出雲大社 施設

出雲大社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/18 04:56 UTC 版)

施設

国立公文書館所蔵「出雲大社絵図」(1875年〈明治8年〉頃作成)
出雲大社境内案内図2022年5月時点

本殿

玉垣、瑞垣(廻廊)、荒垣の三重の垣根に厳重に守護されている。本殿内北西には御客座五神(天之御中主神高御産巣日神神産巣日神宇摩志阿斯訶備比古遅神天之常立神)が祀られている。大国主大神の御神座は本殿内北東にあり、正面である南側ではなく西側を向いている[28]。(なお、本殿瑞垣外ではあるが、本殿の真後ろには、八雲山との間に唯一鎮座する社として、須佐之男命を祀る出雲神社「素鵞社、そがのやしろ。式内社」がある。)この理由には諸説があり、そのうちの1つは寛文6年(1666年)に長州の大名・毛利家が寄進した出雲大社の荒垣入口の銅鳥居に刻まれた銘に、「一を日神といい、二を月神といい、三を素戔嗚というなり。日神とは地神五代の祖天照太神これなり。月神とは月読尊これなり。素戔嗚尊は雲陽の大社の神なり」とあり、出雲大社の祭神がスサノオ尊とされていた時代があり、参拝者は大国主ではなくスサノオ尊を正面から拝むようになっている、とする説である。また、「本殿が古代の高床建物高床住居高床倉庫)とほぼ同じ構造になっているため、高床建物における入口と最上席の配置と向きの関係から、御神座は西側を向くことになるため」との説もある。天井には7つの雲の絵が描かれている。現在の本殿は1744年(延享元年)に建てられたもので、高さは8(およそ24m)と、神社としては破格の大きさである。

本居宣長が『玉勝間』に引いたところによれば、かつての本殿は現状の倍ほどもあり、中古平安時代)には16丈 (48m)、さらに上古(神代の後、平安より前)には32丈(およそ96m)であった、という伝承があるとされる。同じ出典にある、「金輪造営図」と併せて想定される姿は大変不思議なもので、空に向かって延びた何本もの柱の上に社が建つというものになる。上古については流石に神話と看做すとしても、16丈あったとすると東大寺大仏殿(当時の伝承によれば十五丈≒45m)や平安京大極殿より大きかったということになる。

この説については賛否両論あり、肯定する意見としては、平安時代に源為憲によって作られた『口遊』で数え歌に歌われていることが論拠に挙げられる。これは「雲太、和二、京三=出雲太郎、大和次郎、京三郎」というもので、「雲太、和二、京三。今案、雲太謂出雲国城築明神神殿。和二謂大和国東大寺大仏殿。京三謂大極殿、八省。」を元にしている。ただし異論として。その後に続く数え歌を考慮すると、高さの順を表したものではなく、神社(神)、寺院(仏)、住宅(人)の順を著しているとの説や、複数の記録により、複数回倒壊していることがわかっていること(『百錬抄』『左経記』『千家家古文書』『中右記』『北島家文書』などの記述によれば、平安中期から鎌倉時代初めまでの約200年間に7度も倒壊している)といった傍証が挙げられている。上古32丈についても、山に建てたものについて、その標高を述べたものと附会すれば、不自然では無いという意見もある。高層建築が必要とされたのは別天津神の祭祀と関係があるとする説もある[29]。一方で、前述したように明確な文献が『玉勝間』と江戸時代まで下ること、証拠とされているものがいずれも傍証にとどまること、32丈説や後述するプロジェクトなどで想定している「山」が、そもそもただの山ではなく神域であり工事が入ることなどめっそうもないといった点が否定要素である。

建築学的な可能性としては、福山敏男大林組によるプロジェクトにより検討され[30]『古代出雲大社の復元』(学生社、1989年)として出版されている。

2000年(平成12年)、地下祭礼準備室の建設に伴う事前調査に際し、境内からは勾玉などの他、巨大な宇豆柱(1本約1.4mの柱を3本束ねたもの)が発掘された。古代社殿の柱ではと騒がれ、16丈説があたかも確認された事実であるかのごとく報道されることもあった。結局、中世の遺構で現在とほぼ同大平面であり、柱の分析や出土品からも1248年(宝治2年)造営の本殿である可能性が高いと分析されている。ただし発見されたものが古代の本殿ではなくとも、16丈であったことの証明になる可能性があると書かれた教科書や書籍もある。

