リヴィーニョ リヴィーニョの概要

リヴィーニョ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/20 07:02 UTC 版)

リヴィーニョ
Livigno
行政
イタリア
ロンバルディア
ソンドリオ
CAP(郵便番号) 23030
市外局番 0342
ISTATコード 014037
識別コード E621
分離集落 Trepalle
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
公式サイト リンク
人口
人口 6,458 [1](2017-01-01)
人口密度 30.6 人/km2
文化
住民の呼称 livignaschi
守護聖人 Natività di Maria
祝祭日 9月8日
地理
座標 北緯46度32分0秒 東経10度8分0秒 / 北緯46.53333度 東経10.13333度 / 46.53333; 10.13333座標: 北緯46度32分0秒 東経10度8分0秒 / 北緯46.53333度 東経10.13333度 / 46.53333; 10.13333
標高 1816 (1693 - 3302) [2] m
面積 210.79 [3] km2
リヴィーニョの位置

ソンドリオ県におけるコムーネの領域
ポータル イタリア
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四方を山に囲まれた土地で、町に通じる道路は3本しかない。一年の半分は雪に閉ざされ、かつては往来も困難であった。地理的な条件のために古くから免税の措置がとられてきた土地であるが、今日においてもイタリアの付加価値税がかからない免税地域で、欧州連合でも関税制度上特殊な地域となっている。冬季・夏季のリゾート地としても知られる。

名称

標準イタリア語以外では以下の名称を持つ。

地理

ソンドリオ県概略図

位置・広がり

ソンドリオ県北東部に位置するコムーネ。ソンドリオ県の最北のコムーネであり、同時にロンバルディア州最北のコムーネである。リヴィーニョの集落は、サンモリッツの東約23km、県都ソンドリオの北北東約45km、クールの南東約57km、トレントの北西約92km、州都ミラノの北東約140kmに位置する。

隣接コムーネ

隣接するコムーネ、およびそれに相当する行政区画は以下の通り。CHはスイス領、CH-GRはグラウビュンデン州所属を示す。

地勢・地形

河川・水系
  • 河川:アクア・グランダ川
  • 湖沼:リヴィーニョ湖(人造湖)
  • 山:Piz Paradisin(3302m) 他

町域を流れる主要な川は、アクア・グランダ川 (it:Aqua Grandaで、ヴァル・ディ・リヴィーニョ (it:Val di Livignoと呼ばれる谷を形作る。北のスイス領へ流れ下りスペール川(Spöl)と名を変えるアクア・グランデ川は、ツェルネッツイン川に合流するドナウ川水系の川である。このためリヴィーニョはイタリア領では珍しく、地中海の集水域(地中海盆地)ではなく、黒海の集水域に属する地域である。スイスとの国境にプント・ダル・ガル・ダム (Punt dal Gall Damがつくられており、町域北部には貯水池であるリヴィーニョ湖 (it:Lago di Livignoが広がっている。

リヴィーニョ周辺の山々は、リヴィーニョ・アルプスと呼ばれる[4]。町域の最高峰は、南部(ポスキアーヴォ側)のスイス国境にある Piz Paradisin(3302m)。

主要な集落

リヴィーニョの中心集落は海抜1816mに位置する。リヴィーニョのもともとの集落の一部は、1960年代のダム建設に伴って水没している。

リヴィーニョ集落の東、エイラ峠 (it:Passo dell'Eira (2,208 m) を越えた場所に位置する分離集落トレパッレは標高 2,069 m にあり、イタリアで最も標高の高い場所にある集落である。ヨーロッパではスイス・グラウビュンデン州のユーフ (Juf (2,126 m) に次ぎ第二位である。トレパッレの域内にあたるエイラ峠上にも家屋の集まる地区が形成されており、トレパッレをヨーロッパで最も高い村とする見方もある。

歴史

伝統的な家屋

リヴィーニョの地に最初に定住したのは、おそらくは中世の羊飼いたちである。この地域について記した最古の文献には、ラテン語vinea et vineola という名で言及されている。この地名はブドウ畑を意味するものではなく、ドイツ語で雪崩を意味する言葉から来ている。リヴィーニョの谷筋は雪崩の危険と常に隣り合わせであった。村に大きな被害をもたらした最後の雪崩は1951年のもので、この時には、十数軒の家が損壊し7人が死亡した。

政治的には、リヴィーニョは東に位置するボルミオと歴史をともにしている。しかしながらボルミオはリヴィーニョより人口も多く、立場も支配的であったため、二つの町の関係には緊張があった。

リヴィーニョには、古くは16世紀に税制上の優遇が与えられた記録が残されている。現在につながる免税制度は、1840年頃にオーストリア帝国によって導入された。歴史的に、リヴィーニョは冬季には往来することも困難になる土地であり、また何世紀にもわたって貧困な地域であった。この地を治めた諸国は、リヴィーニョの過酷な環境の中で人々を定住させるために(これはこの地域の統治権を主張するための措置でもある)免税という特権を認めたのである。

かつてのリヴィーニョの人々は、農業とわずかな商業だけで生計を立てていた。過酷な環境で生きるために密輸も広く行われたが、このことからヴァルテッリーナの他の地域の人々から偏見が向けられ、地元の言葉で gent de cunfin, tücc' lader o asesin (国ざかいの人間はみな盗人か人殺しだ)ということわざが作られるほどであった。

1970年代まで農村であったリヴィーニョであるが、20世紀後半以後の変化は著しく、現在のリヴィーニョは観光業を主要産業とする豊かな土地である。リヴィーニョは経済発展の恩恵を受け、住民も増加している。イタリアでは最も出生率の多い自治体であった。




  1. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Total Resident Population on 1st January 2017 by sex and marital status” (英語). 2018年5月19日閲覧。
  2. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - Sondrio (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年4月15日閲覧。
  3. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Sondrio (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年4月15日閲覧。
  4. ^ SOIUSAによるアルプス山脈の区分では、東アルプス山脈 - 中央東アルプス山脈 (it - 東レティケ・アルプス (it - リヴィーニョ・アルプス (it


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