マリ帝国 マリ帝国の概要

マリ帝国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/07 09:44 UTC 版)

赤枠内がマリ帝国の版図

研究史

歴史学は19世紀に誕生した比較的新しい学問であるが、当該19世紀中ごろに哲学者ヘーゲルは『歴史哲学講義』の中で、「アフリカは人類の歴史に寄与したことがない」などと述べた[4]。ヘーゲルにとってサブサハラのアフリカ人は森の中の子供同然で、人類の発展の歴史の埒外にあった[4]。こうしたヘーゲルのアフリカ観は、以後の西洋知識人のブラックアフリカ観に影響を与えた[4]。19世紀以後に最初に中世マリの歴史を研究し始めた研究者はモリス・ドゥラフォスシャルル・モンテイユなど、植民地経営のエコシステムの中で実務官僚等として暮らすセミ・プロが主体であった。ドゥラフォスは1912年にイブン・ハルドゥーンの『イバルの書』を中心としたアラビア語文献に基づいて、以下のようなマリ王のリストを作成した。しかしながら、Levitzion (1963) などの検証によると、このリストは捏造や恣意的な解釈を含む[5]。例えば、1310年から1312年までマリ王であったとドゥラフォスが主張する「アブバカリ2世」は、イブン・ハルドゥーンが記載しておらず口承伝統にも現れない捏造である[5]:345 ff.

イブン・ハルドゥーンが示したスンジャタ以後13, 14世紀の王統図(Levtzion (1963) の検証による)[5]
  • Sundiata Keita(スンジャタ・ケイタ) (1240-1255)
  • Wali Keita (1255-1270)(マンサ・ウリ・ケイタ)
  • Ouati Keita (1270-1274)(マンサ・ワティ・ケイタ)
  • Khalifa Keita (1274-1275)(マンサ・ハリファ・ケイタ)
  • Abu Bakr (1275-1285)
  • Sakura (1285-1300)
  • Gao (1300-1305)
  • Mohammed ibn Gao (1305-1310)
  • Abubakari II (1310-1312)
  • Kankan Musa I (マンサ・ムーサ)(1312-1337)
  • Maghan (1337-1341)
  • Suleyman (1341-1360)(マンサ・スレイマン)
  • Kassa (1360)
  • Mari Diata II (1360-1374)
  • Musa II (1374-1387)(マンサ・ムーサ2世)
  • Maghan II (1387-1389)
  • Sandaki (1389-1390)
  • Madhan III (Mahmud I) (1390-1400)
  • Unknown Mansas (1400-1441)
  • Musa III (1440年代)
  • Ouali II (1460年代)
  • Mahmud II (1481-1496)
  • Mahmud III (1496-1559)
  • Mahmud IV (1590年代-1600年代)(マフムード4世)

例えばバジル・デヴィッドソン英語版レモン・モニフランス語版といった、専門の歴史学者による研究が始まるのは、植民地主義に立脚した帝国主義国家に崩壊をもたらした第二次世界大戦の後からである。「アフリカの年」1960年に始まったユネスコの記念事業、『ユネスコ・アフリカの歴史フランス語版』(l’Histoire générale de l'Afrique)の発刊(1964-1999年)は、中世マリ史研究を含むアフリカ史研究の画期になった。同書には、前世紀にヘーゲルが示したアフリカの歴史に対する認識を覆すような学術的成果が示され、中世マリ史を含めたアフリカの歴史の実相が明らかになった。その中には、特にドゥラフォスにより明らかになったように見えた、マリの君主の系譜や王国社会の構造が、根拠薄弱な推論であって実際のところは史料の不足によって文献学的に明らかにできないという結論も含まれる。

史資料論

14世紀に建てられたジンガレイベル・モスクフランス語版トンブクトゥ)のミナレット。マリ帝国においては同モスクのようなスーダーン様式フランス語版と呼ばれる建築様式が発展した[6]

