セルジューク朝 セルジューク朝の概要

セルジューク朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/17 10:05 UTC 版)

セルジューク帝国
آلِ سلجوق


1038年 - 1194年

(国旗)

セルジューク帝国の最大版図(1092年)
公用語 ペルシア語アラビア語オグズ語テュルク諸語のひとつ)
首都 (以下は大セルジューク朝の本拠地である)
君主
1038年 - 1063年 トゥグリル・ベグ(初代)
1118年 - 1157年アフマド・サンジャル(大セルジューク朝最後)
1303年 - 1308年マスウード2世(最後の地方政権のルーム・セルジューク朝の最後)
面積
1080年推定[1]3,900,000km²
変遷
成立 1038年
バグダッド入城1055年
マラズギルトの戦い1071年
大セルジューク朝の解体1157年
最後の地方政権のルーム・セルジューク朝滅亡1308年
イランの歴史
イランの歴史
イランの先史時代英語版
原エラム
エラム
ジーロフト文化英語版
マンナエ
メディア王国
ペルシア帝国
アケメネス朝
セレウコス朝
アルサケス朝
サーサーン朝
イスラームの征服
ウマイヤ朝
アッバース朝
ターヒル朝
サッファール朝
サーマーン朝
ズィヤール朝
ブワイフ朝 ガズナ朝
セルジューク朝 ゴール朝
ホラズム・シャー朝
イルハン朝
ムザッファル朝 ティムール朝
黒羊朝 白羊朝
サファヴィー朝
アフシャール朝
ザンド朝
ガージャール朝
パフラヴィー朝
イスラーム共和国

セルジューク朝 (ペルシア語: سلجوقیان‎, 現代トルコ語: Büyük Selçuklu Devleti) は、11世紀から12世紀にかけて現在のイランイラクトルクメニスタンを中心に存在したイスラム王朝大セルジューク朝1038年から1157年まで続き、最後の地方政権のルーム・セルジューク朝1308年まで続いた。


  1. ^ Rein Taagepera (September 1997). "Expansion and Contraction Patterns of Large Polities: Context for Russia". International Studies Quarterly. 41 (3): 496. doi:10.1111/0020-8833.00053. Retrieved 13 September 2016


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