ニザーム王国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/18 06:59 UTC 版)
- ハイダラーバード藩王国
- Hyderabad State
-
← 1724年 - 1948年 →
→(国旗) (国章)
1909年の領土
(黄緑のベラール地方は1853年からイギリス領)-
公用語 ウルドゥー語、テルグ語、カンナダ語、ペルシア語、マラーティー語 首都 アウランガーバード、ハイダラーバード - ニザーム
-
1724年 - 1748年 アーサフ・ジャー1世 1762年 - 1803年 アーサフ・ジャー2世 1911年 - 1948年 アーサフ・ジャー7世 - 面積
-
不明 215,339km² - 変遷
-
1724年 シャカル・ケーダーの戦いによりムガル帝国から独立 1798年 イギリスとの軍事保護条約により藩王国化 1948年 ポロ作戦によりインドへと併合
1724年、ニザーム王国はムガル帝国の宰相カマルッディーン・ハーンにより創始され、歴代の君主は帝国から与えられた「ニザーム」の称号を名乗った。1798年より前はハイダラーバード王国あるいはニザーム王国、1798年以降は藩王国化したことでニザーム藩王国あるいはハイダラーバード藩王国となった。
イギリス植民地下においてはマイソール藩王国やジャンムー・カシュミール藩王国同様に広大な領土を持つ藩王国であり、ニザーム藩王国の領土面積はインド最大であった。また、イギリスが定めた藩王国の序列の筆頭に位置づけられ、藩王を迎える際の礼砲の発数は、独立国家の元首に準じた「21発」と規定されていた。
- ^ "haider" は 英語: lion、英語: Hyderabad state または 英語: braveの意。"abad" は 英語: city の意。
- ^ a b c d チャンドラ『近代インドの歴史』、p.14
- ^ a b Hyderabad 3
- ^ a b チャンドラ『近代インドの歴史』、p.9
- ^ Mir Qamaruddin Chin Qilij Khan - Nizam I ASAF JAHI DYNASTY
- ^ Short Essay on British Supremacy in South India
- ^ Hyderabad Events and dates, Important history dates for hyderabad
- ^ a b 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.172
- ^ 小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.213
- ^ 小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.215
- ^ a b Hyderabad 4
- ^ a b チャンドラ『近代インドの歴史』、p.60
- ^ 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.220
- ^ a b 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』年表、p.42
- ^ 小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.219
- ^ Full text of "A History Of Administrative Reforms In Hyderabad State"
- ^ チャンドラ『近代インドの歴史』、p.71
- ^ a b 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.206
- ^ a b c d e 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.207
- ^ a b 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』年表、p.44
- ^ Anglo-Maratha Relations, 1785-96 - Sailendra Nath Sen - Google ブックス
- ^ a b c d 小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.277
- ^ チャンドラ『近代インドの歴史』、p.76
- ^ 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.208
- ^ The Ceded Districts, the Circars, and the Nizam
- ^ 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』年表、p.46
- ^ ガードナー『イギリス東インド会社』、p.325
- ^ a b c d ハイデラバード藩王国
- 1 ニザーム王国とは
- 2 ニザーム王国の概要
- 3 名称
- 4 参考文献
- ニザーム王国のページへのリンク