サハラ以南のアフリカの諸地域について一般的に言えることではあるが、中世マリに関する歴史叙述を裏付ける資料となる史料は、北アフリカやヨーロッパに比べると、少ない[7]

最重要の史資料が、モロッコやエジプトなどの北アフリカのアラブ人やベルベル人が書き残したアラビア語文献である[7]。まず、アブー・ウバイド・バクリー(1014年頃生 - 1094年)は11世紀のサハラ以南の西アフリカについて、そこを訪れた商人からの伝聞という間接的な手段によってではあるが、いくつかの情報を書き残している[8]:82-83[9]イドリースィーは12世紀のサハラ以南の西アフリカについて、断片的な情報を残している[8]:103

最盛期のマリには多数のアラブ人やベルベル人が旅行者として訪れ、マリに関する記録をアラビア語で書き残した[7]。また、マリ人も巡礼等の目的で北アフリカやヒジャーズ地方を訪れたため、エジプトなどに彼らが語ったことの記録が残っている[7]。このようなアラビア語文献としては、イブン・ファドルッラー・ウマリー英語版イブン・バットゥータイブン・ハルドゥーンマクリーズィーらが書いた歴史書があり、これらに依拠すると13~15世紀のマリの大まかな歴史の流れがわかる[7][5][10]イブン・バットゥータ(1304年-1368年)は、1352年2月から1353年12月までサーヘル地帯を周遊した。彼の旅行記『リフラ』は唯一無二であり、マリ王国の歴史全体に関して最も重要である。イブン・バットゥータはマリの首都に8ヶ月間にわたり滞在し、町の構造に関する貴重な情報を残している。しかし彼の旅行記からは判然としない部分も数多くあることも同時に、旅行記を読むとわかり、歴史叙述の上で興味深い点がある[11]イブン・ハルドゥーン(1332年-1406年)は『イバルの書』にマリのことを記載するために、カイロまで行ってさまざまな情報を収集した。

マリ人やその子孫が書き残した文字資料も皆無というわけではなく、トンブクトゥやガオには中世西アフリカ社会内部から見たマリの歴史を書いた年代記(ターリーフ)が残されている[7]アブドゥッラフマーン・サアーディーフランス語版が書いた16世紀の『ターリーフ・スーダーンフランス語版』とマフムード・カアティフランス語版が書いた17世紀の『ターリーフ・ファッターシュフランス語版』が利用できる。ただし、どちらもソンガイ帝国の歴史を遡って叙述することに主眼があるので、マリ王国の歴史にはあまり多くの叙述量を割いていない。

さらに中世マリ史の場合は、上記文献資料のほかに利用できる史料として、「グリオ」と呼ばれる吟遊詩人による口承伝統oral tradition)が存在する点が特徴である[7]。グリオは民族の歴史や過去の王族の事跡を語り伝える職能カーストであり、その記憶内容は特定の家系で相伝される。口承伝統を利用することで、マリの歴史を外部からではなく内部から知ることができる[7]

さらに発掘調査による出土資料も重要な史料となりうると言われている[12]


