坊ノ岬沖海戦 参加戦力

坊ノ岬沖海戦

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参加戦力

日本海軍

日本軍では、作戦のために第2艦隊からなる第1遊撃部隊が編成され、水上特攻を担当する部隊となった。出撃した部隊は以下の編制であった[360]。参加兵力は計4,329名。平均年齢は27歳であったという[361]

  • 第1遊撃部隊(指揮官:第二艦隊司令長官伊藤整一中将、参謀長:森下信衛少将)
    • 第1航空戦隊
      • 戦艦大和(艦長有賀幸作大佐、副長:能村次郎大佐、砲術長:黒田吉郎中佐):沈没。被雷10本以上(第58任務部隊は魚雷13-14本確実と結論付けている)、直撃弾5発以上。戦死2,740、戦傷117名。
    • 第2水雷戦隊(司令官:古村啓蔵少将)
      • 軽巡洋艦矢矧(艦長:原為一大佐):沈没。被雷7本、直撃弾12発。戦死446、戦傷133名。
        ※矢矧に座乗していた第2水雷戦隊司令官古村啓蔵少将、矢矧艦長原為一大佐は、ともに生還。
      • 第41駆逐隊(司令:吉田正義大佐)
        • 冬月(艦長:山名寛雄中佐):帰還。中破。直撃弾2発(不発)。戦死12、戦傷12名。
        • 涼月(艦長:平山敏夫中佐):帰還。大破、艦首 - 前部主砲付近に直撃弾を受け大火災となる。後進で佐世保に帰還。戦死57、戦傷34名。
      • 第17駆逐隊(司令:新谷喜一大佐)
        • 磯風(艦長:前田実穂中佐):至近弾により機関室浸水。航行不能になり雪風が処分。戦死20、戦傷54名。
        • 浜風(艦長:前川万衛〈萬衛〉中佐):沈没。被雷1本、直撃弾1発。被弾で航行不能になった後、被雷し轟沈。戦死100、戦傷45名。
        • 雪風(艦長:寺内正道中佐):帰還。至近弾のみ。損傷無し。戦死3、戦傷15名。ロケット弾が直撃したものの不発に終わった(帰還後判明)とする説もあるが元乗員らの記録では別の戦闘での損傷とある[362]
      • 第21駆逐隊(司令:小滝久雄大佐)
        • 朝霜(艦長:杉原与四郎中佐):機関故障を起こし艦隊より落伍、正午過ぎに敵機と交戦中との無電を発信後連絡が途絶えた。撃沈されたものと推定。隊司令及び艦長以下326名全員が戦死した。
        • 初霜(艦長:酒匂雅三少佐):帰還。至近弾のみ。損傷無し。戦傷2名のみ。
        • (艦長:松本正平少佐):直撃弾2発。うち1発が機関室を直撃、破壊。航行不能により冬月が処分した。戦死17、戦傷47名。
  • 対潜掃討隊(瀬戸内海離脱後、命令により反転帰還)
    • 第31戦隊(司令官:鶴岡信道少将)
      • 花月(艦長:東日出夫中佐)
      • 第43駆逐隊(司令:作間英邇大佐)
        • (艦長:岩淵悟郎少佐)
        • (艦長:石塚栄少佐)

第7駆逐隊(駆逐艦:響)も参加予定だったが出撃直前に触雷で脱落した[77]

