出石寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/10 03:38 UTC 版)
概要
出石寺は出石山(いずしやま 812 m)の山上に伽藍が広がる。山上からは宇和方面の山々や大洲盆地、久万高原方面が見渡せる。
寺伝によれば、奈良時代初期の養老2年(718年)6月18日に宇和島郷の猟師・作右衛門が鹿を追いかけて、この山に分け入った。すると鹿は消えて暗雲が垂れ込め山中に地鳴りが響き渡った。そして鹿が消えた場所の岩が割け、そこから金色に輝く千手観音と地蔵菩薩が姿を現したという。その光景を目の当たりにした作右衛門は殺生を生業とする猟師という職業を悔い改め仏門に帰依し名を道教と改めた。そして、この仏像を本尊として、この地に堂宇を建立し雲峯山出石寺と称したという。
大同2年(807年この地に訪れた空海(弘法大師)が修行をした際、この山に鉱山があることから金山に改めたという[1]。 また、後の世に本尊が粗末にされ、それによって冥罰を受ける者が出てはいけないと本尊を石で囲い密封し秘仏としたと云われる。『聾瞽指帰』には"或登金巌而或跨石峰"とあって金巌に加禰乃太気と訓じてあることから、金巌は金山出石寺を指すものと解され、空海は金山出石寺に登ったとされている。なお、山の北側には硫化銅石の鉱山跡があり、三菱鉱業が明治43年(1910年)から昭和20年(1945年)頃まで採掘を行っていた。
後に兵火に遭うなど興廃を繰り返したが、室町時代末期に大洲に入城していた藤堂高虎が武運長久を祈願して重興。江戸時代には宇和島藩伊達氏や大洲藩主加藤氏らの帰依を受けて、末寺72坊を数えるほどに栄えた[1]。
昭和16年(1941年)大火に見舞われ伽藍が焼失したが、昭和31年(1956年)に復興した。
平成29年(2017年)10月8日 – 17日に開山1,300年祭の「いづしまつり」が開催され、併せて50年に一度の本尊開帳が行われた[2]。
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