マリ帝国 制度

マリ帝国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/22 02:56 UTC 版)

制度

交易

1375年にマヨルカ島で製作された『カタルーニャ地図カタルーニャ語版』には、ベルベル人ラクダに乗って、サハラを越えたところにあるマリの黒人王のところへ交易に向かう様子が描かれている。

西アフリカ内陸部に広域帝国が成立したのはそもそもサハラ交易の利益によるものであり、最初の広域帝国であるガーナ王国の覇権を引き継いだマリも同じくサハラ交易を主な経済基盤とする国家であったが、その交易の様相はガーナ時代とは幾分異なったものとなっていた。

マリはサハラ砂漠の中央部にあるテガーザ岩塩鉱山にまで交易圏を広げたため、それまでの交易を握っていたベルベル人からその主導権を奪い[26]、塩金交易は北アフリカのベルベル人とサヘル地帯との間のものではなく、サヘル地帯を制したマリとその南にある産金地帯との間で行われるようになった。またマリの領土内においても金は産出されており、これらの多量の金はマリ帝国の主力商品として北アフリカへと輸出され、マンサ・ムーサ王の逸話に代表されるようなマリの繁栄を支えた。

またマリ帝国治下においては、同じくサハラの北からもたらされる主要商品であった銅鉱石の輸入が停止し、逆にを北アフリカへと輸出するようになった[27]。これはマリ領内またはその交易圏において銅鉱山が開発され、さらにマリ国内において精錬まで行われるようになったことを示している。この時期、ガオの東に位置するタケッダは銅生産の中心地となっていた[28]。またこの時期、ガーナ時代にはほぼ存在しなかった綿がマリ国内に普及し、織物の生産が盛んとなった[29]。こうしてマリは銅や綿を自給できるようになったものの、それを加工した銅製品や衣服・織物については輸入が続いており、むしろこの時期には北アフリカからの主力の輸出品となっていた。このほか、タカラガイなども北アフリカから主に輸入されていた[30]

一方、マリは南方の森林地帯とも活発に交易を行っていた。マリからの輸出品は塩や銅、綿布が中心であり、南方からは金のほか、コーラの実が主に輸入された[31]

また、サハラ交易のメインルートも以前に比べて変化していた。ガーナ王国期にはモロッコからアウダゴストを通ってサヘルへと向かうサハラ西側ルートが主流であったのに対し、マリ帝国期にはトンブクトゥから中央サハラを通って北アフリカへと向かうルートが主流となり、これがジェンネやトンブクトゥなどニジェール川中流域の交易都市の繁栄を生んだ[32]

経済

上記のような盛んな交易がおこなわれた一方で、国民の多くは農業に従事していた。国内では主にソルガムトウジンビエフォニオといった雑穀が主に栽培され、食料は豊富に供給されていた。ニジェール川ではボゾ人やソモノ人などの漁業民族が内陸デルタを中心に、盛んに漁業を行っていた[33]

こうして経済が成長する一方で、貨幣の鋳造は行われなかった。金が大量に輸出されたのも、マリ国内においては装飾品以外の用途がなく、本来国内で貨幣として流通する分の金も輸出用に回されていたためでもある。通貨としては布地、タカラガイ、塩などが用いられた[34]

こうした交易の活況によって、マリ帝国内に存在するジェンネトンブクトゥガオといった都市もまた繁栄した。トンブクトゥとガオではサハラ砂漠を越えてきたキャラバンが商品を積み下ろして川船へと乗せ換え、ニジェール内陸デルタの中央部に位置するジェンネまで運ばれた。ジェンネには南の森林地帯から積み出された金などもやはり船に乗せられて運ばれてきており、交易拠点として繁栄した[35]。トンブクトゥはこの時期からソンガイ王国期にかけて最盛期を迎えた。メッカ巡礼帰路のマンサ・ムーサによって1324年にジンガリベリ・モスクが建設され[36]、同時期にサンコーレ・モスクが建設されることで、トンブクトゥは学問の都としても名声を高めていった[37]。ガオは交易の要衝として7世紀ごろから独立王国が存在していたが、13世紀ごろにマリに服属した[38]。しかし国内の混乱から一時期サハラ交易を断念していたエジプトが14世紀半ばからサハラ交易を復活させると、交易ルートの東漸が起こり[39]、ニジェール川交易の東端にあたるガオが繁栄して、14世紀末には再独立を果たし、やがてマリに代わり西アフリカ内陸部の覇権を握るようになった。

