スタンフォード (コネチカット州)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 10:15 UTC 版)
スタンフォードは治安が良く、マンハッタンから車で45分-1時間程度の通勤圏に位置していることから、ニューヨーク日本人学校を有する西隣のグリニッジや全米有数の高級住宅地として知られるニューカナーンと共にニューヨークの衛星都市として発展している。立地条件の良さから、スタンフォードに本社を置く大企業も数多い。2005年には、スタンフォードはユナイテッド・ステーツ・リビング誌(United States Living)の投票で「最も住みやすい都市」に選ばれた。
歴史
古くは、ネイティブ・アメリカンたちの間ではこの地はリッポワム(Rippowam)と呼ばれていた。ヨーロッパ人が入植してからもしばらくはこの名で呼ばれていたが、やがてイングランド・リンカンシャー州の同名の町にちなんでスタンフォードと改名された。1640年7月1日、入植者側のターナー大尉とネイティブ・アメリカンのチーフ・ポニュスとの間で証書が調印され、入植者はコート12着、鍬12本、まさかり12本、めがね12着、ナイフ12本、鍋4個、ネイティブ・アメリカンが当時貨幣として用いていた貝殻製の玉4尋と引き換えに、スタンフォードの土地を購入した。その後も何度か交渉が行なわれ、1700年、ついにネイティブ・アメリカンは多額の金を受け取って土地を入植者に明け渡した。
初期のスタンフォードにおける主産業は海岸線沿いで行なわれた商業であった。スタンフォードがニューヨークに近かったため、商業で入植地を成り立たせることが可能だったのである。
19世紀後半に入ると、ニューヨークの住民たちがスタンフォードの海岸線沿いに夏の別荘を建てるようになった。また、スタンフォードに移住し、マンハッタンに通勤する者も出てきた。時代が下るにつれて、スタンフォードは別荘地としてよりも住宅地としての人気が高まっていった。人口も増加し、1893年、スタンフォードは正式な市になった。
変わったところでは、スタンフォードは電気カミソリ発祥の地でもある。1940年頃、アトランティック通りに社屋を構えていたシックは1,000人を超える従業員を雇っていた。
再開発
その長い歴史にもかかわらず、スタンフォードには歴史的な建物はほとんど残っていない。その要因としては、1960年代から1970年代にかけて行なわれた大規模な都市再開発が挙げられる。再開発によって、それまで歴史的な建物が多く建っていたダウンタウンは高層ビルの建ち並ぶ近代的なビジネス街へと変貌した。こうした開発は、F.D.リッチ(F.D. Rich Co.)によって行なわれた。
再開発は論議を巻き起こすものであった。ダウンタウンの住民グループは9ブロックを取り壊し、地元企業400社と住民1,100家族が追われることになるこの開発計画に対し、訴訟を起こした。
1960年代、F.D.リッチはダウンタウンにスタンフォードで最も高い建物となるランドマーク・ビルディング(Landmark Building)とGTEビルディング(GTE Building)を建てた。GTEビルディングは現在ではワン・スタンフォード・フォーラム(One Stamford Forum)となっている。同時期に建てられたスタンフォード・マリオットは、最上階にロングアイランド湾を望むレストランを有している。さらに1970年代にはテン・スタンフォード・フォーラム(10 Stamford Forum)が、1980年代には敷地90,000m²以上を有するショッピングモール、スタンフォード・タウン・センター(Stamford Towne Center)や、フォー・スタンフォード・フォーラム(4 Stamford Forum)、シックス・スタンフォード・フォーラム(6 Stamford Forum)、エイト・スタンフォード・フォーラム(8 Stamford Forum)といったビルを建てた。これらの近代的な建物は、スタンフォードのダウンタウンの姿を大きく変えた。
州間高速道路95号線(I-95)に並行するトレッサー大通り(Tresser Boulevard)沿いの建物は、トレッサー通りに駐車場の出入口を有し、I-95側はガラス張りになっていた。F.D.リッチの創始者一家であるリッチ家は歩行者に優しくない道を作ったとして批判され、トレッサー通りは建築・都市デザインの批評家たちから不評を買った。これに対し、F.D.リッチの社長、ロバート・N・リッチ(Robert N. Rich)は、1999年にニューヨーク・タイムズの記者に対し、「道は歩行者のために作ったのではない。GTEはニューヨークで爆弾テロに遭ったからスタンフォードに来たのだ。犯罪はニューヨークでは問題だった。だからニューヨークの建物は、内部が見通せないように設計されていたのだ。」と反論した。
F.D.リッチと共にダウンタウンの再開発を進めた企業としては、アンタレス(Antares)やW&M不動産(W&M Properties)が挙げられる。前者はダウンタウンのコンドミニアム建設プロジェクトを進めた。後者はアムトラックのスタンフォード駅の南にメトロ・センター(Metro Center)というビルを建て、現在も同ビルを所有している。同ビルにはトロントに本社を置く情報企業、トムソン(Thomson Corporation)がオペレーション拠点を構えている。
1980年代後半に入ると不動産価格が暴落し、1990年代前半にかけて、F.D.リッチはほぼ全ての資産を売却しなければならなかった。しかし、ランドマーク・スクエア(Landmark Square)での貸室事業は続けていた。現在でもF.D.リッチはランドマーク・ビルディングに本社を構えている。最近、F.D.リッチはサマー通り(Summer Street)とブロード通り(Broad Street)の角にコートヤード・バイ・マリオットを建てた。F.D.リッチは同ホテルを所有している。また、ダウンタウンの演技芸術センターであるリッチ・フォーラム(Rich Forum)は、リッチ家にちなんで名付けられた。
地理と都市概観
スタンフォードは北緯41度5分48秒 西経73度33分8秒 / 北緯41.09667度 西経73.55222度に位置している。アメリカ合衆国統計局によると、スタンフォード市は総面積134.9km²(52.1mi²)である。そのうち97.8km²(37.8mi²)が陸地で37.1km²(14.3mi²)が水域である。総面積の27.52%が水域となっている。
ダウンタウンはビジネス街ではあるが、市がニューヨークの郊外都市としての性格も持っていることから、高層アパートやコンドミニアムも多く建っている。また、ダウンタウンにはスタンフォード・タウン・センターというショッピングモールもある。市の南側、サウス・エンド地区(South End)は重工業が集中する工業地区である。一方、北側のノース・スタンフォード地区(North Stamford、郵便番号06903)は全米有数の高級住宅地であり、住民の所得水準は同じく高級住宅地として知られる北東隣のニューカナーンや西隣のグリニッジをしのぐ。
住宅事情
スタンフォードはニューヨークに近く、治安も良いことから、住宅地としての人気が高く、そのため複雑な住宅事情を抱えている。ダウンタウンの北側、特にストロベリーヒル通り(Strawberry Hill Avenue)沿いには高層アパートやコンドミニアムが多く建っている。グレンブルック地区(Glenbrook)やコーブ地区(The Cove)にもコンドミニアムが多い。一方、ウェストオーバー(Westover)、シッパン(Shippan)、ノース・スタンフォードの各地区には一戸建ての高級住宅が並ぶ。地価が高いため、北東部の他の主要都市で見られるようなダウンタウンの荒廃はスタンフォードではほとんど見られない。しかし、サウス・エンド地区やインナーシティのウェスト・サイド地区(West Side)、ウォーターサイド地区(Waterside)の一部には地価の高いダウンタウンや市内の他地区に住めない貧民が集中し、過密状態に陥ったスラムが広がっており、スタンフォードにおける貧富の差の大きさを物語っている。
- ^ “Quickfacts.census.gov”. 2023年8月16日閲覧。
- ^ “Connecticut-Demographics.com”. 2023年8月16日閲覧。
- 1 スタンフォード (コネチカット州)とは
- 2 スタンフォード (コネチカット州)の概要
- 3 産業
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