全国花火競技大会
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歴史
大仙市大曲地区にある諏訪神社祭典の余興花火として1910年(明治43年)に「第一回奥羽六県煙火共進会」が開催(仙北新報(現・秋田民報)主催)されたのが始まりとされ、1915年(大正4年)によりレベルの高いものを目指し全国花火競技大会と名前を変え規模を全国に広げた。1964年(昭和39年)に創造花火が生み出される。
第二次世界大戦後すぐに大会は復活したが、戦後の物資不足と混乱より観光客の数は激減した。その後も水害や競技大会という特殊な開催方法がなかなか観光には馴染まず観客は少なかった。この大会を観るのは地元民、花火業者とよほどの花火通を自認するような花火愛好家のみだった。たとえば、1982年(昭和57年)の第56回大会の観客は10万人と発表されている。しかしその後、過疎化が進む市の「町おこしイベント」として利用したい自治体が諏訪神社祭典とは独立した行事としてPRを開始(公金での宗教団体イベントのPRが憲法の政教分離原則に抵触するおそれがあるため。祭典は1週間前に分離開催となる)。東北6県では有数の花火大会となり、1990年代初頭には観客動員数が40万人を越えた(当時の大曲市人口の15倍以上)。
1997年(平成9年)に秋田新幹線が開通し大曲駅に乗り入れるようになると、旅行業者、鉄道会社らが県外で競って大曲花火ツアーを企画。またNHKでこの大会が全国放送されるようになるとさらに知名度があがり、2007年(平成19年)の第81回大会では過去最高の約76万人を記録した[5]。大会の歴史を知る資料としては2006年(平成18年)11月に「第80回全国花火競技大会記念誌」が編集発行されている。2020年(第94回)は2019新型コロナウイルスの影響で1年延期。
- ^ a b c “<大曲の花火>8月22日開催 有料席抽選へ”. 河北新報. (2015年7月4日) 2015年11月27日閲覧。
- ^ “全国花火競技大会「大曲の花火」オフィシャルサイト|大曲商工会議所”. 大曲商工会議所. 2015年11月28日閲覧。
- ^ “第63回伊勢神宮奉納全国花火大会 全国の花火師入魂の花火、秋の夜空に”. 伊勢志摩経済新聞. (2015年9月13日) 2016年3月6日閲覧。
- ^ “大曲工「花火打線」で逆転 秋田県勢9年ぶり勝利”. 日刊スポーツ. (2015年3月25日) 2015年11月28日閲覧。
- ^ a b 大曲の花火 遠来の車「高速1000円」で交通量過去最高(河北新報 2009年(平成21年)10月21日)
- ^ 2011年(平成23年)3月31日でハイビジョン専門チャンネルの放送を終了し、BS1・2の完全デジタル一本化へ移行のため。
詳細は「NHKデジタル衛星ハイビジョン#概要」を参照
- ^ ラジオを携帯して...大仙市より
- ^ 2010年(平成22年)現在、抽選制であり、そのような行為による抽選権は認められない。
- ^ 3.携帯・ラジオ情報を活用してアクセス 大曲花火アクセスnavi
- ^ 注意事項 〜会場にお越しの際は必ずお読みください。〜 全国花火競技大会「大曲の花火」オフィシャルサイト
- ^ 観客以外でも運営やその他の移動などの総動員を見積もると1日の短時間には100万人程度になるともいわれ、これは秋田県の総人口を上回る。
- ^ 秋田魁2008年7月29日付より
- ^ 当日は8:55から17:55までのローカル枠(通常は東京や仙台からの放送)がすべて秋田放送局からの駐車場の空き情報、JARTIC秋田センター発の交通情報と秋田県の天気予報に差し替えられる。
- ^ 2010年代の前半までは日中は駐車場の空き情報を随時放送し、大会の終了後はオールナイトニッポンの1部の時間まで秋田自動車道、国道13号、国道105号の渋滞情報をCMフィラーや音楽のコーナーに随時放送していたが、現在は廃止されている。放送していた当時はABSの自社告知や魁新報などで放送時間の告知を行っていた。
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