党国体制 党国体制の概要

党国体制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/30 15:09 UTC 版)

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党国とは「以黨治國」の略語に由来する。またロシア革命レーニン主義二段階革命論に影響を受けて軍政、訓政、憲政の三段階論を唱え、前の二段階の間、党国体制を中華民国公式の国家政策とした。孫文によれば、国民党は軍閥との戦いと国民革命の過程で中華民国を最優先とし、国民党はすべての政府以外の団体、そしてあらゆる個人に対して命令を出すべきだとした。

中華民国の創設者である孫文は、当時の中国の情勢に民主制は時期尚早であるとしていた一方で孫文自身はマルクス主義に共感しておらず、また共産主義が当時の中国の問題を解決するとも考えていなかったが、ソ連からの物質的援助は魅力的と考えており、国民党が1924年(民国13年)1月開催した第一次全国代表大会で、綱領に「連ソ」「容共」「扶助工農」の方針を明示し、第一次国共合作が成立した。このとき共産党員も個人の資格で中国国民党への入党が認められた。

孫文はこの場で

「當俄國革命時,用獨裁政治,諸事一切不顧,只求革命成功。。。,其能成功,卽因其將黨放在國上。我以爲。應重新組織,把黨放在國上。」

とも述べ、同年の士官学校として政治教育を行う黄埔軍官学校の設立、翌年の党軍としての国民革命軍の建軍と続いた。

孫文自身は1925年(民国14年)3月世を去ったが、7月1日汪兆銘によって広州に最初の中華民国国民政府が開かれた。

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