ミツカン 概要

ミツカン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 17:45 UTC 版)

概要

十ヶ川の半田運河沿いに残る倉庫群
(2014年4月撮影)

2022年に倉庫群の裏手に大型パイロットプラントが建設された[4][5]ため、それ以降は風景が変わっている。
MIZKAN MUSEUM

江戸時代中期の1804年文化元年)、中野又左衛門により尾張国知多郡半田村(現在の愛知県半田市)で酒造業として創業。以後、1923年(大正12年)に株式会社化する。連結売上高は1千億円を超えるが株式非上場企業であり、中埜家による同族経営が維持されている。

当地では日本酒の製造が盛んであった。酒造後に残る酒粕を用いてを作り、これはを用いた酢より安価であったため、江戸時代の庶民の間に寿司が普及する要因となった。

1887年(明治20年)、三本線に丸をつけたロゴ「三ツ環(ミツカン)マーク」[注釈 1]を商標登録。

大正時代には、敷島製パン創業にも参画した。

1986年(昭和61年)には、日本唯一の酢の総合博物館として博物館「酢の里」(後のMIZKAN MUSEUM)を開館した。日本における醸造酢のシェアは高い。

第二次大戦後、加工・チルド食品に参入し、1964年(昭和39年)に瓶詰めの味付けポン酢の元祖となる「ミツカン味ぽん」、1982年(昭和57年)に混ぜ込みふりかけの「おむすび山」、1988年(昭和63年)にめんつゆ(後年「追いがつおつゆ」へ改称)を発売。

1997年(平成9年)に朝日食品工業を買収し、納豆の製造・販売に参入する[注釈 2]。酢の発酵技術を使用した納豆の「金のつぶ」シリーズは、首位のタカノフーズ「おかめ納豆」に次ぐシェアを占めた。2009年(平成21年)には、経営破綻したくめ・クオリティ・プロダクツの主力商品である「くめ納豆」の商品販売権等を買収し、ミツカンを通じて販売される。2011年(平成23年)には、長野県の旭松食品株式会社から「なっとういち」ブランドの納豆事業を引き継いだ。納豆菌の保有数も日本一である[8]

清酒「国盛」を展開している中埜酒造は、かつてはミツカングループに属していた。直接の資本関係はないものの、若干の人事交流や一部業務については協力している。なお、中埜家は同郷の盛田家とかつて人的関係があり、一時期ソニーの大株主に名を連ねていた。

家庭用の寿司酢はミツカンブランドが世界的に有名で、どこの国のスーパーマーケットでも入手することができる[9]

グループ再編

1998年(平成10年)にそれまで「株式会社中埜酢店」を中心として構成されていたミツカングループを、戦略策定・海外事業統括を行う「株式会社ミツカングループ本社」とその傘下にぶら下がる事業カンパニー・機能カンパニー群に再編し、中埜酢店はグループ本社傘下の資産管理会社となっている。

創業200年を迎えた2004年(平成16年)6月、CI(コーポレートアイデンティティ)およびグループビジョンを導入。英文社名がMitsukanからmizkanへ、標準的なロゴタイプが「(≡マーク)ミツカン」から「(≡マーク)mizkan」に変更された[10]。また広告では、コピーライターの岩崎俊一による“やがて、いのちに変わるもの。”というコーポレート・メッセージが併記されている。ロゴデザインは細川デザイン事務所によるものである。

2014年(平成26年)3月1日、グループ統括会社の株式会社ミツカングループ本社が商号を英字表記の「株式会社Mizkan Holdings」(ミツカンホールディングス)に変更した[10]。Mizkan Holdingsは商標の管理も行っているため、テレビCMの最後には「○○は、(株)Mizkan Holdingsの登録商標です」の文言が入っている[注釈 3]