2017年(平成29年)にリニューアルオープンした展示施設「神祜殿」では、出土した柱や、高い位置にある本殿と地上を長い階段でつないだ古代の姿の想像模型が展示されている[31]

2008年(平成20年)の「仮殿遷座祭」以降、本殿の屋根等の大改修が行われており、2013年(平成25年)5月には御祭神を仮殿から改修が完了した本殿へ再び遷座する「本殿遷座祭」が行われた(平成の大遷宮[32][33]。出雲大社の遷宮は概ね60 - 70年毎に行われている。

荒垣内摂社

※「荒垣」とは本殿鎮座地の四囲にめぐらした石垣と塀で、大社ではこの内側をいわゆる「境内」としている。
本殿瑞垣内
  • 大神大后神社(御向社、みむかいのやしろ) - 式内名神大社(同社坐大神大后神社)。大国主の正后・須勢理毘賣命を祀る。
  • 伊能知比賣神社(天前社、あまさきのやしろ) - 式内社(同社坐伊能知比賣神社)。大国主が亡くなったときに蘇生を行った蚶貝比賣命・蛤貝比賣命を祀る。
  • 神魂御子神社(筑紫社、つくしのやしろ) - 式内社(同社坐神魂御子神社)。大国主の妻で宗像三女神の一柱、多紀理毘賣命を祀る。
  • 門神社(もんじんのやしろ) - 廻廊八足門内の両側にあって本殿を守護する宇治神(東)・久多美神(西)を祀る。
本殿瑞垣外
  • 出雲神社(素鵞社、そがのやしろ) - 式内社。父(または祖先)の須佐之男命を祀る。本殿の真後ろ、八雲山との間に唯一鎮座する社。
  • 釜社(かまのやしろ) - 素戔嗚尊の子の宇迦之魂神を祀る。
  • 氏社(うじのやしろ) - 2つあって、出雲国造家祖神の天穂日命(北)と17代の祖で出雲氏初代の宮向宿彌(南)を祀る。御神座は本殿のある東を向いて、西を向いた主祭神に対面するようにしつらえてある。
  • 十九社(じゅうくしゃ) - 東西に2つあって八百万神(やおよろずのかみ)を祀る。神在祭の際、神々の宿舎となる。

荒垣外摂末社

  • 神魂伊能知奴志神社(命主社、いのちぬしのやしろ) - 式内社。神産巣日神を祀る。(出雲市大社町杵築東182)
  • 阿須伎神社(阿式社、あじきのやしろ) - 式内社。子の阿遅鉏高日子根神を祀る。(出雲市大社町遥堪1473)
  • 大穴持御子神社(三歳社、みとせのやしろ) - 式内社。子の事代主神・高比賣命(古事記では下照比賣命)と素戔嗚尊の孫の御年神を祀る。(出雲市大社町杵築東)
  • 大穴持御子玉江神社(乙見社、おとみのやしろ) - 式内社。子の下照比賣命を祀る。(出雲市大社町修理免字向地920)
  • 大穴持伊那西波岐神社(いなせはぎのかみのやしろ) - 式内社。天穂日命の子で、国譲りの際に事代主のもとに使者として向かった稻背脛命(いなせはぎのみこと)を主祭神とし、白兔神を配祀する。(出雲市大社町鷺浦102)
  • 上宮(かみのみや) - 素戔嗚尊・八百萬神を祀る。神在祭の際、神々の会議所となる。(出雲市大社町杵築北)
  • 下宮(しものみや) - 天照大御神を祀る。(出雲市大社町杵築北)
  • 出雲井社(いずもいのやしろ) - 岐神(ふなどのかみ)を祀る。(出雲市大社町修理免)
  • 因佐神社(いなさのかみのやしろ) - 建御雷神を祀る。(出雲市大社町杵築3008)
  • 湊社(みなとのやしろ) - 櫛八玉神を祀る。(出雲市大社町中荒木)
  • 大歳社(おおとしのやしろ) - 素戔嗚尊の子の大歳神を祀る。(出雲市大社町杵築北)
  • 祓社(はらえのやしろ) - 祓戸四柱神を祀る。参道大鳥居の東側にあり参拝者が前もって身心を祓い清める社。(出雲市大社町杵築東195)
  • 野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ) - 参道大鳥居の西側、神苑相撲場の北西にあり相撲の始祖野見宿禰命(第13代出雲國造 襲髄命(かねすねのみこと))を祀る。