アメリカ海軍


注釈

  1. ^ 沈没:大和、矢矧朝霜浜風。自沈:磯風。損傷:涼月冬月。損傷なし:雪風初霜
  2. ^ 一部長(軍令部第一部長中澤佑海軍中将)聯合艦隊ト連絡(中略)而シテ聯合艦隊参謀長ハ聯合艦隊ト中央トノ戦艦使用ニ関シテ所見ヲ異ニスルノデハナイカト〔ノ〕コトニテ、中央トシテハ各局地ノ戦闘ハ決戦ノ連続ニテ、洋上遙カニ艦隊ガ遭遇、海戦スル如キコトハ今考ヘラレズトノ旨ヲ述ベシニ、ソノ点ニテハ異見ナシ、航空兵力ノ十分ナラザル今日、水上艦艇ノ全テヲ使用セザルベカラズト考フト云フ。福留参謀長着任前ニ一部長タリシ時ノヤハリ艦隊決戦デ雌雄ヲ決スルト云フ思想ハ今回ハ表明サレザリシト。(燃料問題、射撃成績略)聯合艦隊ハ要スレバ戦艦一隻ハ擱坐攻撃セシムル位ノツモリト云ヘリトノ話ハアリタリ。速ニ戦艦ノ改装等、方針ヲ示シテ呉レトノコトナリ。(以下略)[5]
  3. ^ 被害を受けた艦艇は、航空戦艦日向、空母天城龍鳳海鷹、巡洋艦利根大淀など[49]
  4. ^ 参加兵力は[64]、佐世保から来援の海防艦2隻を加え、海防艦6隻、特設駆潜艇10隻、特設掃海艇3隻、航空機(零式水上偵察機および陸上哨戒機「東海」)10機であった。
  5. ^ 『戦史叢書』等を含め複数の二次資料で、御蔵は28日夕刻の空襲で撃沈されたとする[70]。一部史料では潜水艦スレッドフィンが御蔵を撃沈したと記述する[71]
  6. ^ 多くの二次資料では、響の護衛および曳航艦を朝霜とする。初霜だったという証言もあり、また日時にも差異がある[77][78]
  7. ^ 「なおこの頃、天皇は参謀総長に対し、沖縄作戦が不利になれば、陸海軍は国民の信頼を失い、今後の戦局も憂慮すべきものがある旨を仰せになるとともに、現地軍が攻勢に出られない理由を尋ねられ、兵力不足ならば逆上陸を敢行しては如何と御提案になる。」[86]
  8. ^ 沖縄本島に司令部を置く第32軍(司令官牛島満陸軍中将、参謀長長勇陸軍少将、高級参謀八原博通陸軍大佐ほか)の通称号
  9. ^ 伊藤長官の長男伊藤叡(海兵72期)は零戦搭乗員、4月28日特攻隊直掩機と出撃して戦死[129]
  10. ^ 他に、宿毛から第三十四掃海隊の特設掃海艇3隻が派遣され、東経132度以東の対潜掃蕩を実施した[194]
  11. ^ 高松宮宣仁親王は4月7日に東京を出発、9日に内宮外宮を参拝した[209]
  12. ^ 第17号輸送艦が沈没したため、丹羽(第17号輸送艦長)は第146号輸送艦に移乗していた。
  13. ^ 丹羽正行 「一等輸送艦十七号 沖縄方面輸送の顛末」によれば第146号輸送艦から手旗と発光信号を送り「有難ウ、ワレ期待ニ応エントス」という返礼があったとしつつも、吉田満『戦艦大和』には「ワレ期待ニソムカザルベシ」と記述があるとも記している[222]。なお丹羽は大島輸送隊の大和発見を午前11時としている。
  14. ^ 記述は出典のまま。磯風と浜風の損害報告が逆で、実際は浜風が沈没、磯風が航行不能だった[297]
  15. ^ 第7駆逐隊(潮、響)、第17駆逐隊(雪風、初霜)、第41駆逐隊(冬月、涼月)。
  16. ^ レイテ沖海戦以来、「カミカゼ」には完全な報道管制が敷かれていた。
  17. ^ ◇「世界最大のわが戰艦大和と武藏の最後についてお知らせ下さい」「こゝに大和の最後にまつわる物語があります。……昭和二十年四月七日の事です。暁の太陽が、まさに昇らうとして居る時、本州の南方洋上を哨戒飛行中のアメリカ機は戰艦大和を発見しました。わが最大の戰艦四万五千トンの大和は、吾我野級の軽巡洋艦、及び他の軽巡洋艦、各1隻と少くとも九隻の駆逐艦にまもられて、全速力で南に向って航行中でした。敵機の搭乗員は、警告を発し、マーク・ミツチヤー中将旗下に属する第五十八機動部隊所属の四隻の航空母艦は、直ちに出動しました。午前十時頃には、既にわが艦隊は、本州南方五十哩の沖合で、敵に発見され、敵の艦上機約四百機がわれに迫つて來ました。かくて、東支那海で三十分にわたり、彼我の激闘が展開されたのです雨・霰の如き、わが防御砲火網、を潜つて敵機の一團は大和に殺到して八本の魚雷と八ヶの爆彈をたゝきつけました。かくて、さしもの巨艦大和も、爆発を起し油の一面に漂ふ海の中に没したのです。二隻の巡洋艦と三隻の駆逐艦も、亦撃沈され、三隻の駆逐艦は火焔に包まれて戰列を脱しました。わが防御砲火は七台の敵機を撃墜しました。然しこの戰が、わが航空基地の容易に手のとどく處で行はれたにもかゝはらず敵機に挑戦すべく出動した我が飛行は一機もありませんでした。武藏の最後に就ては、次の二週間以内にお答へ致します。」[346]

出典

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