2017年(平成29年)3月1日、株式会社Mizkan Sanmi、株式会社Mizkan、株式会社Mizkan Sanmi-pro、株式会社ミツカンフレシアの4社を統合。存続法人となる株式会社Mizkan Sanmiの社名を株式会社Mizkanに変更[11]

ミツカン水の文化センターを有し、山林の育成やビオトープの開設などの環境活動も行っている。


注釈

  1. ^ なおロゴの三本線≡は、中埜家の家紋が由来である。また、酢の命でもある「味」「利き」「香り」の意味も持っており、下の丸○は「天下一円」を意味している[6]
  2. ^ ただし、リンク先に朝日食品工業や後のフレシアに関する記述はない[7]
  3. ^ 2014年2月以前には、テレビCMの最後には「○○は、(株)ミツカングループ本社の登録商標です」の文言が入っていた。
  4. ^ 1997年に朝日食品工業(朝日納豆)を買収し、朝日フレシア、フレシアと社名変更。2002年に吸収合併する。

出典

  1. ^ a b ミツカングループ役員体制のご案内 (PDF) (ミツカン)2021年5月26日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 第22期決算公告、2022年(令和4年)6月18日付「官報」(号外第130号)122頁。
  3. ^ a b c d e f g h 第33期決算公告、2022年(令和4年)6月17日付「官報」(号外第130号)123頁。
  4. ^ ミツカングループ (仮称)パイロットプラント”. 清水建設. 2024年4月13日閲覧。
  5. ^ ミツカングループ 創業地・半田市に研究・技術開発拠点 パイロットプラント建設」『食品新聞』、2022年6月15日。2024年4月13日閲覧。
  6. ^ 【ミツカン】新しいミツカンマークの映像について”. MIZKAN GLOBAL. 2021年8月16日閲覧。
  7. ^ 納豆のヒミツ:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2021年1月13日閲覧。
  8. ^ 愛知県半田市の日本一・ミツカン”. 東海テレビ (2006年5月10日). 2010年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月22日閲覧。
  9. ^ 福江誠 『日本人が知らない世界のすし』 日本経済新聞出版社 2010年
  10. ^ a b 石川達也 (2021年1月1日). “なぜミツカンはmizkan?「ツ」の英字表記の裏に驚きの事実”. 朝日新聞. https://withnews.jp/article/f0210101001qq000000000000000W06w10101qq000022318A 2022年6月12日閲覧。 
  11. ^ 日本+アジア事業の法人統合に関するご案内』(プレスリリース)ミツカングループ、2017年1月13日https://www.mizkan.co.jp/company/newsrelease/2017news/pdf/00000170113.pdf2020年12月24日閲覧 
  12. ^ ミツカングループ本社/Mizkan Holdingsへ”. 流通ニュース (2014年1月27日). 2022年8月26日閲覧。
  13. ^ ミツカン社長に長谷川氏 創業家以外で初”. 日本経済新聞 (2014年5月19日). 2022年8月26日閲覧。
  14. ^ ミツカンHD、「常務会」新設 長谷川社長退任を発表”. 日本経済新聞 (2016年5月28日). 2022年8月26日閲覧。
  15. ^ ユニゾホールディングス株式会社 役員の略歴 (2019年3月期)取締役(非常勤)長谷川研治 どんぶり会計運営事務局
  16. ^ ミツカンHD、創業家で承継 姉妹で経営と資産管理”. 日本経済新聞 (2021年5月25日). 2022年8月26日閲覧。
  17. ^ ミツカンHD、創業家で承継 姉妹で経営と資産管理日本経済新聞、2021年5月25日
  18. ^ a b 第130期決算公告、2021年(令和3年)6月10日付「官報」(号外第130号)121頁。
  19. ^ a b c “ミツカン、巨額海外買収で狙うグローバル企業への脱皮、その成算は?非上場企業の底力”. ビジネスジャーナル. (2014年7月10日). https://biz-journal.jp/2014/07/post_5360.html 2014年12月3日閲覧。 






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