吉本興業ホールディングス 評価

吉本興業ホールディングス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 02:18 UTC 版)

評価

上方演芸界への功罪

長く上方演芸界の中心を担ってきており、多くの上方芸人を育てたこと、関西一円に寄席・劇場・映画館を多数持ち、集客効果を発揮して、周囲の繁華街の発展に寄与したことは、その功績として誰しもが認めるところである。さらには戦前、安来節を流行らせ、前述の初代桂春団治をめぐる放送番組の件や、京都の松竹と競合すると見るや新興資本の東宝と組んで漫才=演芸と映画を融合させるなど、今日のマスメディアとショービジネスの関連性をいち早く見抜き、メディアミックスの手法を取り入れて大いに活用し躍進した。一時は大阪・新世界の通天閣も購入し、隆盛を誇っていた。

とりわけ戦前の吉本の功績としては、漫才の近代化に積極的に取り組んだことが挙げられる。かつて漫才は「万歳」という表記であり、楽器を持った「音曲万歳」が主流であったが、昭和初期以降、吉本所属の横山エンタツ・花菱アチャコ(1930年・1925年にそれぞれ入社、1930年コンビ結成)をはじめとする演者、秋田實(1934年入社)らの漫才作家により、純粋に話芸のみで勝負するしゃべくり漫才を育て、これを漫才の主流とした。またそれまでの「万歳」の表記を、現代風に「漫才」と変えさせたのも吉本である。こうしたしゃべくり漫才化の動きはやがて東京の漫才界にも及び、現在に至っている。また戦後の吉本の功績としては、伝統的な大阪仁輪加の流れを受け継ぐ「松竹新喜劇」とは別に、東京・浅草のアチャラカ喜劇の流れを受け継ぐ「吉本新喜劇」(当初は吉本ヴァラエティ)を結成し、大阪に軽演劇というジャンルを根付かせたこともある(吉本新喜劇初期の出演者には、守住清、清水金一、木戸新太郎、財津一郎など浅草の軽演劇出身者も多く見られる)。その後、本場・浅草では軽演劇というジャンルがほぼ絶滅したのに対し、それが移植された大阪では形を変えながらも今日まで続いている。

一方、吉本に対する評価が分かれるのは、上方落語に対する功罪である。とりわけ上方落語界のスターだった初代春団治が1934年に死去したあと、上方落語は一時絶滅寸前にまで衰退したが、その原因は戦前の吉本の漫才重視政策にあるとする関係者もいる。すなわち、前述のように戦前の吉本は「過度に」漫才に力を入れ、落語を軽視したために、それが上方落語の衰退を招いたと見るのである。実際漫才の興隆の前に、寄席の出番も減り、落語家からは廃業する者や自ら漫才師に転身する者が当時出てきたことは事実である。しかし戦前、吉本の幹部社員として漫才重視政策を推進し、戦後は吉本の社長も務めた橋本鐵彦は、演芸評論家・香川登志緒による聞き書きの中で、客を呼べる落語家が減っていったのが真の原因として、吉本が上方落語を衰退させたという説を全面的に否定している[14]。また東京の演芸評論家である矢野誠一も、当時の吉本の漫才重視政策が、上方落語の衰退を加速させたことは事実としながらも、当時の上方落語自体にも衰退する理由があり、吉本が上方落語を潰したとまでは言えないと結論づけている[15]

東京演芸界への功罪

「吉本=大阪・お笑い」というイメージも強いが、先述のように、戦前は必ずしもそうではなく、前述の通り東京・横浜にも多くの寄席・劇場・映画館を所有し、柳家金語楼、柳家三亀松、川田義雄ら多くの東京の芸人を専属に抱えていた。戦後も、デビュー当時の江利チエミのマネジメントを手がけている(彼女の両親も東京吉本所属の芸人だった)。さらに戦前は球団経営(プロ野球の東京巨人軍)に参画し、戦後も映画会社東映の前身のひとつ、太泉映画を設立するなど、興行資本としての性格も強い(ちなみに戦前は松竹・東宝・吉本で三大興行資本と呼ばれていた)。

