四等官 その他

四等官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 09:21 UTC 版)

その他

明治維新の当初、官制全体が復古的な志向のもとで編成され、律令制下と同名の官職が置かれた。新たに設けられた官庁の職制も四等官に倣ったものであったが、名称等は必ずしも旧来の原則に当てはまるものではなかった。

一例をあげると、1868年6月11日慶応4年(明治元年4月21日)の政体書では官職名については律令には見られないものを用いているものの、七官に置いた官職の職掌については知官事は総判、副知官事は知官事に同じ、判官事は糺判とするなど四等官の職掌[4]に倣ったものであった[5] [注釈 1]

1869年8月15日明治2年7月8日)の職員令では官職名についても律令に見られるものを用いるようになり、各省に置いた官職の職掌についても卿は総判、大輔・少輔は卿に同じ、大丞・権大丞・少丞・権少丞は糺判、大録・権大録・少録・権少録は文案を勘署し稽失を検出するとするなど四等官の職掌[4]に倣ったものであった[6]

職員令に加えて[注釈 2]1870年10月12日明治3年9月18日)に太政官の沙汰により海陸軍に設けられた「将・佐・尉・曹」(海陸軍大将から海陸軍少尉まで並びに陸軍曹長及び陸軍權曹長の11等級)は律令制下の武官にはみられない序列である[8] [注釈 3] [注釈 4]。ただ、これらは明治6年5月8日太政官布達第154号による陸海軍武官官等表改定で軍人の階級呼称として引き続き用いられ[13] [注釈 5]、西欧近代軍の階級呼称を和訳する際にも当てはめられた[注釈 7] [注釈 8]。今日の自衛隊の階級呼称に四等官の名称の名残を感じさせるのは以上の経緯による。


注釈

  1. ^ 権弁事の職掌は正官に同じとし、その他の権官もこれに准うとしているので、権判官事の職掌も糺判となる[5]
  2. ^ 職員令では兵部省とは別に海軍と陸軍を設けてそれぞれ大将・中将・少将を置いている。兵部省の官職とは異なり大将・中将・少将の職掌を規定していない[7]
  3. ^ 法令全書では布達ではなく「沙汰」としている。また、官位相当だけを定めており職掌の規定はない[9] [10]。また、第604号はいわゆる法令番号ではなく法令全書の編纂者が整理番号として付与した番号である[11]
  4. ^ 荒木肇は、律令制の官職名が有名無実となっていたことを踏まえて、名と実を一致させる。軍人は中央政府に直属させる。などの意味合いから近衛府から将官、衛門府・兵衛府から佐尉官、鎮守府から軍曹の官名を採用したのではないかと推測している[12]
  5. ^ 陸軍武官の制度については兵部省設置以来数回の変更があって明治5年に陸軍省が置かれた後に明治6年5月に至ってようやく完備したものである[14]
  6. ^ 1870年6月1日(明治3年5月3日)には、横須賀・長崎・横浜製鉄場総管細大事務委任を命ぜられた民部権大丞の山尾庸三に対して、思し召しにより海軍はイギリス式によって興すように指示している[15]
  7. ^ 1870年10月26日(明治3年10月2日)に海軍はイギリス[注釈 6]、陸軍はフランス式を斟酌して常備兵を編制する方針が示されている[16]
  8. ^ 明治5年1月に海軍省が定めた外国と国内の海軍武官の呼称によると、アドミラルを大将に、ワイス・アドミラルを中将に、リール・アドミラルを少将に、シニヲル・ケプテインを大佐に、ジューニヲル・ケプテインを中佐に、コマンドルを少佐に、シニヲル・リューテナントを大尉に、ジューニヲル・リューテナントを中尉に、ソブリューテナントを少尉に、ウオルラント・ヲフヰサルを曹長に、チーフ・ペッチー・ヲフヰサルを権曹長に、ペッチー・ヲフヰサル・フィルスト・クラスを一等軍曹に、ペッチー・ヲフヰサル・セコンド・クラスを二等軍曹に、ペッチー・ヲフヰサル・ソルド・クラスを三等軍曹に対応させている[17]

出典

  1. ^ 内藤乾吉 「西域発見唐代官文書の研究」『中国法制史考証』 有斐閣、1963(初出 1960)。
  2. ^ 森田悌 「太政官制と政務手続」『日本古代律令法史の研究』 文献出版、1986(初出 1982)。
  3. ^ 土田直鎮 「奈良時代に於ける律令官制の衰微に関する一研究」『奈良平安時代史研究』 吉川弘文館、1992(1948 執筆)。
  4. ^ a b MinShig (2000年4月26日). “第二 職員令 全80条中01〜20条”. 官制大観 律令官制下の官職に関わるリファレンス Ver.0.8. 現代語訳「養老律令」. 2023年12月2日閲覧。
  5. ^ a b 「政体書ヲ頒ツ」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070093500、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第十五巻・官制・文官職制一(国立公文書館)(第5画像目)
  6. ^ 「官制改定職員令ヲ頒ツ」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070094400、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第十五巻・官制・文官職制一(国立公文書館)(第2画像目から第3画像目まで)
  7. ^ 「官制改定職員令ヲ頒ツ」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070094400、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第十五巻・官制・文官職制一(国立公文書館)(第10画像目)
  8. ^ 明治3年9月18日 太政官布達 第604号 海陸軍大中少佐及尉官及陸軍曹長權曹長ヲ置ク(ウィキソース)
  9. ^ 内閣官報局 編「第604号海陸軍大中少佐及尉官及陸軍曹長權曹長ヲ置ク(9月18日)(沙)(太政官)」『法令全書』 明治3年、内閣官報局、東京、1912年、357頁。NDLJP:787950/211 
  10. ^ 「御沙汰書 9月 官位相当表の件御達」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09090037000、公文類纂 明治3年 巻1 本省公文 制度部 職官部(防衛省防衛研究所)
  11. ^ 国立国会図書館 (2019年). “7. 法令の種別、法令番号” (html). 日本法令索引〔明治前期編〕. ヘルプ(使い方ガイド). 国立国会図書館. 2023年12月2日閲覧。
  12. ^ 荒木肇陸軍史の窓から(第1回)「階級呼称のルーツ」」(pdf)『偕行』第853号、偕行社、東京、2022年5月、2023年12月2日閲覧 
  13. ^ 内閣官報局 編「第154号陸海軍武官官等表改定(5月8日)(布)」『法令全書』 明治6年、内閣官報局、東京、1912年、200−201頁。NDLJP:787953/175 
  14. ^ 「明治ノ初年各種ノ名義ヲ以テ軍隊官衙等ニ奉職セシ者軍人トシテ恩給年ニ算入方」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15112559500、公文類聚・第十六編・明治二十五年・第四十二巻・賞恤・褒賞・恩給・賑恤(国立公文書館)(第11画像目から第13画像目まで)
  15. ^ 「海軍ハ英式ニ依テ興スヘキヲ山尾民部権大丞ニ令ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070892000、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第百十四巻・兵制・雑(国立公文書館)
  16. ^ 「常備兵員海軍ハ英式陸軍ハ仏式ヲ斟酌シ之ヲ編制ス因テ各藩ノ兵モ陸軍ハ仏式ニ基キ漸次改正編制セシム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070892100、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第百十四巻・兵制・雑(国立公文書館)
  17. ^ 「海軍武官彼我ノ称呼ヲ定ム」国立公文書館、請求番号:太00432100、件名番号:003、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百十巻・兵制九・武官職制九


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