モト・グッツィ
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概要
モト・グッツィはイタリア・ロンバルディア州、コモ湖畔の村マンデッロ・デル・ラーリオに所在する。
モト・グッツィが製造・市販するオートバイは、第二次世界大戦を挟んで大きく二種類に分けられる。第二次世界大戦前は空冷水平単気筒エンジンだったが、戦後は一貫して空冷縦置き90°V型2気筒エンジンとシャフトドライブを採用しており、同レイアウトでネイキッド、クルーザー、デュアルパーパス、スポーツツアラー、スーパースポーツまで、様々なタイプの車種をラインナップしている。
1973年にデ・トマソグループ資本となり[2]、2000年にアプリリアの資本注入を受けた[3]。
日本国内では、過去に正規ディーラーとして諸井敬商事があった。当時はV35イモラのボア・ストロークを変更し、日本専用モデルのV40カプリ、V40タルガ等も存在していた(フレームナンバーはJから始まっていた)。諸井敬氏の死後、諸井敬商事は解体し、福田モーター商会が取り扱っていたが、2012年よりピアッジオグループジャパンが総代理店としてモト・グッツィの製品を取り扱っている。なお日本の自動車検査証においては『モトグッティ』と表記されていたが、2013年より『モト・グッツィ』に変更された。
歴史
他のイタリアメーカーがレース活動やスポーツモデルの開発に重点をおく中で、モト・グッツィはツーリングモデルを主軸とした製品を作り続けている。
第一次世界大戦時に戦前の著名なレーシングライダーであったジョヴァンニ・ラヴェッリとエンジニアで社名の元となったカルロ・グッツィ、富豪のジョルジョ・パローディの3人がイタリア空軍に召集されて出会い、戦争が終わったらメーカーを立ち上げようと誓い合ったことがきっかけで創業した[1][2]。現在でも会社のエンブレムには、イタリア空軍の象徴であるアクイラ(Aquila 、鷲の意で、ローマ帝国に由来するエンブレム)を用いている[1][2]。これはラヴェッリが第一次世界大戦終了直後に航空機事故で死去し、実際の会社設立には参画できなかった[1]ことを悼み、そして3人の友情が出発点であることを象徴として戴いたエンブレムである。残る2人で、グッツィが1920年に最初の試作車「G.P.」を製作し、「メトロノームのように正確な」と伝えられる鼓動を刻んだという。車名はグッツィ&パローディからで、当初はパローディの名前を頭にもってこようとしたらしいが、ジョルジョ・パローディの方から、グッツィの名を表に出すようし強く勧め、社名も「モト・グッツィ」になった。この時点では企業とはほど遠い状態であった[2]が、しかしカルロ・グッツィ初設計のレーサーによりグランプリで勝利を収めるなどで人気が出[2]、パローディがジェノヴァの海運会社のオーナーである父親にアピールして出資を受け、1921年3月に会社を設立。数年でマンデーロに工場を構える程となった[2]。
レース活動
戦前はレースにも盛んに参加しており、水平単気筒エンジン、水平並列3気筒エンジン、V型8気筒エンジンなどを積んだレーサーが世界各地で活躍した。
創業直後よりレース活動に取り組み、1921年の創業直後のタルガ・フローリオで優勝したことを端緒として、1957年までワールドチャンピオンシップの常勝チームとして名を馳せ、14回のワールドタイトル獲得と11回のマン島TT優勝を達成している。
レース活動では2つのエピソードが有名である。1つは、1934年のマン島TTレースで、当時絶頂期のイギリスメーカーに対し、イタリア人ライダーのオモボノ・テンニを擁して対抗し、優勝したことである。初のイギリス製以外のマシンによるマン島TTでの勝利を、イギリス人以外のライダーが達成したことは、第二次世界大戦前夜で地中海の覇権を賭けて“大英帝国”と対立していたイタリアに朗報をもたらしたようで、モト・グッツィがイタリアの顔とも言えるメーカーとなったきっかけでもある。もう1つは、創業者カルロ・グッツィの愛弟子であった技師ジュリオ・チェーザレ・カルカーノがDOHC V型8気筒500ccの究極のGPレーサー「オット・チリンドリ[注釈 1]」を産み出したことである。ホッケンハイムリンクで最高速度275km/hと平均速度199km/hを記録したこのモンスターマシンは、現在でもGP史のみならず、イタリア二輪産業界の1つの頂点として記録されている。ちなみにカルカーノは現在のVツインエンジンの原型も設計している。