拝殿

  • 先代の建物は室町時代1519年(永正16年)に尼子経久が造営。名工の坪井大隅守が華、青龍、松竹梅などで豪華絢爛に仕上げ、高く評価されていた。1953年(昭和28年)5月27日午前1時頃、本殿が72年ぶりの正遷宮奉祝期間中に鑽火殿(さんかでん)から出火、拝殿まで類焼し、姿は消えてしまった[34]。原因は鑽火殿で餅をつき終わって酒を飲んでいたことから、残り火の不始末だった[34]
  • 日本全国の崇敬者から寄付金1億円を集めて、復興事業が行われた。高松宮宣仁親王を総裁として、設計を担当したのは神社建築学の福山敏男博士(前述の古代本殿の研究を参照)で、1959年(昭和34年)に完成した[35]

庁舎

  • 江戸時代の初期建築だったが、上記の1953年(昭和28年)5月27日の火災で延焼し、拝殿とともに姿は消えてしまった[34]。再建工事は、建築家菊竹清訓により1961年(昭和36年)11月に着工され、1963年(昭和38年)5月に竣工。この年の第15回日本建築学会賞を受賞した[36]
  • その後、コンクリートの亀裂など老朽化が進み、安全上問題があるとして建て替えになることが決まった[37]。この決定に対しては2016年(平成28年)3月に日本建築学会など4団体が保存を求める要望書を提出[38]。同年9月にはUNESCOの諮問機関である国際記念物遺跡会議の20世紀遺産国際学術委員会が庁舎に対して危機遺産警告を出し、建て替え計画の中止と、修繕や保存の検討を行うよう要望するなど[39]波紋が広がった。庁舎保存を求める建築家らに対し、「コンクリート本体と金属部の劣化が進み、安全性を確保できない」として建替計画が通り、大遷宮事業が終わる2018年(平成30年)度末までに新しい庁舎を立てる方針[40][41]

神楽殿

神楽殿大注連縄
  • 拝殿の西側、荒垣外に位置する神楽殿(かぐらでん)は1879年(明治12年)の出雲大社教創始の際に、本殿とは別に大国主大神を祀ったことに由来する。正面破風下に張られた大注連縄は長さ約13メートル、重さ5.2トンに及び、この大注連縄は数年に一度、新しい注連縄へクレーン車を使用し1日がかりで懸け替えられる。神楽殿では婚礼なども執り行われている。現在の神楽殿は、1981年(昭和56年)に出雲大社教が特立100年を迎えた折、規模を拡張して建て替えられた。その大広間は270畳の広さを誇り、神社建築にはめずらしく正面破風の装飾にステンドグラスが使用されている[42]
  • 神楽殿から向かって右手にある「おくにがえり(出雲大社教では出雲大社に参拝することを「おくにがえり」と称す)会館」では、出雲大社の信仰を広める布教機関として組織された出雲大社教を総括する出雲大社教教務本庁がある他、2階には結婚式場が設けられている[43]
  • 国旗掲揚台 - 神楽殿南側には高さ47mの国旗掲揚台があり、日本国内で最大(揚げられる国旗は75畳[縦8.7m,横13.6m、重量約50kg)の日章旗が掲げられる[42]。通常は朝掲揚され夕方に奉降されるが悪天候時にはこれを行わない場合がある。なお、NHKクロージングで放映されている日章旗は当社のものであると言われることがあるが、誤解である(正しくは東京都渋谷区にあるNHK放送センター正面玄関前のもの)[44]
  • 「一月一日」歌碑 - 神楽殿東側には唱歌「一月一日」の歌碑が建っている(同唱歌を作詞した千家尊福は出雲大社第80代出雲国造である)。

