シュタージ 歴史

シュタージ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/02 06:42 UTC 版)

歴史

ツァイサー(左)とヴォルヴェーバー(右)

1947年8月16日、東ドイツのソ連占領軍当局は「第5委員部(K-5)」(秘密警察組織)を創設した。その委員(大臣に相当)には、ヴィルヘルム・ツァイサードイツ語版を、副委員にはエーリッヒ・ミールケを任命した。形式上、K-5は人民警察刑事局に従属した。

東ドイツでは、1949年ドイツ民主共和国建国以前からソ連軍軍政下に自治組織であるドイツ経済委員会ドイツ語版(DWK)があり、「人民警察」(Volkspolizei、略してフォーポ―)も組織されていた。この「人民警察」は「兵営人民警察」を経て国家人民軍となった。また、K-5やシュタージの創設にはナチス政権時代の秘密警察ゲシュタポ国家保安本部第III局と第VI局で国内諜報や国外諜報を担当した親衛隊情報部(SD)の出身者が相当数採用されたとの説もあるが、真偽や詳細については不明な部分がほとんどである。

1949年のドイツ民主共和国建国後、1950年に国家保安省が創設された[3]。国家保安相にはツァイサーが、次官はミールケが任命された。1951年、後のHVA(HV A)となる外交政策諜報機関(APN)が経済学研究所(IPW)という名称で外務省の管轄下で設立される[4]。APNは1953年に同組織の職員が西側に亡命するまで、諜報機関とは認識されていなかった[5]1953年、ミールケはベルリン暴動と関連して、ツァイサーを弾劾し、ツァイサーは解任された。1953年7月には、国家保安省の地位は低下し、内務省に従属する庁扱いとなった[6]。内務省国家保安局長には、エルンスト・ヴォルヴェーバードイツ語版が、副局長にはミールケが任命された。APNもこの時、内務省国家保安局の第15課に編入された[6]

ヴィルヘルム・ピーク大統領(右背広姿の人物)80歳の祝辞を述べるミールケ
左背広姿の人物がヴォルヴェーバー

1955年、シュタージは省の地位を取り戻した。ミールケは、ヴァルター・ウルブリヒトドイツ社会主義統一党第一書記)支持の際、ヴォルヴェーバーを弾劾した。1957年11月1日、ヴォルヴェーバーは、健康上の理由で辞任し、ミールケが国家保安相となった[7]。ミールケの下で、シュタージにはソ連国家保安委員会(KGB)と同様の軍隊式の階級制度および制服が導入され、ミールケ自身は少将となった(1959年に中将)。

1958年、シュタージに対外諜報を担当する「A」総局(HV A)が創設された。「A」とは偵察を意味するドイツ語の「Aufklärung」の頭文字である。「A」総局長兼国家保安省次官には、マルクス・ヴォルフ少将が任命された。

1971年、シュタージの策動の下ウルブリヒトは第一書記退任に追い込まれ、エーリッヒ・ホーネッカーと交代した。ホーネッカーは感謝の印に、ミールケをドイツ社会主義統一党政治局員候補にした。

1986年、ヴォルフが辞任。ヴォルフの後任には、ヴェルナー・グロスマンが任命された。1989年時点で、「A」局では4,000人強の職員が働いており[8][9]、各国に4,500人以上のエージェントを有していた。

1989年11月9日ベルリンの壁が崩壊し、シュタージは国家保安局Staatssicherheitdienst、略号: SSD」に改称したが、翌12月に解散した。


  1. ^ a b 熊谷(2007年)、13頁。
  2. ^ a b c アナ(2005年)、78頁。
  3. ^ 若尾祐司井上茂子『ドイツ文化史入門 16世紀から現代まで』昭和堂、2011年、311頁。ISBN 978-4-8122-1139-7 
  4. ^ 熊谷(2007年)、12頁。
  5. ^ 熊谷(2007年)、54-55頁。
  6. ^ a b 熊谷(2007年)、56頁。
  7. ^ アナ(2005年)、79-80頁。
  8. ^ a b 熊谷(2007年)、17頁。
  9. ^ a b 関根(1995年)、206頁。
  10. ^ a b 熊谷(2007年)、120頁。
  11. ^ a b c ウルリヒ(2019年)、195頁。
  12. ^ 関根(1995年)、184頁。
  13. ^ a b 関根(1995年)、189-190頁。
  14. ^ 桑原(1993年)、28頁。
  15. ^ a b アッシュ(2002年)、95頁。
  16. ^ a b 桑原(1993年)、19-20頁。
  17. ^ 熊谷(2007年)、14頁。
  18. ^ "Berlin at War" by Roger Moorhouse/「戦時下のベルリン」高儀進訳 白水社.P.293-326
  19. ^ 「闇は、まだ広がっている」 旧東ドイツ・ドーピング被害者の告白 - withnews
  20. ^ Hubertus Knabe: The dark secrets of a surveillance state, TED Salon, Berlin, 2014
  21. ^ かつての東西ドイツを震え上がらせた秘密警察「シュタージ」のアーカイヴ施設に潜入してみた - WIRED.jp
  22. ^ [1], Stanford.edu
  23. ^ Russia uses dirty tricks despite U.S. 'reset'
  24. ^ Russian spy agency targeting western diplomats, The Guardian, 2011-7-23
  25. ^ The Stasi's "Zersetzung" Tactics And Gang Stalking - SAGACIOUS NEWS
  26. ^ 熊谷(2007年)、21頁。
  27. ^ 熊谷(2007年)、23-24頁。
  28. ^ 熊谷(2007年)、31頁。
  29. ^ a b 熊谷(2007年)、34頁。
  30. ^ a b 熊谷(2007年)、35頁。
  31. ^ 熊谷(2007年)、37頁。
  32. ^ 熊谷(2007年)、24頁。
  33. ^ 「我々は平和のためのスパイだった」、旧東ドイツの情報員らが主張 国際ニュース:AFPBB News
  34. ^ Stasi spy shot West German protester in inflammatory 1967 killingDeutsche Welle
  35. ^ 副島美由紀「ベンノ・オーネゾルクの新たな追悼に向けて:シュタージ文書の発見・ウーヴェ・ティムの『友と異邦人』・ドイツの"68年"と暴力」『Language Studies : 言語センター広報』第18巻、小樽商科大学言語センター、2010年1月、3-14頁、ISSN 09193006NAID 120001968710 
  36. ^ プーチン氏の秘密警察身分証、ドイツで発見 旧東独シュタージ用(2018年12月12日 BBC 2019年12月8日閲覧)





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