帝国というが、中央集権体制の国家ではなく、マリを中心とする緩やかな連合国家だった可能性もある[1][3]


  1. ^ 中世スーダーン史の専門家、ソルボンヌ大学教授
  1. ^ a b c d e Terdiman, Moshe (2010). "Mali". In Alexander, Leslie (ed.). Encyclopedia of African American History (American Ethnic Experience ed.). ABC-CLIO. pp. 66–68. ISBN 1851097694
  2. ^ a b c 『イスラム事典』平凡社、1982年4月10日。ISBN 4-582-12601-4 、「マリ帝国」の項(執筆者:川田順造)。
  3. ^ a b 赤阪賢「マンデ、王国形成の先駆者たち」『民族の世界史12(黒人アフリカの歴史世界)』、山川出版社、1987年2月28日、ISBN 4-634-44120-9 
  4. ^ a b c Camara, Babacar (2005-09). “The Falsity of Hegel's Theses on Africa”. Journal of Black Studies (Sage Publications, Inc.) 36 (1): 82-96. http://www.jstor.org/stable/40027323 2018年4月26日閲覧。. 
  5. ^ a b c d Levtzion, N. (1963). “The thirteenth- and fourteenth-century kings of Mali”. Journal of African History 4 (3): 341–353. doi:10.1017/S002185370000428X. JSTOR 180027. 
  6. ^ Terdiman, Moshe (2010). "Mansa Musa". In Alexander, Leslie (ed.). Encyclopedia of African American History (American Ethnic Experience ed.). ABC-CLIO. pp. 73–74. ISBN 1851097694
  7. ^ a b c d e f g h D.T.ニアヌ「第6章マリとマンディンゴ人の第二次勢力拡張」『一二世紀から一六世紀までのアフリカ』、同朋舎出版、1992年9月20日、188-193頁、ISBN 4-8104-1096-X 
  8. ^ a b Levtzion, Nehemia; Hopkins, John F.P., eds (2000). Corpus of Early Arabic Sources for West Africa. New York: Marcus Weiner Press. ISBN 1-55876-241-8  First published in 1981 by Cambridge University Press, ISBN 0-521-22422-5
  9. ^ Cuoq, J, Recueil des sources arabes concernant l'Afrique occidentale du VIIIe au XVIe siècle, Paris, Centre national de la recherche scientifique, 1975, 490 p (Pour toutes les sources arabes consulter ce même ouvrage).
  10. ^ 福井勝義大塚和夫、赤阪賢 『世界の歴史24(アフリカの民族と社会)』中央公論新社中公文庫〉、2010年2月。ISBN 978-4122052895 (主に第二章、執筆担当:赤阪賢)
  11. ^ voir les articles de Meillassoux, Delafosse, et Hunwick signalés dans l'historiographie
  12. ^ 竹沢尚一郎 『西アフリカの王国を掘る--文化人類学から考古学へ』臨川書店、2014年8月。 
  13. ^ William Cooley, The Negroland of the Arabs, London, Frank Casse and Co, 1966 (2e édition) (1re édition 1841), 143 p
  14. ^ C'est-à-dire toutes les études parues après cette première hypothèse, voire les références dans la bibliographie
  15. ^ J. Vidal, « Le véritable emplacement de Mali », Bulletin du comité d'Études historiques et scientifiques de l'AOF, octobre-décembre 1923, no 4, p. 606-619.
  16. ^ M. Gaillard, « Niani ancienne capitale de l'Empire mandingue », Bulletin du comité d'études historiques et scientifiques de l'Afrique Occidentale Française, Tome VIII, 1923, p. 620-636.