その他

  • 出雲大社教の千家国造館
  • 出雲教の北島国造館
  • 最近では境内の比較的目立たないところに兎のオブジェが設置され続けており、新たなウサギを探すこともリピート時の楽しみの一つとなっている[45]

注釈

  1. ^ 熊野大社のことであるとの説もある。
  2. ^ 素戔嗚尊は奇稲田姫命と結ばれた神話から、氷川神社に代表されるように縁結びの神としても信仰されている。
  3. ^ 神宮寺であった鰐淵寺は、13世紀出雲守護佐々木泰清より「国中第一之伽藍」と呼ばれた。
  4. ^ 陰暦の十月のことを神無月という。これは全国の神々がみな、出雲の国にあつまり、他の土地では神が留守になってしまうので一般に神無月(かんなつき)というのであるが、出雲では反対に神有(在)(かみあり)月(つき)と呼ぶ。千家尊統『出雲大社』日本の神社3,p.112
  5. ^ この伝承と結びついて、全国の神々は出雲大社に集合し、これから1年間の幽事(神事)を相談するのだという信仰を生みだし、幽事というところから、男女の縁結びはもちろん、人世上の諸般のできごとまで、すべてこのときの神議(かみはか)りによってきめられるのだと信じられているのである。千家尊統『出雲大社 日本の神社3』p.113
  6. ^ 文献にあらわれる最古のものは藤原清輔の『奥義抄』での「かみなつき天下のもろもろの神出雲国にゆきてこと国に神なきが故にかみなし月といふをあやまれり」である。
  7. ^ 井原西鶴世間胸算用』にある一文「出雲は仲人の神」が最古とされる。

