行動に現れている。

この戦略は戦術的にも重要な結果をもたらした。フランス艦は、主に敵の帆装を攻撃して操作不能に陥らせ、それに乗じて戦場から逃れ、任務を継続する策を取った。そのためフランス艦は風下に位置し、風上舷の砲で攻撃したが、その場合には砲が上向きになるので、敵の帆装には損傷を与えても、船体や人員にはわずかな損害しか与えることができなかった。それとは対照的に、イギリスやオランダの軍艦は下向きの砲で敵の船体を攻撃したので、木材の破片などにより、敵砲手を多く死傷させることとなった。この戦術の違いが、イギリスとフランスの乗組員の被害の差を説明している。フランスは死傷者が多かっただけでなく、そのうちの死者の比率も高かった。


  1. ^ ブレイクは陸軍軍人でありながら艦隊の指揮官に任じられており、“ジェネラル・アット・シー”(General at Sea)という役職であった[1]
  1. ^ 小林 p 172





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