今昔続百鬼――雲 泥田坊

今昔続百鬼――雲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/05 15:51 UTC 版)

泥田坊

昭和26年の冬、諏訪方面に研究旅行していた多々良と沼上。遭難しかけて辿りついた雪深い見知らぬ山の村は2月7日コト八日の忌み籠りの真っ最中であったが、ふたりは「~を返せ」という不気味な声を発しながら徘徊する黒い人影を目撃して驚愕する。小説現代2000/5月号増刊メフィスト掲載。

登場人物

田岡 太郎(たおか たろう)
田岡吾市の息子。30代半ばの男性。地学、特に地熱利用の研究している。父の女癖が原因の両親の離婚以降は、母親と共に東京で生活していた。しかし、出征中に東京大空襲で死亡した母親のことを伝えるために15年ぶり故郷へ帰り、父に会いに来た。雪山で遭難しかけていたふたりを家に招く。
田岡 吾市(たおか ごいち)
田岡太郎の父。明治の生まれで70歳近い老人。女グセが悪く、村人にもてあまされている。働いて得た金を殆ど遊里に注ぎ込むため家庭では諍いが絶えず、自分を詰る妻を殴りつけていたが、15年前に離婚し一人暮らしをしていた。伊勢と田尾から温泉開発を持ちかけられ、大金が手に入ると乗り気になっている。
伊勢 隆吉(いせ りゅうきち)
田岡吾市の従兄弟。村外れに暮らしている鼻抓み者。飲んだくれで仕事も子育てもせず、田仕事をさせていた妻は数十年前に過労死、3人の息子も戦争前に家を出ている。
田尾 信三(たお しんぞう)
松本在住の温泉掘削師。

手の目

「泥田坊」事件が解決したあと、多々良と沼上、そして救援にかけつけてきた富美は、ついでの調査がてらに遠回りして東京に戻ることにした。しかし群馬に足を伸ばした挙句道に迷って、霧積方面に出てしまい、また見知らぬ村で宿泊するはめとなった。村では、男衆が不審な行動をとっており、多々良が首を突っ込んだせいで、今回も一行は渦中に巻き込まれることになる。小説現代2000/9月号増刊メフィスト掲載。

登場人物

女将
多々良一行を泊めてくれた旅籠の女将。自分の亭主をはじめとする村の男たちの不審さに頭を痛め、旦那が女遊びに嵌ったものだと思い、富美に愚痴を溢した。
富の市(とみのいち) / 菰田 勘助(こもだ かんすけ)
按摩座頭。「富の市」は通称で、役場の転入届によれば本名は菰田勘助。65歳。
揉む手は並だが話が上手い。大金持ちの身寄りのない老人を看病した見返りに莫大な財産を相続したと言い、都会の喧騒や贅沢な暮らしに飽きて静かな暮らしを求め、墓場裏の屋敷に引っ越してきた。博打好きで、村の男衆を賭博に誘う。
中井 八兵衛(なかい はちべえ)
村の古老。適度に枯れていて適度に俗っぽい89歳の老人。近隣の習俗や昔話に詳しく、歯がないので聞き取りにくいがよく喋る。自宅を訪問してきた多々良に村で作りを禁忌としていること、50年前に禁を破って村に招かれた養蚕技術者の一家に不幸があったことを話した。企業から持ち掛けられた外国人向け保養所計画から村を救うため、盲目の富の市を賭博でカモろうとするが、逆にボロ負けする。
小針 信介(こばり しんすけ)
村の宿屋の主人。富の市との博打の最初に負けて、村中から出資された10万円を総てスッた揚げ句2万円の借金を背負ってしまう。責任を感じて負けを取り戻そうと一念発起し、宿屋の土地と建物の権利書を担保に最後の勝負に挑むがまた負けて、首を吊ろうとした所を偶然多々良に発見され結果的に命を拾う。
滋治(しげはる)
村の粉屋の若旦那で新婚。有志から集めた金を元手に富の市と博打を打って勝つ。
金平(きんぺい)
村の物屋の好色な亭主。富の市と博打を打つが負けが込む。

古庫裏婆

昭和26年の秋、東京の蒲田で開催された衛生展示会で、多々良と沼上は旧知の笹田冨与巳と再会する。笹田は、縁戚が騙されて、持ち出されたまま返ってこない優門海上人の即身仏を探しているという。ふたりは興味をひかれ、出羽に向かう。ノベルス版書き下ろし。