  17. ^ Hirsch, Fauvelle-Aymar, « La correspondance entre Raymond Mauny et Wladislaw Filipowiak au sujet de la fouille de Niani (Guinée), capitale supposée de l'empire médiéval du Mali », in Mélange offert à Jean Boulègue, 2009 à paraître
  18. ^ On peut citer notamment Conrad et Green, voir les références pour leurs articles dans la bibliographie
  19. ^ 「ユネスコ・アフリカの歴史 第4巻(上)一二世紀から一六世紀までのアフリカ」内第六章「マリとマンディンゴ人の第二次勢力拡張」D.T.ニアヌ p212 1992年9月20日第1版第1刷 同朋舎出版
  20. ^ A. G. Hopkins (2014-09-19). An Economic History of West Africa. Routledge. ISBN 9781317868941. https://books.google.com/books?id=F_DfBgAAQBAJ&pg=PA47  p.47
  21. ^ 「ユネスコ・アフリカの歴史 第4巻(上)一二世紀から一六世紀までのアフリカ」内第七章「マリ帝国の衰退」M.リータル p256 1992年9月20日第1版第1刷 同朋舎出版
  22. ^ 「ユネスコ・アフリカの歴史 第4巻(上)一二世紀から一六世紀までのアフリカ」内第七章「マリ帝国の衰退」M.リータル p257 1992年9月20日第1版第1刷 同朋舎出版
  23. ^ 「ユネスコ・アフリカの歴史 第4巻(上)一二世紀から一六世紀までのアフリカ」内第七章「マリ帝国の衰退」M.リータル p268 1992年9月20日第1版第1刷 同朋舎出版
  24. ^ 「ユネスコ・アフリカの歴史 第4巻(上)一二世紀から一六世紀までのアフリカ」内第七章「マリ帝国の衰退」M.リータル p269 1992年9月20日第1版第1刷 同朋舎出版
  25. ^ 「マリを知るための58章」内収録「マリ帝国)」p60 竹沢尚一郎 竹沢尚一郎編著 明石書店 2015年11月15日初版第1刷発行
  26. ^ 「サハラが結ぶ南北交流」(世界史リブレット60)p50 私市正年 山川出版社 2004年6月25日1版1刷
  27. ^ 「サハラが結ぶ南北交流」(世界史リブレット60)p51 私市正年 山川出版社 2004年6月25日1版1刷
  28. ^ 「ユネスコ・アフリカの歴史 第4巻(上)一二世紀から一六世紀までのアフリカ」内第六章「マリとマンディンゴ人の第二次勢力拡張」D.T.ニアヌ p241 1992年9月20日第1版第1刷 同朋舎出版
  29. ^ 「サハラが結ぶ南北交流」(世界史リブレット60)p53 私市正年 山川出版社 2004年6月25日1版1刷
  30. ^ 「サハラが結ぶ南北交流」(世界史リブレット60)p63-64 私市正年 山川出版社 2004年6月25日1版1刷
  31. ^ 「ユネスコ・アフリカの歴史 第4巻(上)一二世紀から一六世紀までのアフリカ」内第六章「マリとマンディンゴ人の第二次勢力拡張」D.T.ニアヌ p240-241 1992年9月20日第1版第1刷 同朋舎出版
  32. ^ a b 「新書アフリカ史」第8版(宮本正興・松田素二編)、2003年2月20日(講談社現代新書)p192
  33. ^ 「ユネスコ・アフリカの歴史 第4巻(上)一二世紀から一六世紀までのアフリカ」内第六章「マリとマンディンゴ人の第二次勢力拡張」D.T.ニアヌ p234-235 1992年9月20日第1版第1刷 同朋舎出版
  34. ^ 「サハラが結ぶ南北交流」(世界史リブレット60)p60 私市正年 山川出版社 2004年6月25日1版1刷
  35. ^ 「マリを知るための58章」内収録「ジェンネ」p140 伊東未来 竹沢尚一郎編著 明石書店 2015年11月15日初版第1刷発行
  36. ^ http://www.afpbb.com/articles/-/2887349 「伝説の黄金都市トンブクトゥ、破壊の危機にある世界遺産」AFPBB 2012年7月2日 2018年6月22日閲覧
  37. ^ 「マリを知るための58章」内収録「トンブクトゥ」p145 坂井信三 竹沢尚一郎編著 明石書店 2015年11月15日初版第1刷発行
  38. ^ 「マリを知るための58章」内収録「ガオ王国(ソンガイ王国・ガオ帝国)」p64 竹沢尚一郎 竹沢尚一郎編著 明石書店 2015年11月15日初版第1刷発行
  39. ^ 「サハラが結ぶ南北交流」(世界史リブレット60)p66 私市正年 山川出版社 2004年6月25日1版1刷
  40. ^ 内藤陽介 『マリ近現代史』彩流社、2013年5月5日。ISBN 978-4-7791-1888-3  pp.11-15
  41. ^ a b c 石川, 薫; 小浜, 裕久 (2018-01). 「未解」のアフリカ. 勁草書房. ISBN 978-4-326-24847-6  pp66-71






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「マリ帝国」の関連用語

マリ帝国のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



マリ帝国のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのマリ帝国 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS