大粛清 評価

大粛清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/16 04:25 UTC 版)

評価

ホロコーストとしての大粛清

大粛清について、ヨルグ・バベロフスキーとアンセルム・デリング=マントイフェルは、(ナチスの)「最終解決」のソビエト版だという[46][30]

ロナルド・サニーは大粛清は「政治的ホロコースト」だという[47][30]

現代のロシア

ソビエト連邦の崩壊後、第二次ウラジーミル・プーチン政権下においては、2014年クリミア危機以降、欧米諸国による経済制裁が強化されたことに対抗する形でソ連時代の「再評価」が進められており、それに伴い大粛清の資料の公開も滞りつつある。例としては、上記のエジョフの機密文書を2014年7月ウクライナ保安庁が機密解除したのに対し、ロシア連邦保安庁は未だに機密扱いしている[15]。さらに、市民団体メモリアル(下記)もロシア外国代理人規制法英語版により「外国のエージェント」の烙印を押されて当局の監視下に置かれ、2021年にロシア連邦最高裁判所により解散を命じられた[48]。メモリアルは、他の組織と共に2022年ノーベル平和賞を受賞した。

ロシアの人権団体メモリアルは、連邦保安庁(旧:KGB)本部前のルビャンカ広場に建立した追悼慰霊碑の前で犠牲者の名前などを読み上げる追悼式典を開いている[49]2017年10月30日には、ロシア連邦政府による初の公式追悼碑「嘆きの壁」がモスクワに設置された。ロシア大統領ウラジーミル・プーチンは「数百万人が亡くなったり、苦しんだりした。この悲劇を忘れないことが、我々の義務だ」と式典で挨拶した[50]。しかし、2022年ロシアのウクライナ侵攻後、大粛清を含むスターリンへの批判は事実上タブーと化している。

一方で、「こうした弾圧措置は道義的また倫理的には問題があったとはいえ、そのおかげでロシア・ソ連の近代化が成功した」として、この時期のスターリンの行動を肯定・正当化しようとする論者も存在している[51]。その根拠は、スターリンの時代を矛盾の時代だと定義することから出発している。すなわち、ソビエト成立時の産業構造は農業主体であったが、本来であれば数十年をかけて工業化を進めるところを、農民を犠牲にした強制的な資本蓄積を図ることで産業構造の近代化を成功させた、というのである。また、大粛清によって排除された高級将校は現代戦の知識に疎く、大粛清の後にはゲオルギー・ジューコフイワン・コーネフのようにそれを補う有能な若手将校が現れたと主張されることもある。

しかし、一般には、赤軍が熟練将校や指揮官の大半を失ったことが冬戦争独ソ戦(特に初期)での甚大な損害を招いたとされている。トゥハチェフスキーのような先進的戦略家らも犠牲になる一方で、冬戦争や独ソ戦における失態から無能との悪評高いクリメント・ヴォロシーロフ騎兵を過大評価し戦車を軽視するセミョーン・ブジョーンヌイらが粛清を免れたことから、「現代戦の知識」よりも「党への忠誠」が重視された大粛清であった。