登場人物

笹田 冨与巳(ささだ とよみ)
沼上も参加していた「迷ひ家」の執筆同人。おかっぱで小太りな20代中頃の青年。執筆同人の中では最年少の当時10代で、河童や槌蛇といった未確認生物に興味を持っていた。父親が真珠の行商をしていたので、仲間内では「真珠」の渾名で呼ばれる。
秋田疎開した後、学徒出陣寸前で敗戦になり、1年前に就職して秋田から東京に戻った。父の母方の親戚の実家の寺に祀られていたが、大正時代に窃盗に遭った優門海上人の即身仏を探しており、衛生展示会にて数年ぶりに多々良と沼上に再会したことが、今回の話の発端になった。
優門海上人(ゆうもんかいしょうにん)
秋田にある冨与巳の父親の母方の従姉妹が嫁いだ「優門院」と云う寺で祀られていた即身仏。元々は元蔵と云う名の秋田の小作百姓で、荒くれ者として知られていたが、後に失明して高名な修験者に救われて出家し、湯殿山で修行を積んで霊験を表し、若い頃に迷惑をかけた故郷の村人への恩返しで優門院を建て、衆生済度の願を懸けて湯殿山の仙人沢に籠り、嘉永2年に海号を賜って土中入定したと記録される。3年後に掘り返された後は優門院で秘仏として祀られていたが、大正67年頃に優門海上人の弟弟子の孫を騙ったランカイ屋の売僧に貸し出され、以降30年以上も行方不明になっている。
なお、優門海上人の甥の息子だった当時の住職は、騙されたと知って即身仏を追いかけたが見つけられず、怒りすぎて血圧が上がり脳溢血で死去してしまう。そのため、現在は優門院は廃寺扱いで仏事は出来ないが、代わりに祈禱所として冨与巳の親戚が運営し続けており、今も結構人気だと云う。
栗田 周次(くりた しゅうじ)
岩手出身の拝み屋。栗田コウの最初の夫。生前は気は小さいが生真面目で優しい善人で、拝み屋としての腕は良かった。妻のために故郷を追われたが、行いが立派だったために明治10年に廃寺となっていた紫雲院に入る。修行して周海(しゅうかい)と改名した。明治20年に死亡したらしい。
栗田 コウ(くりた こう)
栗田周次の妻であった老婆。見た目は大変な老婆だが、今年で88歳という年齢の割には矍鑠としている。夫の死後も紫雲院を守っており、山を訪れる者を出自に関わらず凡て受け入れている。
栗田 要次(くりた ようじ)
栗田コウの息子である初老の男。
笠倉 新海(かさくら しんかい)
紫雲院2代目住職で栗田コウの2人目の夫。一度はお山で修行を積んだが途中で挫折し、寺が潰れて喰いはぐれたため、紫雲院に入るまでは興行師の真似事をして金を稼いでいた。寺で発見した古文書によって敷地内に埋まっていた周門海上人の即身仏を発掘したというが、ぐうたらで知られ、いつの間にか姿を消していた。
今田 相順(いまだ そうじゅん)
紫雲院の3代目住職。若い頃に即身仏を祀る寺で修行していた。新海の失踪後に住職となるが、いつの間にか居なくなっていた。
浅野 六次(あさの ろくじ)
木賃宿でふたりと同室になった男。無料で宿泊できる宿坊があると紫雲院を紹介し、ふたりをしこたま酔わせた後で荷物と金を全て奪って翌朝早くに宿を離れた。
山浦 匡太郎(やまうら まさたろう)
紫雲院隣町の隠居で蔵書家。鬱病の気があり、予々出家したいと溢していた。2年半前の昭和23年ごろにお山に御参りしようと隣町へ出掛け、突然行場に籠って修行するから生活費を送るよう紫雲院から手紙が届く。1年間は要求通りに送金していたが、不審に思った家族が寺に尋ねても知らないと返答されて発見できず、以降は行方不明となる。それから1年半後に蔵書の処分に困った親族が青森の陸奥書房に連絡し、そこから同業者の中禅寺に相談が行った。
中禅寺 秋彦(ちゅうぜんじ あきひこ)
中野の古書肆。陸奥書房の店主から行方不明の蔵書家の蔵書の処分について相談を受け、当地に赴いていた。のちにふたりの友人となる。
伊庭 銀四郎(いば ぎんしろう)
東京警視庁警部補。戦前は国家警察長野県本部所属だった。衛生展示会に出展されていた優門海上人の即身仏に疑惑が持ち上がったため、里村紘市とともに出羽に赴く。
陰摩羅鬼の瑕』にも登場する。
里村 紘市(さとむら こういち)
中禅寺の知人の医者で、温厚な解剖マニア。自身でも医院を開業しているが、警察の監察医も務めている外科医。周門海上人の遺体修復を依頼され、伊庭に連れられ出羽へ向かう。



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