一方、上方の演芸に対してだけでなく、東京の演芸に対しても、吉本は功罪相半ばする。

まず「功」の部分としては、大正末の関東大震災の際に、被災した東京の演芸界に対して積極的に支援の手を差し伸べたことが挙げられる。当時吉本の幹部社員が上京して、被災した芸人を直接訪ねて歩き、慰問物資を配って歩いたと言われる。さらには東京の寄席が壊滅状態となって出演の場を失った東京の芸人を大阪に招き、吉本の寄席に出演させた。そのために、後年まで「吉本」の名は、当時の東京の演芸界に「恩人」として刻み込まれたと言われる[16]。さらに吉本自身、大正末に関東進出を果たして以降、柳家金語楼、柳家三亀松など多くの東京の芸人を育て、また東京・横浜に多くの寄席や演芸場を開いた。とりわけ「浅草花月劇場」など、浅草公園六区の興行街に多くの劇場・映画館をオープンして、浅草の繁栄に寄与した。演芸評論家の小島貞二によれば、浅草花月は1935年(昭和10年)にオープンするや否や、浅草公園六区の観客の熱狂的支持を集め、六区の人の流れを変えてしまうほどであったという[17]。また、あきれたぼういずを育て、東京の演芸にボーイズという新たなジャンルを確立しただけでなく、東京の落語界再編にも乗り出し、落語芸術協会を立ち上げて、今日の東京落語界の興隆の基礎を作っている。そうしたことを考えるならば、当時東京に進出していた関西系興行資本3社、松竹・東宝・吉本のうち、東京の演芸界に対する寄与という点では、吉本がもっとも大きかったとも言える。

他方、戦後は吉本が東京から一時撤退し、大阪のローカル企業としての色彩を強めていったこともあり、戦前の東京吉本の歴史を知らない東京演芸界の若い世代からは、大阪べったりに見える吉本への批判や疑問の声が飛び出すことにもなった。たとえば「人気がなければあっさり切り捨てる」という点で立川談志は「あいつらは戦前から売れねぇと使けぇ捨てるんだよ、ったく冷てぇったらありゃしねぇよ」と著作において批判した。また永六輔は江戸笑芸を否定した戦略を打ち出す姿勢を問題視しており、毎日放送が「大正テレビ寄席」を打ち切って「サモン日曜お笑い劇場」に差し替えたことに激怒。絶縁以降は自身出演のラジオ番組・自身が請け負った連載で非難を続けた。


注釈

  1. ^ 吉本興業が「吉本興業ホールディングス」に社名変更したことに合わせ、2019年に吉本興業(新会社)に名称変更。
  2. ^ 当時占いに請っていた無名の落語家の桂太郎が命名。
  3. ^ コント赤信号の師匠。弟子のラサール石井によると、戦時中に東京吉本のレビュー団・「吉本舞踊団」に在籍[4]
  4. ^ サービス業の場合、資本金5,000万円超または従業員数100人超の企業が中小企業基本法上の「大企業」と規定されている。
  5. ^ 吉本興業とタレントの間には雇用契約は結ばれていないため、所得税法上は「給与」ではなくタレント一人ひとりが「個人事業主」であり、吉本からは事業収入(報酬)を受け取っていると解釈される。
  6. ^ プロダクション人力舎のように、一部プロダクションの中には、その賞金を数割程度会社側が取り込む場合が多い。ただし、賞レースの賞金も同じ率だけ持っていく特徴もある。
  7. ^ ホリプロなど一部の芸能プロダクションは給料制のため、ホリプロを代表する和田アキ子であっても長者番付には登場しなかった。このことから、吉本とホリプロを比較して一長一短といえる。
  8. ^ 芸人を廃業して故郷で別の仕事をしていた時に福岡事務所開設の際に声が掛かり芸人活動を再開した[39]
  9. ^ お気に入りは、「十銭漫才」で有名な寄席小屋「南陽館」であった[42]
  10. ^ 戦前、東京吉本の企画制作部のスタッフだった旗一兵の指摘による[44]

