上賀茂 歴史

上賀茂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/25 10:25 UTC 版)

歴史

かみがもむら
上賀茂村
廃止日 1931年4月1日
廃止理由 編入合併
京都市、上賀茂村、大宮村、鷹峯村京都市北区
現在の自治体 京都市
廃止時点のデータ
日本
地方 近畿地方
都道府県 京都府
愛宕郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,677
国勢調査1920年
隣接自治体 京都市(上京区・左京区)、
愛宕郡鷹峯村、雲ケ畑村
鞍馬村静市野村松ヶ崎村
上賀茂村役場
所在地 京都府愛宕郡上賀茂村
座標 北緯35度3分27.8秒 東経135度45分23.1秒 / 北緯35.057722度 東経135.756417度 / 35.057722; 135.756417 (上賀茂村)
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昭和6年(1931年)に愛宕郡上賀茂村が京都市に編入される。上賀茂村は明治22年(1895年)の町村制の施行により賀茂川西岸の愛宕郡小山村(現在の北区小山あたり)を合しており、上賀茂、小山の2つの大字があったが、大正7年(1918年)に大字小山の全部及び大字上賀茂の一部を京都市上京区に編入している。(「京都市北区の町名」の記事を参照。) 愛宕郡に広がる賀茂六郷(岡本郷・中村郷・小山郷・大宮郷・河上郷・小野郷)は、長く賀茂別雷神社(上賀茂神社)の神領とされてきた。

名所

上賀茂神社
大田神社
上賀茂神社より古くからあったといわれている。大田の沢のカキツバタは国の天然記念物に指定されている。
北大路魯山人生誕地
大田神社の南側に石碑がある(上賀茂北大路町)[2]
2009年3月22日 魯山人の没後50年を記念し、誕生日の前日に当たる22日に除幕式があった。
大田の小径
大田神社の北側の山の尾根を歩く散策路である。
深泥池
賀茂季鷹歌碑
場所は、大田神社南交差点を南に、一筋目の道を西に入った北側の住宅(上賀茂竹ヶ鼻町)。歌碑には春の吉野山を詠んだ歌が記され、下には紅葉の歌も記されている。
賀茂季鷹(かもすえたか)は、上賀茂社家で江戸後期の歌人。季鷹は、有栖川宮職仁親王に手ほどきを受けた後、江戸にて文人墨客と交わり、京に帰った後は上賀茂神社で神職となり、「雲錦亭」と名付けた文化サロンを主宰した。
京都市伝統的建造物群保存地区
京都の特色ある歴史的な町並みの整備を行う区域[3]。産寧坂地区、祇園新橋地区、嵯峨鳥居本地区と上賀茂地区が指定されている。この4地区については、国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けている。

名物

すぐきの天秤押し
すぐき菜
江戸時代初期より当地周辺の農家に伝承されるカブの一種で、京の伝統野菜として知られる。かつては当地社家による贈答品として用いられていた。1804年文化元年)に、京都所司代から出された『就御書口上書』で他村への持ち出しが禁じられたことから、限られた地域で栽培され、栽培技術が口伝で受け継がれてきた[4]。乳酸菌の発酵作用によって生まれる酸味が特徴的で、漬物おひたしに用いられる[5][6]
賀茂なす
艶のある暗紫色をした円形の実が特徴的なナスで、京の伝統野菜として知られる。主に煮物に用いられるほか、輪切りにして油で揚げる味噌田楽も好まれる。露地栽培では、夏から初秋にかけて収穫される[7]
やきもち
平仮名で表記するのが一般的。小豆粒あんを柔らかいに包んで焼いたもので、上賀茂神社門前の店舗にて販売されているほか、神社の神事にも用いられる[8]



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