1957年[4]に撤退して以降は主だったレース活動はしていないが、V型縦置2気筒エンジンのその特異な運動性能からサンデーレーサーに愛されている。また、V型縦置2気筒エンジンのレース専用車両、MGS-01コルサも販売している。
スポーツ車
1928年には先進的なリアサスペンションとフェアリングを装備したツアラーモデルの先駆けと言える「GT」を開発し、「カルロ・グッツィ」とその兄の「ジュゼッペ・グッツィ」の兄弟によるノルウェーの北極圏地帯までの走破を成し遂げ、その製品の走行性能の優秀さと耐久性を実証し、以後の車輌販売のみならず、イタリア警察や軍への独占的な車輌納入を誇る契機ともなった。この時の事跡を記念し、このモデルは以後「GTノルジェ[注釈 2]」と呼ばれ、最新のツアラー「1200GT」にもこの車名は引き継がれている。1957年[4]にレース活動から撤退し、以降は公道を快適に走れるツアラーモデルを主力とするメーカーとして活動を続けているが、時折他の製品とは印象を異にするスタイリッシュなスポーツモデルやレーシングモデルを産み出すことがある。
実用車
レース活動も早期に再開はしたが市販車はスポーツモデルばかりでなく実用車を生産した[2]。この頃の製品には自転車に補助エンジンをつけたグッツィーノや250ccのアイローネがあり、イタリアの戦後復興に貢献した[2]。1950年代には50から175ccの小型実用車も手がけたが、他のメーカーとは異なり常にスポーツ性やデザインも凝っていた[2]。
二種類の『縦置きV型二気筒エンジン』
モト・グッツィが現在採用している縦置きV型二気筒エンジンは大きく分けて二種類存在する。一つは1965年に発表されたV7に搭載されていた大排気量向けのエンジン(通称ビッグツイン[注釈 3])と1970年〜90年代にかけてV35などの中間排気量車に搭載されていたエンジン(通称スモールツイン)である。この二つは外観こそ同じ縦置き90度V型二気筒エンジンであるがその内部構造は異なる。
ビッグツインエンジンは1950年代終わりごろからその構想が始まり、フィアット・500のスポーツモデルに搭載される予定だったが紆余曲折を経てイタリア防衛省の三輪駆動車「3×3」に採用され、さらにイタリア軍・警察からの要請でハイスピード時代に対応する高性能オートバイV7(1965年)のエンジンとして世に出ることになる。現在まで続くOHVビックツインエンジンやV1100エヴォルツィオーネエンジン、その進化系であるオット・ヴァルヴォレ[注釈 4]エンジンは全てこのV7のエンジンを祖としている。
一方スモールツインは1970年代に登場する。1970年代にイタリアで行われた税制改革で大排気量のエンジンには重い税率が課せられることになった。一方で350cc以下の中間排気量車は税制上優遇されたので大型排気量に偏重気味だったモト・グッツィもセールス的に中間排気量車が必要となり[注釈 5]、中間排気量向けのエンジンが開発され1977年にそのエンジンを搭載した最初のモデルV50とV35がリリースされる。
従来の大型排気量エンジン(ビッグツイン)との構造上の違いはトランスミッションケースにリアスイングアームピボットが設けられていること[注釈 6]。そのためドライブシャフトの経路を兼ねるスイングアームが直接トランスミッションケースに接続されている。 エンジンの構造も多少違っており燃焼室はシリンダヘッド側ではなくピストン側にある[注釈 7]。このエンジンは1984年にリリースされたV65ラリオ、V50モンツァII、V35イモラ搭載の際4バルブ化されグッツィ初の縦置きVツイン4バルブエンジンになった。
現行モデルで比較的小型であるV7クラシック、V7カフェクラシック、カフェレーサーを強く意識したデザインで2011年にリリースされたV7レーサーにはこの中間排気量エンジンの流れをくむエンジンが搭載されている。
2020年代
2021年、自動車排出ガス規制のEuro5 導入に伴い、744cm³および1380cm³エンジンが廃止されたため、V7 IIIは新しいV7 850に置き換えられ、V853TTから派生した新しい853cm³エンジンが搭載され、最大出力は以前の25馬力から6200rpmに増加しました。6800rpmで現在の65馬力に。最大トルクも60Nm/4250rpmから現行の73Nm/5000rpmへと大幅に向上し、3000rpmではトルクの80%以上を発揮。シャシーも進化し、ステアリングヘッドの部分にスチールエレメントを追加したフレーム、トラベル量が増加した新しいショックアブソーバー、新しいフットペグ、より大きなセクションタイヤ、新しいダブルハイトサドルにより、ライダーとパッセンジャーの安定性と快適性が向上しています.V85TTとV9も新しいユーロ5指令に準拠するように更新され、前者は4馬力を失ったが、新しいカムシャフトと新しいマッピングの採用により、低中回転域でのトルクが向上した。2台目は新型V7 850のエンジンをそのまま採用。
創立100周年を記念して、EICMA 2021でモト・グッツィはV100 Mandelloを発表しました。全く新しいモデルで、「コンパクトブロック」と呼ばれる水冷プラットフォームを採用した最初のグッツィです。全く新しいエンジンで、その名の通りV85 TTの空冷ユニット(-103 mm)よりも短いが、典型的な90°Vアーキテクチャーと1042cm³の排気量を持ち、115馬力と105Nmのトルクを発揮する。
主な現行モデル(2011年)
- オット・ヴァルヴォレ(8バルブ)エンジン搭載車
- MGS-01コルサ - 当初は市販のMGS-01セリエも2005年発売に向けて開発されていた[3]。レース専用モデル[3]。2006年、2007年の2年連続デイトナ優勝車。デイトナ系のSOHC4バルブエンジンのボアを太くしボアφ100mm×ストローク78mmの1,225ccに拡大[3]、圧縮比は11[3]、ピストンはジェットクーリングシステムを採用したコスワース製[3]。設計者はゲッツィ&ブリアンのジュゼッペ・ゲッツィ[3]。ホイールはO・Z製[3]、サスペンションはオーリンズ製[3]、ブレーキはブレンボ製でラジアルマウントされている[3]。ガソリンタンクをモノコック内におさめ、通常のタンク位置にはエアクリーナーが置かれている[3]。
- 1200スポルト4V - スポーツネイキッドモデル。
- グリーゾ8V - ネイキッドスポーツモデル。特徴ある高張力鋼管ダブルクレードルフレームがデザイン上のアクセントになっている。
- グリーゾ8V SE - グリーソ8Vのスペシャルモデル。通常モデルとの大きな違いは前後がスポークホイール、限定カラーなど。
- ブレヴァ1200(Breva 1200 ) - ネイキッドモデル。
- ステルビオ(Stelvio ) - デュアルパーパスモデル。名前の由来はヨーロッパの難所「ステルヴィオ峠」から。
- ノルジェ1200GT 8V - フルカウルクルーザーモデル。
- OHV2バルブビッグツインエンジン・V1100エヴォルツィオーネエンジン搭載車。
- カリフォルニア - 1972年から続く息の長いカスタム(アメリカン)モデル。
- ベラージオ - カスタム(アメリカン)モデル。
- スモールツイン搭載車
- V7クラシック - 名車V7をデザインの範としたモデル。
- V7カフェクラシック - デザイン的には名車V7スポルトに近い。
- V7レーサー - ゼッケンカウル、メッキタンク、バックステップ、赤く塗装されたフレームが特徴のカフェレーサーモデル。上記二種よりも足回りのグレードアップが図られている。
- ネヴァダ(Nevada)750 - カスタムモデル。2004年時点でモト・グッツィ唯一のキャブレターモデルであった。
注釈
出典
- ^ a b c d e f 『モトグッツィの世界にようこそ!』p.010-011「モトグッツィ、個性の秘密」。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw 『モトグッツィの世界にようこそ!』p.072-077「どこまでもオリジナル モトグッツィの20世紀」。
- ^ a b c d e f g h i j k 『モトグッツィの世界にようこそ!』p.028-031「伝統+最新技術=MGS」。
- ^ a b c d e f g h 『世界の名車』pp.078-081。
- ^ a b c d e f g h 『モトグッツィの世界にようこそ!』p.110-111「左右に張りだす"アレ"の秘密」。
- ^ a b 『モトグッツィの世界にようこそ!』pp.082-085「V7でCB750を追い回すのが夢」。
- ^ 『モトグッツィの世界にようこそ!』pp.112-113「テニに魅せられた12/150が集合」。
- ^ a b 『モトグッツィの世界にようこそ!』pp.022-023「軽快か軽薄か」。
- ^ a b 『モトグッツィの世界にようこそ!』p.066-071「Guzzi Parts Catalog」。
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