出典

  1. ^ 出雲大社とは/出雲大社と大国主大神(2018年9月30日閲覧)。
  2. ^ a b c d e f g h i 島根県大百科事典編集委員会『島根県大百科事典』上巻、山陰中央新報社、1982年、90頁
  3. ^ 「四拍手/出雲大社は怨霊の神社?」, 出雲大社紫野教会
  4. ^ a b 「よくあるご質問」, 出雲大社 Archived 2014年3月24日, at the Wayback Machine.
  5. ^ 出雲大社東京分祠
  6. ^ 出雲大社
  7. ^ 島根県大百科事典編集委員会『島根県大百科事典』上巻、山陰中央新報社、1982年、110頁
  8. ^ 『日本書紀』巻第二 神代下。
  9. ^ 『日本書紀』巻第二十六 斉明天皇紀。
  10. ^ 『日本書紀』崇神天皇60年7月己酉(14日)条。
  11. ^ 『出雲国風土記』出雲郡条 杵築郷。
  12. ^ 『延喜式』卷第十 神祇十 神名帳下。山陰道神,五百六十座。出雲國,一百八十七座。出雲郡,五十八座。「名神大」として記載。
  13. ^ 『出雲大社教布教師養成講習会』(出雲大社教教務本庁発行、平成元年9月1日)15―16頁
  14. ^ a b 「出雲大社の御祭神が素戔嗚尊の時代があった」, 出雲大社紫野教会
  15. ^ 『しまねの古代文化』11号、島根県古代センター。
  16. ^ a b 西岡和彦『近世出雲大社の基礎的研究』 ISBN 978-4-562-09008-2
  17. ^ 島根県大百科事典編集委員会『島根県大百科事典』上巻、山陰中央新報社、1982年、254頁
  18. ^ 『神道の本』( 学研、1992年) 192頁。
  19. ^ 藤井正雄 『新版 神事の基礎知識』講談社、2006年9月。ISBN 4-06-210641-8 135頁
  20. ^ 『出雲大社教布教師養成講習会』発行出雲大社教教務本庁平成元年9月1日全428頁中12 - 13頁
  21. ^ 出雲大社 大社國學館 沿革
  22. ^ 宮内庁「ご参拝(出雲大社)・ご覧(境内遺跡)(大社町)」
  23. ^ 『出雲大社教布教師養成講習会』(出雲大社教教務本庁発行、平成元年9月1日)32頁
  24. ^ 島根県大百科事典編集委員会『島根県大百科事典』上巻、山陰中央新報社、1982年、95頁
  25. ^ 島根県大百科事典編集委員会『島根県大百科事典』上巻、山陰中央新報社、1982年、923頁
  26. ^ a b 明治維新と出雲国造家”. 出雲教. 2019年6月15日閲覧。
  27. ^ 「出雲大社と出雲大社教がひとつに」(出雲大社の公式HP) Archived 2009年9月6日, at the Wayback Machine.
  28. ^ 御本殿見どころ Archived 2012年5月22日, at the Wayback Machine.(出雲大社ホームページ)
  29. ^ 匝瑤 葵 「宇宙を構成する古事記の別天神―出雲大社の天空神」(『アジア遊学』121号、2009年)pp. 94-101
  30. ^ 古代出雲大社本殿の復元 大林組(2018年9月30日閲覧)。
  31. ^ 出雲大社・神祜殿(2018年9月30日閲覧)。
  32. ^ 出雲大社 平成の大遷宮 Archived 2013年1月19日, at the Wayback Machine.(出雲大社ホームページ)
  33. ^ 出雲大社「平成の大遷宮」、復元された本殿公開 - YouTube(時事通信社提供、2013年3月13日公開)
  34. ^ a b c 島根県大百科事典. 山陰中央新報社. (1982年). p. 109-110 
  35. ^ 出雲大社御案内(御本殿)
  36. ^ MAD Synapse(出雲大社・庁舎)
  37. ^ “出雲大社の「昭和のモダン」「庁舎」建て替えへ平成の大遷宮”. 産経ニュース (産経新聞社). (2016年3月8日). http://www.sankei.com/region/news/160308/rgn1603080048-n1.html 2017年2月10日閲覧。 
  38. ^ “出雲大社 旧社務所取り壊しか 文化価値指摘、保存要望”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2016年3月4日). http://mainichi.jp/articles/20160304/k00/00e/040/208000c 2016年9月21日閲覧。 
  39. ^ “出雲大社「庁舎」解体中止を…初の危機遺産警告”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2016年9月15日). オリジナルの2016年9月15日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20160915085147/http://www.yomiuri.co.jp/culture/20160915-OYT1T50007.html 2016年9月21日閲覧。 
  40. ^ “出雲大社 「安全性確保できない」 「庁舎」問題で見解 予定通り建て替えへ /島根”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2016年9月27日). http://mainichi.jp/articles/20160927/ddl/k32/040/459000c 2017年2月10日閲覧。 
  41. ^ 出雲大社ホームページ(庁舎の改築について) Archived 2016年10月12日, at the Wayback Machine.
  42. ^ a b 神楽殿|出雲大社”. 出雲大社 社務所. 2022年6月6日閲覧。
  43. ^ おくにがえり会館”. 出雲大社 社務所. 2022年6月6日閲覧。
  44. ^ 中島隆広. “出雲大社の日の丸”. 出雲大社紫野教会. 2021年4月10日閲覧。
  45. ^ 出雲大社とウサギたち|出雲大社”. 出雲大社 社務所. 2022年6月6日閲覧。
  46. ^ 文化財一覧の目録は 国指定文化財等データベース島根県の文化財(島根県ホームページ)、出雲市内の文化財一覧(出雲市ホームページ)による。
  47. ^ a b 出雲市指定文化財一覧
  48. ^ 『出雲大社教布教師養成講習会』(出雲大社教教務本庁発行、1989年9月)380頁
  49. ^ 『出雲大社教布教師養成講習会』(出雲大社教教務本庁発行、1989年9月)381頁
  50. ^ 『出雲大社教布教師養成講習会』(出雲大社教教務本庁発行、1989年9月)393頁
  51. ^ “潜るパワースポットにダイバー続々 出雲の「海底遺跡」”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2012年9月6日). オリジナルの2012年9月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120906093433/http://www.asahi.com/national/update/0906/OSK201209050228.html 






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