デーブ・スチュワート (野球) デーブ・スチュワート (野球)の概要

デーブ・スチュワート (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/14 01:04 UTC 版)

デーブ・スチュワート
Dave Stewart
2009年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州オークランド
生年月日 (1957-02-19) 1957年2月19日(66歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1975年 ドラフト16巡目でロサンゼルス・ドジャースから指名
初出場 1978年9月22日
最終出場 1995年7月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

経歴

セント・エリザベス高校を経て、1975年MLBドラフト16巡目でロサンゼルス・ドジャースに指名され契約。

1978年9月22日にメジャーデビューを果たしたが、このときは1試合に登板したのみで翌年以後は再びマイナーに降格し、次にメジャーに昇格するのは、チームがワールドシリーズ制覇を果たした1981年であった。

1982年に14先発して9勝。

1983年シーズン途中にテキサス・レンジャーズに移籍し、両チーム合計で10勝(先発は9試合)。

1984年にようやくほぼ年間を通じて先発ローテーション入りを果たすが7勝14敗に終わる。

1985年は再びブルペンに降格。シーズン途中にフィラデルフィア・フィリーズに移籍。この頃、外国人投手を探していた読売ジャイアンツが獲得を検討したが、スチュワートに買春容疑がかけられていたため獲得を断念した。

1986年途中に生まれ故郷のオークランド・アスレチックスに移籍。シーズン後半には先発ローテーションに定着し、9勝を挙げる。

1987年にようやく開花して、この年20勝を挙げる。以後1990年まで4年連続で20勝を挙げ、エースとして君臨。1988年からのチームのア・リーグ3連覇に貢献。ただし、4年連続20勝をあげながら、サイ・ヤング賞には一度も選ばれなかった。投票では1989年の2位が最高で、1987年と1990年は3位、1988年は4位であった。同時期に活躍し、サイ・ヤング賞の常連であったロジャー・クレメンスと先発で投げ合った試合は、7勝1敗と圧倒していた。

1989年には、サンフランシスコ・ジャイアンツとのワールドシリーズ第1戦に先発し、完封勝利を収める。第3戦の試合開始前にサンフランシスコ・オークランド一帯を大地震が襲い、シリーズは10日間中断。12日ぶりに再開された第3戦で再び先発し、3点を許したものもこのシリーズ2勝目を挙げてチームの4連勝に貢献。この活躍でワールドシリーズMVPベーブ・ルース賞に選ばれた。また、ポストシーズンに強く、通算18試合に先発して10勝6敗、防御率2.84であった。

1990年6月29日トロント・ブルージェイズ戦(スカイドーム)でノーヒットノーランを達成[1]。その年のア・リーグチャンピオンシップシリーズ (ALCS) ではMVPに選ばれる。これも含め、LCSでの通算8勝は、ア・リーグ、ナ・リーグを問わずLCSの最多記録である(2位はアンディ・ペティットジョン・スモルツの6勝)。また、この8勝の間敗戦はなく、8連勝も歴代最多記録である。同年のワールドシリーズではシンシナティ・レッズに4連敗を喫したが、この年社会貢献が認められてロベルト・クレメンテ賞を受賞した。

1992年に再びチームは地区優勝を果たすが、ACLSでブルージェイズに敗れる。

1993年にはそのブルージェイズに移籍し、12勝をあげて地区優勝に貢献。シカゴ・ホワイトソックスとのALCSでは再びMVPに選ばれる。かつて在籍したフィリーズとのワールドシリーズでは第2戦と第6戦に先発。勝利投手にはなれなかったが第6戦ではジョー・カーターのサヨナラホームランが出て、自身2度目のワールドチャンピオンに輝いた。

その後は成績が下降し、1995年に古巣・アスレチックスに復帰し、同年を最後に現役を引退した(なお、最後のシーズンは背番号『35』をつけている)。引退後は、メジャー3球団で投手コーチ、ブルージェイズのGM補佐などを務めた。