出典

  1. ^ 吉本興業HDに社名変更”. 日本経済新聞 電子版. 2019年6月24日閲覧。
  2. ^ 企業情報”. 吉本興業ホールディングス株式会社. 2023年8月13日閲覧。
  3. ^ 株主一覧”. 吉本興業. 2013年10月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  4. ^ ラサール石井『笑うとは何事だ!』徳間書店、1994年、281-282頁
  5. ^ 瀬川昌久『ジャズで踊って』サイマル出版会、1983年、183-185頁、195-196頁。
  6. ^ 旗一兵『喜劇人回り舞台-笑うスター五十年史』学風書院、1958年、168頁。
  7. ^ 澤田隆治『上方芸能・笑いの放送史』 日本放送出版協会、1994年、75-76頁。
  8. ^ 吉本興業が新宿の小学校跡に移転。夏は暑く、冬は寒いオフィス? 日経トレンディネット 2008年4月2日
  9. ^ 吉本興業、映画会社を設立”. シネマトゥデイ. 2014年10月6日閲覧。
  10. ^ 吉本興業が初の洋画配給「マクベス」来夏全国公開”. 日刊スポーツ (2015年10月17日). 2015年10月20日閲覧。
  11. ^ 秋元康氏氏プロデュース「吉本坂46」結成へ スポーツ報知 2018/02/21閲覧
  12. ^ BSデジタルで「BSよしもと」など3チャンネル放送開始 スマホ向けの動画配信も”. ITmedia NEWS (2022年3月21日). 2022年3月21日閲覧。
  13. ^ 吉本興業、資本金125億円から1億円に減資 その狙いは「中小企業」になることなのか? j-cast 2015年8月1日
  14. ^ 香川登志緒『大阪の笑芸人』晶文社、1977年、171頁。
  15. ^ 矢野誠一『女興行師吉本せい-浪花演藝史譚』中央公論社、1987年、126-127頁。
  16. ^ 矢野誠一『女興行師吉本せい-浪花演藝史譚』中央公論社、1987年、74頁。
  17. ^ 小島貞二「東京吉本ラプソディ」『ザ・よしもと大解剖』読売新聞社、1988年、59-60頁。
  18. ^ 【極楽とんぼ】松本人志、山本圭壱に言及「復帰してもいいが...」 ハフィントンポスト、2015年1月25日
  19. ^ 暴力団に「借り」を作った島田紳助の本当の代償 wedge 2011年9月12日
  20. ^ 河本準一生活保護受給の記者会見 河本「15年間生活保護受けて昔も今も正しかったと認識してる」 ガジェット通信 2012年5月25日
  21. ^ 吉本興業とアミューズに是正勧告 上限超える長時間労働:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2022年3月1日閲覧。
  22. ^ 大手芸能事務所に労働是正勧告 アミューズ、吉本興業、LDH”. 西日本スポーツ. 2022年3月1日閲覧。
  23. ^ “楽しんご「闇営業」で解雇されていた 3月末に吉本興業から処分”. スポーツ報知. (2019年6月11日). https://hochi.news/articles/20190611-OHT1T50026.html 2019年6月30日閲覧。 
  24. ^ 宮迫博之、田村亮、レイザーラモン HG、福島善成、くまだまさし、パンチ浜崎、木村卓寛、ムーディ勝山、2700、ディエゴに関するご報告とお詫び - 吉本興業ホールディングス株式会社(プレスリリース)2019年6月24日
  25. ^ スリムクラブに関するご報告とお詫び - 吉本興業ホールディングス株式会社(プレスリリース)2019年6月27日
  26. ^ 2700に関するご報告とお詫び - 吉本興業ホールディングス株式会社(プレスリリース)2019年6月27日
  27. ^ ナベプロと吉本「闇営業対策」で明暗分けた大差 | テレビ”. 東洋経済オンライン (2019年7月2日). 2019年7月5日閲覧。
  28. ^ 吉本興業「後日、何らかの対応」 宮迫&亮の会見受け - SANSPO.COM 2019年7月20日
  29. ^ 亮ら会見提案も吉本社長「全員クビにするからな」 - 日刊スポーツ 2019年7月21日
  30. ^ 吉本興業会見 岡本社長が「処分を撤回する」 宮迫さんらに謝罪 - 産経ニュース 2019年7月22日
  31. ^ 吉本、大崎会長と岡本社長が責任取り1年減俸50% - 日刊スポーツ 2019年7月22日
  32. ^ 小島貞二「東京吉本ラプソディ」『ザ・よしもと大解剖』 読売新聞社、1988年、60頁。
  33. ^ 芸能界と反社会的勢力 根深い関係、どう断ち切る 吉本「闇営業」問題 毎日新聞 2019年6月25日
  34. ^ 吉本芸人の「闇営業」を生んだ構造的問題──果たして責任はタレントだけにあるのか?”. Yahoo!ニュース (2019年6月26日). 2019年6月28日閲覧。
  35. ^ “吉本興業の契約書なし、「問題がある」公取委総長発言”. アサヒ・コム. 朝日新聞社. (2019年7月24日). https://digital.asahi.com/articles/ASM7S42RZM7SUTIL018.html 2019年7月24日閲覧。 
  36. ^ 宮迫さん、詐欺集団の宴会で100万円 吉本闇営業問題”. 朝日新聞 (2019年7月13日). 2019年7月14日閲覧。
  37. ^ “【2020年芸能ニュース】相次ぐ事務所退所、独立…タレントと事務所の在り方に変化”. ORICON NEWS. オリコン. (2020年12月29日). https://www.oricon.co.jp/special/55667/ 2020年12月30日閲覧。 
  38. ^ アメトーーク!』2007年10月11日放送分
  39. ^ 2011年3月7日「田中企画」での発言
  40. ^ 竹中功『わらわしたい-竹中版・正調よしもと林正之助伝』河出書房新社、1992年、136頁。
  41. ^ 「スポーツマネジメント」に力 吉本興業 新たな収益源確保へ[リンク切れ] - 大阪日日新聞・2009年1月17日
  42. ^ 秋田実『大阪笑話史』編集工房ノア、1984年、109頁
  43. ^ 『辻邦生作品全六巻3』の付録、月報III『「文芸」の会のころ』、2頁
  44. ^ 旗一兵『喜劇人回り舞台-笑うスター五十年史』学風書院、1958年、135頁





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