  1. ^ a b c d マーティン・メイリア、白須英子訳『ソヴィエトの悲劇』(草思社、1997)上巻、p397-398.
  2. ^ 「スターリンの大テロル - 恐怖政治のメカニズムと抵抗の諸相 -」(O.フレヴニューク、富田武訳、岩波書店、1998年)
  3. ^ 「新たにシベリア抑留と大テロルを問う:バイカル湖の丘に立ちて恒久平和を祈る」(石井豊喜、日本文学館、2008年)
  4. ^ Seventeen Moments in Soviet History
  5. ^ 「The great terror:Stalin's purge of the thirties」(Robert Conquest, 1968)
  6. ^ 「The voices of the dead: Stalin's great terror in the 1930s」(Hiroaki Kuromiya, 2007)
  7. ^ 『世界歴史体系 ロシア史3』山川出版社、p242
  8. ^ アーチ・ゲッティ・オレグ・V・ナウーモフ編「ソ連極秘資料集 大粛清への道」(大月書店)p.622
  9. ^ スティーヴン・F-コーエン、塩川 伸明 訳『ブハーリンとボリシェヴィキ革命―政治的伝記、1888-1938年』(1979未來社)p.421
  10. ^ ワット 1955, pp.171-172
  11. ^ a b ワット 1955, p.172
  12. ^ ワット 1955, pp.172-173
  13. ^ 「陰謀説の嘘」デビッド・アーロノビッチ著、佐藤美保・訳、PHP研究所2011年
  14. ^ ヤルタ会談の際にもスターリンは「やつら(日本人全員を指す)はどうせまた這い上がってくる」というコメントを残している。
  15. ^ a b c 「『外敵つくり団結』変わらぬ露―1937年『エジョフ機密書簡』が示すもの」産経新聞2014年11月20日号8面。
  16. ^ a b c d e 石井規衛「補説8チェカーと赤色テロル」『世界歴史体系 ロシア史3』山川出版社、1997年,p84-85.
  17. ^ a b c 『世界各国史22 ロシア史』p.330-332.
  18. ^ a b c d マーティン・メイリア(草思社、1997)上巻、p390-391.
  19. ^ マーティン・メイリア(草思社、1997)上巻、p300.
  20. ^ a b c 『世界各国史22 ロシア史』p.332-335.
  21. ^ a b c d e f g h 『世界歴史体系 ロシア史3』山川出版社、p.206-214.
  22. ^ ロイ・メドヴェージェフ『歴史の審判に向けて 上』2017年、p332.
  23. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『世界歴史体系 ロシア史3』山川出版社、p.217-227.
  24. ^ この時はまだヤゴーダ派の多くは引き続きNKVDの職務にあたっていた
  25. ^ 後に自らも粛清された際にエジョフは弁論の中で「私は1万4000人のチェキストを粛清しましたが・・・」などと述べている
  26. ^ スターリン「党活動の欠陥とトロツキスト的およびその他の二心者を根絶する方策について」(共産党中央委員会総会報告、1937年3月3日)J.V. Stalin, Defects in Party Work and Measures for Liquidating Trotskyite and Other Double Dealers:Report to the Plenum of the Central Committee of the RKP(b), March 3, 1937
  27. ^ コンクエスト、白石治朗訳『悲しみの収穫』恵雅堂出版、2007年、,p444-452.
  28. ^ ネイマーク『スターリンのジェノサイド』,p116.
  29. ^ a b ネイマーク『スターリンのジェノサイド』,p.117
  30. ^ a b c d ネイマーク『スターリンのジェノサイド』,p118-119.
  31. ^ Список лиц // 14 августа 1937 года”. stalin.memo.ru. 2021年6月26日閲覧。
  32. ^ THE NKVD MASS SECRET NATIONAL OPERATIONS (AUGUST 1937 - NOVEMBER 1938), sciencespo.fr, 20 May, 2010
  33. ^ a b ネイマーク『スターリンのジェノサイド』,p.126.
  34. ^ Soyfer, Valery N. (1994). Lysenko and The Tragedy of Soviet Science. New Brunswick, NJ: Rutgers Univ. Press. ISBN 0813520878 
  35. ^ ノーマン・Ⅿ・ネイマーク『スターリンのジェノサイド』根岸隆夫訳 みすず書房 2012年,p.7.
  36. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)「大粛清」(コトバンク)
  37. ^ 百科事典マイペディア「大粛清」(コトバンク)
  38. ^ 外部リンク webcache.googleusercontent.comからのアーカイブ、2017年5月12日 11:49:27 UTC閲覧。
  39. ^ Victims of the Soviet Penal System in the Pre-war Years”. sovietinfo.tripod.com. sovietinfo.tripod.com. 2020年8月29日閲覧。
  40. ^ 外部リンク webcache.googleusercontent.comからのアーカイブ、2017年5月12日 11:53:55 UTC閲覧。
  41. ^ a b c ネイマーク『スターリンのジェノサイド』,p.120.
  42. ^ a b 昭和十三年の国際情勢(一九三八年) p.331- 赤松祐之 1939年
  43. ^ 明と暗のノモンハン戦史 秦郁彦 2014年
  44. ^ [1]
  45. ^ [2]
  46. ^ Baberowski, Jörg; Doering-Manteuffel, Anselm (2009). “The Quest for Order and the Pursuit of Terror”. Beyond Totalitarianism: Stalinism and Nazism Compared: 213. https://lust-for-life.org/Lust-For-Life/_Textual/MichaelGeyer-SheilaFitzpatrick_BeyondTotalitarianism-StalinismAndNazismCompared_2009_550pp/MichaelGeyer-SheilaFitzpatrick_BeyondTotalitarianism-StalinismAndNazismCompared_2009_550pp.pdf#page=194. 
  47. ^ Ronald G.Suny,Stalin and His Stalinism: Power and Authority in the Soviet Union,in Stalinism and Nazism:Dictatorships in Comparison,Edited by Ian Kershaw, Moshe Lewin,Cambridge University Press,1997,p.50.
  48. ^ [3]ロシア最高裁、人権団体の解散を命令 旧共産党による被害者追悼の団体、BBC(2021年12月29日)
  49. ^ スターリン大粛清80年、ロシアで追悼式毎日新聞 (2016年11月1日)
  50. ^ 「スターリンらの粛清、追悼碑 モスクワで完成式典」『朝日新聞』朝刊2017年11月1日
  51. ^ 外部リンク webcache.googleusercontent.comからのアーカイブ、12 May 2017 12:06:12 UTC閲覧。
  52. ^ また一説によると実際に1937年の春から夏ころにかけてトゥハチェフスキーを国家元首にかついでスターリンを追放しようという陰謀が正統派コミュニスト・党官僚・軍人らの間であったという(クルボーク事件)(亀山郁夫著『大審問官スターリン』(小学館)p.160)
  53. ^ 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C01003869100、昭和04年「密大日記」第3冊(防衛省防衛研究所)」 標題:機密費使用に関する件[リンク切れ]





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