  1. ^ 中世スーダーン史の専門家、ソルボンヌ大学教授
  1. ^ a b c d e Terdiman, Moshe (2010). "Mali". In Alexander, Leslie (ed.). Encyclopedia of African American History (American Ethnic Experience ed.). ABC-CLIO. pp. 66–68. ISBN 1851097694
  2. ^ a b c 『イスラム事典』平凡社、1982年4月10日。ISBN 4-582-12601-4 、「マリ帝国」の項(執筆者:川田順造)。
  3. ^ a b 赤阪賢(著)、川田順造(編)「マンデ、王国形成の先駆者たち」『民族の世界史12(黒人アフリカの歴史世界)』、山川出版社、1987年2月28日、ISBN 4-634-44120-9 
  4. ^ a b c Camara, Babacar (2005-09). “The Falsity of Hegel's Theses on Africa”. Journal of Black Studies (Sage Publications, Inc.) 36 (1): 82-96. http://www.jstor.org/stable/40027323 2018年4月26日閲覧。. 
  5. ^ a b c d Levtzion, N. (1963). “The thirteenth- and fourteenth-century kings of Mali”. Journal of African History 4 (3): 341–353. doi:10.1017/S002185370000428X. JSTOR 180027. 
  6. ^ Terdiman, Moshe (2010). "Mansa Musa". In Alexander, Leslie (ed.). Encyclopedia of African American History (American Ethnic Experience ed.). ABC-CLIO. pp. 73–74. ISBN 1851097694
  7. ^ a b c d e f g h D.T.ニアヌ(著)、D.T.ニアヌ(編)「第6章マリとマンディンゴ人の第二次勢力拡張」『一二世紀から一六世紀までのアフリカ』、同朋舎出版、1992年9月20日、188-193頁、ISBN 4-8104-1096-X 
  8. ^ a b Levtzion, Nehemia; Hopkins, John F.P., eds (2000). Corpus of Early Arabic Sources for West Africa. New York: Marcus Weiner Press. ISBN 1-55876-241-8  First published in 1981 by Cambridge University Press, ISBN 0-521-22422-5
  9. ^ Cuoq, J, Recueil des sources arabes concernant l'Afrique occidentale du VIIIe au XVIe siècle, Paris, Centre national de la recherche scientifique, 1975, 490 p (Pour toutes les sources arabes consulter ce même ouvrage).
  10. ^ 福井勝義大塚和夫、赤阪賢『世界の歴史24(アフリカの民族と社会)』中央公論新社中公文庫〉、2010年2月。ISBN 978-4122052895 (主に第二章、執筆担当:赤阪賢)
  11. ^ voir les articles de Meillassoux, Delafosse, et Hunwick signalés dans l'historiographie
  12. ^ 竹沢尚一郎『西アフリカの王国を掘る--文化人類学から考古学へ』臨川書店、2014年8月。 
  13. ^ William Cooley, The Negroland of the Arabs, London, Frank Casse and Co, 1966 (2e édition) (1re édition 1841), 143 p
  14. ^ C'est-à-dire toutes les études parues après cette première hypothèse, voire les références dans la bibliographie
  15. ^ J. Vidal, « Le véritable emplacement de Mali », Bulletin du comité d'Études historiques et scientifiques de l'AOF, octobre-décembre 1923, no 4, p. 606-619.
  16. ^ M. Gaillard, « Niani ancienne capitale de l'Empire mandingue », Bulletin du comité d'études historiques et scientifiques de l'Afrique Occidentale Française, Tome VIII, 1923, p. 620-636.
