ステパン・マカロフ
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ステパン・オーシポヴィチ・マカロフ(ロシア語: Степа́н О́сипович Мака́ров, ラテン文字転写: Stepan Osipovich Makarov, スチパーン・オースィパヴィチュ・マカーラフ; ウクライナ語: Макаров Степан Осипович; ユリウス暦1848年12月27日(グレゴリオ暦1849年1月8日) - ユリウス暦1904年3月31日(グレゴリオ暦4月13日))は、ロシア帝国の海軍軍人、海軍中将、海洋学者。ロシア帝国科学アカデミー会員。海洋学に造詣の深い名将であったが、日露戦争において戦死した[1]。
注釈
出典
- ^ a b “マカロフとは”. コトバンク. 2020年5月23日閲覧。
- ^ a b Polutov 2012.
- ^ 富山市史編纂委員会編 『富山市史 第二巻』p130 1960年 富山市
- ^ a b 岩城之徳「啄木と日露戦争」『石川啄木とその時代』おうふう、1995年、pp.30 - 33
- ^ 岩城之徳「啄木と日露戦争」『石川啄木とその時代』おうふう、1995年、pp.23 - 25
- ^ 濱田浩一郎『日本人はこうして戦争をしてきた』青林堂、2012年 ISBN 4792604540
- ^ 伊勢雅臣『世界が称賛する 国際派日本人』扶桑社、2016年 ISBN 4594075681
- ^ 岩城之徳「平成新時代の啄木研究展望」『石川啄木とその時代』おうふう、1995年、p.100
- 1 ステパン・マカロフとは
- 2 ステパン・マカロフの概要
- 3 日露戦争までの来歴
- 4 日露戦争
- 5 脚注
- 6 外部リンク
固有名詞の分類
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