2014年9月25日アリゾナ・ダイヤモンドバックスのGMに就任。

スチュワートのアスレチックス在籍時の背番号「34」。
オークランド・アスレチックスの永久欠番2022年に指定。

2019年、古巣アスレチックスはスチュワートの在籍時の背番号『34』を永久欠番に指定することを発表[2]し、すでに『34』はチームの先輩でもあったローリー・フィンガーズの永久欠番に指定されており、こちらもアンドレ・ドーソンエクスポズの「10」)・ブルース・スーターカージナルスの「42」)・マリアノ・リベラヤンキースの「42」)に次ぐ永久欠番追加指定選手となった。 永久欠番表彰式は2020年に行われる予定だったが、直後に起きた新型コロナウイルス感染症の影響により翌2021年に延期となるも、感染が収まらなかったため再度延期となった。そしてスチュワートの永久欠番表彰式は2022年9月11日にようやく行われた[3]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1978 LAD 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 6 2.0 1 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00 0.50
1981 32 0 0 0 0 4 3 6 -- .571 184 43.1 40 3 14 5 0 29 4 0 13 12 2.49 1.25
1982 45 14 0 0 0 9 8 1 -- .529 616 146.1 137 14 49 11 2 80 3 0 72 62 3.81 1.27
1983 46 1 0 0 0 5 2 8 -- .714 328 76.0 67 4 33 7 2 54 2 0 28 25 2.96 1.32
TEX 8 8 2 0 1 5 2 0 -- .714 237 59.0 50 2 17 0 2 24 1 0 15 14 2.14 1.14
'83計 54 9 2 0 1 10 4 8 -- .714 565 135.0 117 6 50 7 4 78 3 0 43 39 2.60 1.24
1984 32 27 3 0 0 7 14 0 -- .333 847 192.1 193 26 87 3 4 119 12 0 106 101 4.73 1.46
1985 42 5 0 0 0 0 6 4 -- .000 361 81.1 86 13 37 5 2 64 5 1 53 49 5.42 1.51
PHI 4 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 22 4.1 5 0 4 0 0 2 2 0 4 3 6.23 2.08
'85計 46 5 0 0 0 0 6 4 -- .000 383 85.2 91 13 41 5 2 66 7 1 57 52 5.46 1.54
1986 8 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 56 12.1 15 1 4 0 0 9 1 3 9 9 6.57 1.35
OAK 29 17 4 1 0 9 5 0 -- .643 644 149.1 137 15 65 0 3 102 9 0 67 62 3.74 1.54
'86計 37 17 3 1 0 9 5 0 -- .643 700 161.2 152 16 69 0 3 111 10 3 76 71 3.95 1.37
1987 37 37 8 1 1 20 13 0 -- .606 1103 261.1 224 24 105 2 6 205 11 0 121 107 3.68 1.26
1988 37 37 14 2 2 21 12 0 -- .636 1156 275.2 240 14 110 5 3 192 14 16 111 99 3.23 1.27
1989 36 36 8 0 2 21 9 0 -- .700 1081 257.2 260 23 69 0 6 155 13 0 105 95 3.32 1.28
1990 36 36 11 4 2 22 11 0 -- .667 1088 267.0 226 16 83 1 5 166 8 0 84 76 2.56 1.16
1991 35 35 2 1 0 11 11 0 -- .500 1014 226.0 245 24 105 1 9 144 12 0 135 130 5.18 1.55
1992 31 31 2 0 0 12 10 0 -- .545 838 199.1 175 25 79 1 8 130 3 1 96 81 3.66 1.27
1993 TOR 26 26 0 0 0 12 8 0 -- .600 687 162.0 146 23 72 0 4 96 4 1 86 80 4.44 1.35
1994 22 22 1 0 0 7 8 0 -- .467 602 133.1 151 26 62 4 4 111 6 0 89 87 5.87 1.60
1995 OAK 16 16 0 0 0 3 7 0 -- .300 381 81.0 101 11 39 1 2 58 8 1 65 62 6.89 1.73
通算:16年 523 348 55 9 8 168 129 19 -- .566 11251 2629.2 2499 264 1034 46 62 1741 118 23 1259 1154 3.95 1.34
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

表彰 


  1. ^ 同日、数時間後にフェルナンド・バレンズエラ(ドジャース)がセントルイス・カージナルス戦でノーヒットノーランを達成。メジャー史上初めて同じ日に両リーグでノーヒットノーランが達成された日となった。
  2. ^ “アスレチックス・スチュワート氏も永久欠番入り”. 日刊スポーツ. (2019年8月26日). https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/201908260000187.html 2019年8月28日閲覧。 
  3. ^ “'It's special, man': Oakland native Stewart has jersey retired by A's”. MLB.com. (2022年9月12日). https://www.mlb.com/news/dave-stewart-has-jersey-retired-by-oakland-athletics 2022年12月29日閲覧。 


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