サーサーン朝 年表

サーサーン朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/17 23:41 UTC 版)

年表

  • 208年:バーバクがパールス地方を統一。サーサーン朝の基礎を起こす。
  • 226年:アルダシール1世がパルティア(アルサケス朝)を滅ぼし、イラン・イラクを統一。
  • 240年頃:シャープール1世、クシャーナに遠征し、ガンダーラを奪う。
  • 260年:シャープール1世、エデッサの戦いでローマ軍と戦い、ウァレリアヌスを捕える。
  • 350年頃:シャープール2世、クシャーナを破り、再度征服。
  • 363年:シャープール2世、ユリアヌスを敗死させる。
  • 409年:キリスト教寛容令。
  • 425年:エフタルの侵入。
  • 428年:アルメニア王国を廃絶し、サーサーン朝の知事を置く。
  • 484年:ペーローズ1世、 エフタルとの戦いで戦死。
  • 540年:ホスロー1世、アンティオキアを占領。
  • 567年:ホスロー1世、エフタルを滅ぼす。
  • 575年:ホスロー1世、イエメンを占領。
  • 616年:ホスロー2世、東ローマ領のシリアエジプトを占領。
  • 627年:ニネヴェの戦いで東ローマ・ヘラクレイオス朝のヘラクレイオスに敗れ、クテシフォン近郊への侵攻を許す。
  • 628年:ホスロー2世暗殺、息子のカワード2世はヘラクレイオスと和睦、占領地を奪回される。
  • 637年:カーディシーヤの戦いでイスラム軍に敗れ、クテシフォンを占領される。
  • 642年:ハマダーン近くのニハーヴァンドの戦いで敗北。
  • 651年:ヤズデギルド3世が逃亡先で暗殺され、サーサーン朝滅亡。

歴代君主

サーサーン朝系図

歴代君主の称号は全てシャーハンシャー(諸王の王)である。

  1. アルダシール1世 (224年-241年)
  2. シャープール1世 (241年-272年)
  3. ホルミズド1世 (272年-273年)
  4. バハラーム1世 (273年-276年)
  5. バハラーム2世 (276年-293年)
  6. バハラーム3世 (293年)
  7. ナルセ1世 (293年-302年)
  8. ホルミズド2世 (302年-309年)
  9. アードゥルナルセ (309年)
  10. シャープール2世 (309年-379年)
  11. アルダシール2世 (379年-383年)
  12. シャープール3世 (383年-388年)
  13. バハラーム4世 (388年-399年)
  14. ヤズデギルド1世 (399年-420年)
  15. バハラーム5世 (420年-438年)
  16. ヤズデギルド2世 (438年-457年)
  17. ホルミズド3世 (457年-459年)
  18. ペーローズ1世 (459年-484年)
  19. バラーシュ (484年-488年)
  20. カワード1世 (488年-497年、499年-531年)
  21. ジャーマースプ (497年-499年)
  22. ホスロー1世 (531年-579年)
  23. ホルミズド4世 (579年-590年)
  24. ホスロー2世 (590年-628年)
  25. カワード2世 (628年)
  26. アルダシール3世 (628年-630年)
  27. ボーラーンドゥフト (630年-631年、女帝)
  28. ペーローズ2世
  29. ホスロー4世
  30. アーザルミードゥフト (631年-632年、女帝)
  31. ヤズデギルド3世 (632年-651年)

脚注


  1. ^ Chronique d'Agathias.
  2. ^ Will Durant, Age of Faith, (Simon and Schuster, 1950), 150; Repaying its debt, Sasanian art exported it forms and motives eastward into India, Turkestan, and China, westward into Syria, Asia Minor, Constantinople, the Balkans, Egypt, and Spain..
  3. ^ "Transoxiana 04: Sasanians in Africa". Transoxiana.com.ar. Retrieved 16 December 2013.
  4. ^ Sarfaraz, pp. 329–330
  5. ^ "Iransaga: The art of Sassanians". Artarena.force9.co.uk. Retrieved 16 December 2013.
  6. ^ Abdolhossein Zarinkoob: Ruzgaran: tarikh-i Iran az aghz ta saqut saltnat Pahlvi, p. 305
  7. ^ ĒRĀN, ĒRĀNŠAHR – Encyclopaedia Iranica”. www.iranicaonline.org. 2019年11月9日閲覧。
  8. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ササン朝とは”. コトバンク. 2018年1月3日閲覧。
  9. ^ ディミトリ・グタス『ギリシア思想とアラビア文化―初期アッバース朝の翻訳運動』(山本啓二 訳)勁草書房, 2002/12/20.
  10. ^ 後藤明、吉成勇編『世界「戦史」総覧』新人物往来社、1998年、pp.46-47
  11. ^ Arthur Christensen. Contes persans en langue populaire. Copenhagen: Andr. Fred. Høst & Son, 1918.
  12. ^ a b 青木健『新ゾロアスター教史』(刀水書房、2019年)142-144ページ。
  13. ^ a b c 前掲『新ゾロアスター教史』144-157ページ。
  14. ^ 前掲『新ゾロアスター教史』178ページ。
  15. ^ a b c d e f g h 前掲『新ゾロアスター教史』157-168ページ。
  16. ^ 前掲『新ゾロアスター教史』157-168ページ。






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