  17. ^ Hirsch, Fauvelle-Aymar, « La correspondance entre Raymond Mauny et Wladislaw Filipowiak au sujet de la fouille de Niani (Guinée), capitale supposée de l'empire médiéval du Mali », in Mélange offert à Jean Boulègue, 2009 à paraître
  18. ^ On peut citer notamment Conrad et Green, voir les références pour leurs articles dans la bibliographie
  19. ^ 「ユネスコ・アフリカの歴史 第4巻(上)一二世紀から一六世紀までのアフリカ」内第六章「マリとマンディンゴ人の第二次勢力拡張」D.T.ニアヌ p212 1992年9月20日第1版第1刷 同朋舎出版
  20. ^ A. G. Hopkins (2014-09-19). An Economic History of West Africa. Routledge. ISBN 9781317868941. https://books.google.com/books?id=F_DfBgAAQBAJ&pg=PA47  p.47
  21. ^ 「ユネスコ・アフリカの歴史 第4巻(上)一二世紀から一六世紀までのアフリカ」内第七章「マリ帝国の衰退」M.リータル p256 1992年9月20日第1版第1刷 同朋舎出版
  22. ^ 「ユネスコ・アフリカの歴史 第4巻(上)一二世紀から一六世紀までのアフリカ」内第七章「マリ帝国の衰退」M.リータル p257 1992年9月20日第1版第1刷 同朋舎出版
  23. ^ 「ユネスコ・アフリカの歴史 第4巻(上)一二世紀から一六世紀までのアフリカ」内第七章「マリ帝国の衰退」M.リータル p268 1992年9月20日第1版第1刷 同朋舎出版
  24. ^ 「ユネスコ・アフリカの歴史 第4巻(上)一二世紀から一六世紀までのアフリカ」内第七章「マリ帝国の衰退」M.リータル p269 1992年9月20日第1版第1刷 同朋舎出版
  25. ^ 「マリを知るための58章」内収録「マリ帝国)」p60 竹沢尚一郎 竹沢尚一郎編著 明石書店 2015年11月15日初版第1刷発行
  26. ^ 「サハラが結ぶ南北交流」(世界史リブレット60)p50 私市正年 山川出版社 2004年6月25日1版1刷
  27. ^ 「サハラが結ぶ南北交流」(世界史リブレット60)p51 私市正年 山川出版社 2004年6月25日1版1刷
  28. ^ 「ユネスコ・アフリカの歴史 第4巻(上)一二世紀から一六世紀までのアフリカ」内第六章「マリとマンディンゴ人の第二次勢力拡張」D.T.ニアヌ p241 1992年9月20日第1版第1刷 同朋舎出版
  29. ^ 「サハラが結ぶ南北交流」(世界史リブレット60)p53 私市正年 山川出版社 2004年6月25日1版1刷
  30. ^ 「サハラが結ぶ南北交流」(世界史リブレット60)p63-64 私市正年 山川出版社 2004年6月25日1版1刷
  31. ^ 「ユネスコ・アフリカの歴史 第4巻(上)一二世紀から一六世紀までのアフリカ」内第六章「マリとマンディンゴ人の第二次勢力拡張」D.T.ニアヌ p240-241 1992年9月20日第1版第1刷 同朋舎出版
  32. ^ a b 「新書アフリカ史」第8版(宮本正興・松田素二編)、2003年2月20日(講談社現代新書)p192
  33. ^ 「ユネスコ・アフリカの歴史 第4巻(上)一二世紀から一六世紀までのアフリカ」内第六章「マリとマンディンゴ人の第二次勢力拡張」D.T.ニアヌ p234-235 1992年9月20日第1版第1刷 同朋舎出版
  34. ^ 「サハラが結ぶ南北交流」(世界史リブレット60)p60 私市正年 山川出版社 2004年6月25日1版1刷
  35. ^ 「マリを知るための58章」内収録「ジェンネ」p140 伊東未来 竹沢尚一郎編著 明石書店 2015年11月15日初版第1刷発行
  36. ^ https://www.afpbb.com/articles/-/2887349 「伝説の黄金都市トンブクトゥ、破壊の危機にある世界遺産」AFPBB 2012年7月2日 2018年6月22日閲覧
  37. ^ 「マリを知るための58章」内収録「トンブクトゥ」p145 坂井信三 竹沢尚一郎編著 明石書店 2015年11月15日初版第1刷発行
  38. ^ 「マリを知るための58章」内収録「ガオ王国(ソンガイ王国・ガオ帝国)」p64 竹沢尚一郎 竹沢尚一郎編著 明石書店 2015年11月15日初版第1刷発行
  39. ^ 「サハラが結ぶ南北交流」(世界史リブレット60)p66 私市正年 山川出版社 2004年6月25日1版1刷
  40. ^ 内藤陽介『マリ近現代史』彩流社、2013年5月5日。ISBN 978-4-7791-1888-3  pp.11-15
  41. ^ a b c 石川, 薫; 小浜, 裕久 (2018-01). 「未解」のアフリカ. 勁草書房. ISBN 978-4-326-24847-6  pp66-71


「マリ帝国」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「マリ帝国」の関連用語

マリ帝国のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



マリ帝国のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのマリ帝国 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS