ミューチュアル・ファンド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/15 01:02 UTC 版)
脱法
戦間期の投信会社は、オープンエンド会計かどうかによらず、レバレッジのかけ方が同じであった。その基本は、投信会社を複数つくって株式を持ち合い、それを担保に借り入れて新たに株式を持ち合い、グループの資本金を雪だるま式に増やすことであった。ボストンのエドワード・レフラーが立ち上げた最初のミューチュアル・ファンド(Incorporated Investors)がそうであった。このグループに数十の投信会社・公益会社を集めると、ゴールドマン・サックスの投資会社(Goldman Sachs Trading Corporation)をふくんだものを典型とするピラミッド型の独占体となる。ハリソン・ウィリアムズが創り、GSTCが膨張させたこのグループを構成する投信会社の大体はクローズドエンド会計であり、償還の機会が定期的であった。その「瞬く間」にグループの資本関係は急成長した。個人投資家に配当として新たに株式がばらまかれ、現金は公益事業を受注する大企業が純資産へ蓄積した。そしてレバレッジの限界が世界恐慌をもたらした。しかし投信・公益ピラミッドは、さしあたりサービス業への分散投資と壮大な吸収合併により、やがてはニューディール政策の公共事業により延命された。
粘り強い追及のあと、1940年投資会社法で、投資会社が他の投資会社の既発行議決権付株式の3%以上を取得してはならないと定められた。これを脱法するために、共通のスポンサーや引受人が複数の投信会社を統括するファンド複合体(ファンド・コンプレックス)がつくられていった。複合体は利子・配当・キャピタルゲインの全てを追求できた。ファンド複合体の管理者は投資顧問とよばれ、そのグループが特定の証券に影響力をもてるよう采配できた。1950-60年代最大のミューチュアル・ファンド複合体は、JPモルガン傘下のIDS(Investors Diversified Services, アレゲーニー・コーポレーションの傘下企業。エクソンモービル等に影響力をもった。首位)であった。証券取引委員会の調べでは、1966年で純資産の合計が51.7億ドルに達し、約30.2億ドルのMIT(Massachusetts Investors Trust、エドワード・レフラーの古巣、第二位)や、およそ26.8億ドルのフィデリティ・インベストメンツ(第三位)を引き離した。およそ22.4億ドルのワデル・アンド・リード(Waddell & Reed)、約20.5億ドルのウェリントン・マネジメントが四位と五位に続く。六位は15.8億ドルのインベスターズ・マネジメント(数年後にアンカー・グループと改称)、七位は14.4億ドルのユニオン・サービス、八位は12.8億ドルのアベット男爵商会であった。キーストーン・インベストメント(2001年ワコビアと対等合併、現ウェルズ・ファーゴ)とパトナム・マネージメント(パワー・コーポレーション系列)がそれぞれおよそ1.2億ドルにとどまった(九・十位)。上位10複合体は、投資会社資産全体の45%を管理・運用していた[17]。
国内展開されたファンド複合体についてはここまでにして、戦間期に戻り、今度は投信の国際展開を概観する。対外証券を買う投信会社で筆頭はAIC(American International Corporation)である。AICは1915年ニューヨークで設立された。証券取引委員会の調べによると、ナショナルシティーとチェースナショナル(ともに現JPモルガン)、クーン・レーブ、ゼネラル・エレクトリック、グレート・ノーザン鉄道、ロックフェラー家などの巨大資本がAICの設立に関わった。他にはIPSC(International Power Securities Corporation)がある。IPSCは1923年4月にデラウェアでイタリア電力会社として創業したが、4年後にマサチューセッツで発足したアルドレッド投信(Aldred Investment Trust)が支配した[18][注釈 4]。1940年投資会社法の3%規制は合衆国内にしか適用されないため、1960年代にはゴールドマンやAIG、アクサ、リーマン・ブラザーズなどがオフショアファンドをグループ化して国際的なファンド・オブ・ファンズ(FOF)を形成した。オフショアファンドは海外で集金して膨大な合衆国証券を購入した[17]。
こうして戦間期の独占体制が復元された。ファンド複合体はライト・パットマンの精査・糾弾するところとなったが、FOFは一部が追及されたにとどまり、現在も野放しである。ニューエコノミーはインフラに目を奪われた誤謬である。
注釈
- ^ redeemable securities 1種 または俗にmutual fund share これ自体をミューチュアルファンドと表現することもある。会社型・契約型それぞれにいう株式・受益証券。
- ^ MMF は、財務省証券、コマーシャル・ペーパー、譲渡性預金などの低リスクな短期金融商品に投資する。この中でCP が1991年にMMF 総資産の4割を占めた。
- ^ 1974年のエリサ法が導入
- ^ アルドレッド投信は、1941年10月にボストンのゴードン・ハンロン(Gordon B. Hanlon)というブローカーが支配権を握った。
出典
- ^ Hazenberg, Jan Jaap (2020-06-08). “A New Framework for Analyzing Market Share Dynamics among Fund Families”. Financial Analysts Journal 76 (3): 110–133. doi:10.1080/0015198X.2020.1744211. ISSN 0015-198X.
- ^ その株式をふくむ概念。三木 概説(一)
- ^ a b 金融経済用語集
- ^ a b c d e 野村 2003
- ^ YahooFinance Microsoft Corporation NasdaqGS
- ^ YahooFinance JPMorgan Chase & Co. NYSE
- ^ 1940年投資会社法第2条(a)(31)
- ^ 三木 概説(六)
- ^ “Five UK Mutual Funds Partner on Blockchain Trading Project”. CoinDesk. (2016年2月8日)
- ^ “Lipper Analytical Agrees to Sell Fund-Data Firm to Reuters Group”. ウォールストリート・ジャーナル. (1998年7月24日)
- ^ 三木 概説(一)
- ^ 概説(二)
- ^ a b 池島正興「戦後アメリカの国債管理と国債」『経済研究所年報』第27巻、成城大学、2014年4月、129-161頁、ISSN 0916-1023、CRID 1050282677558838144。 この部分だけ段末に付したものと出典を異にする。
- ^ 永田(上).
- ^ 永田(下).
- ^ 日本証券経済研究所 金融危機発生後の世界の投資信託の動向 2009年6月16日
- ^ a b 三谷進 『アメリカ投資信託の形成と展開』 日本評論社 2001年 第8章, ISBN 453555207X.
- ^ Mira Wilkins, Harm G. Schröter, The Free-standing Company in the World Economy, 1830-1996, Oxford University Press, 1998, p.379
- ^ 1940年投資会社法第18条(f)
- ^ 1940年投資会社法第30条
- ^ アンソニー
- ^ a b c 佐賀 2005
- ^ 古谷栄男 ビジネスモデル特許の事例 1999.12
- ^ a b 代田 2001
ミューチュアル・ファンドと同じ種類の言葉
- ミューチュアル・ファンドのページへのリンク