五畿内志 研究史

五畿内志

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研究史

『五畿内志』研究の嚆矢は、幸田成友大阪朝日新聞紙上に連載した「並河誠所と五畿内志」(1903)[60]で、次いで室賀信夫の「並河誠所の五畿内志に就いて」(1936)[61]により、並河と本書に関する事実関係の紹介がなされた。しかしながら、阿部真琴の論考「江戸時代の地理学」(1932)[62]以来、通説的になされてきた近世日本の地誌に対する理解では、幕藩領主による地誌編纂の政治性が指摘されつつも、その内容に否定的評価が加えられてきた[63]ため、研究は途絶え、田代善吉「並河五一翁墓及び伝記」(1920)[64]や高橋敏「宝暦明和地方文化論」(1985)[65]などのわずかな文献で取り上げられるにとどまった。

第二次世界大戦後の地方史研究の進展とともに、地方史・地域史の先行研究として近世地誌の再評価が始まり[66]、藤田覚[67]が地誌を含む19世紀前半の書物編纂の持つ歴史意識にまつわるイデオロギー操作に着目することを提唱し、この提唱を受けた研究も出てきている。しかしながら、白井哲哉(埼玉県立博物館学芸員)の指摘するところによれば、これらの研究には、史書(歴史意識)と地誌(地理意識)を無造作に一体に扱っていることや、近世地誌の歴史の全体像の解明に着目がない、といった問題点[68]があるほか、個々の地誌の具体的な成立過程も明らかにされず、地理学においても積極的な評価を与えられてこなかった[69]。こうした状況のもと、『五畿内志』研究もほとんど進んでこなかった。関連する研究主題として国絵図研究があり、1970年代に国絵図を通して国家論・朝幕関係・身分編成などの諸分野の研究が活性化されて以来、1980年代から1990年代に川村博忠・黒田日出男藤田覚らの手により成果が挙げられたてきた[70]が、『五畿内志』編纂への言及は見られない[71]。本書編纂の背景となる17世紀末から18世紀初にかけての近世史研究が活発化しているが、その中でも研究は進められておらず、白井哲哉[72]や井上智勝[73]らの業績により、ようやく本格的な研究が緒についた状況である[74]


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  16. ^ 杉本[1999: 270-271]。ここで近世成立期までの「国」概念とは、(1)古代令制国に由来する領域概念、(2)戦国大名の封建的領有たる「分国」「領国」、(3)豊臣・徳川による天下統一のもとで大名領国を古代中国諸侯に擬えたもの、(4)職人編成や軍事徴発の単位、と整理されるが[杉本 1999: 261-262]、(1)も特定の主体と切り離された近代的意味での領域概念ではなく[杉本 1999: 284-285]、他の概念もまた単なる客体ではなく、一種の自然法的存在としてとらえられるものであった[杉本 1999: 262]。
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  58. ^ 白井[2004: 97]。今日の歴史学事辞典類でもそうした認識は見られ、西村[1956]、藤本[1985]は幕府による「官撰」であるとしている。
  59. ^ 白井[2004: 89]
  60. ^ 幸田[1972]所収
  61. ^ 室賀[1936]
  62. ^ 阿部[1932]
  63. ^ 白井[1997: 99]
  64. ^ 田代
  65. ^ 高橋[1998]所収
  66. ^ 塚本 学 [1976]「地域史研究の課題」(『日本史研究の方法』、岩波書店〈岩波講座日本歴史 別巻2〉)、山本英二 [1990]「浪人・由緒・偽文書・苗字帯刀」(『関東近世史研究』28 所収)など。
  67. ^ 藤田 覚、1989、『天保の改革』、吉川弘文館(日本歴史叢書) ISBN 4-6420-6538-5
  68. ^ 白井[1997: 100]
  69. ^ 白井[2004: 4]
  70. ^ 杉本[1999: 154-155]
  71. ^ 白井[2004: 64]。例えば川村[1990]や杉本[1999]。
  72. ^ 白井[1997][2004]など
  73. ^ 井上[2000]
  74. ^ 以上、研究史に関して白井[1997: 99-100][2004: 64]による。
  75. ^ 本節の記述は藤本[1985]による。


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