ケリー・フォン・エリック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/29 09:09 UTC 版)
ケリー・フォン・エリック | |
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1985年 | |
プロフィール | |
リングネーム | ケリー・フォン・エリック |
本名 | ケリー・ジーン・アドキッソン |
ニックネーム |
テキサス・トルネード The Modern Day Warrior 虎の爪 |
身長 | 191cm |
体重 | 120kg |
誕生日 | 1960年2月3日 |
死亡日 | 1993年2月18日(33歳没) |
出身地 |
アメリカ合衆国 ニューヨーク州 エリー郡バッファロー |
トレーナー | フリッツ・フォン・エリック |
デビュー | 1979年6月17日 |
WWF(現:WWE)ではテキサス・トルネード(The Texas Tornado)のニックネームでも活躍した。日本では「虎の爪」の異名を持つ。
娘のレイシー・フォン・エリックも女子プロレスラーとして、2007年から2010年にかけてFCWやTNAなどで活動していた[1]。
来歴
血筋を背負い1979年にプロレスラーとしてデビュー。父が主宰する地元ダラスのWCCW(World Class Championship Wrestling)を主戦場に、ベテランのアーニー・ラッド、マーク・ルーイン、ザ・グレート・カブキらに揉まれてキャリアを積み、同世代のジノ・ヘルナンデス、キングコング・バンディ、ファビュラス・フリーバーズらとの抗争を通し次代のスター候補として期待を寄せられる。
1983年1月23日、ミズーリ州セントルイスでハーリー・レイスを破り、NWA世界王者への登竜門とされたミズーリ・ヘビー級王座を獲得[2]。同年3月には全日本プロレスに初来日している[3]。
1984年5月6日、テキサス・スタジアムでの兄デビッド・フォン・エリックの追悼興行においてリック・フレアーを破り、第67代NWA世界ヘビー級王者となる[4]。同月、王者として全日本プロレスに来日[5]。5月22日に田園コロシアムでジャンボ鶴田の挑戦を退けるが、5月24日に横須賀市総合体育会館で前王者フレアーに敗れ、王座から陥落した(NWA世界王者時代の挑戦者は、テリー・ゴディ、フレアー、マイク・ロトンド、スーパースター・ビリー・グラハム、ロン・バス、ブラック・バート、鶴田の7名)[6]。
1985年10月からはブルーザー・ブロディの仲介で新日本プロレスに来日するようになり(ブロディも同年4月より全日本から新日本へ移籍)、兄のケビン・フォン・エリックと組んで藤波辰巳&木村健吾のWWFインターナショナル・タッグ王座に挑戦している[7]。翌年には前田日明とのシングルマッチも行われた[8]。
1986年6月、オートバイ事故を起こし右足を切断する重傷を負う。一時は再起不能とされたが、義足を付けて1987年に奇跡的にカムバックを果たした(しかし、この事故により傷の痛みや幻肢痛に悩まされ、それを紛らわすために薬物を使用し、ペインキラー依存症となる)。
カムバック後の1988年には本拠地のWCCWにおいて、NWAアメリカン・ヘビー級王座の後継タイトルであるWCWA世界ヘビー級王座を獲得[9]。以降、当時のAWA世界ヘビー級王者ジェリー・ローラーと、王座統一を賭けた「テキサス対テネシー」の抗争を繰り広げた。タイトルは勝者ローラーによって統一され、1989年よりUSWA統一世界ヘビー級王座と改称[10]。WCCWもローラーとジェリー・ジャレットが主宰していたテネシーCWAとの合併でUSWAとして再出発するが、1990年9月に興行収益を巡るトラブルでテネシー派と袂を分かつ。
ケリーもUSWAを離れ、1990年夏よりWWFに参戦。8月27日のサマースラムではミスター・パーフェクトからインターコンチネンタル・ヘビー級王座を奪取した[11]。WCCWでの盟友でもあったアルティメット・ウォリアーともタッグを組み、同年11月のサバイバー・シリーズではウォリアー&リージョン・オブ・ドゥームと "The Warriors" を結成して出場。WWFには1992年まで所属し、退団後はテキサスのインディー団体を転戦した。
1993年、コカインの使用により起訴される。他のドラッグ使用による執行猶予中だったこともあり、2月18日に実刑を伴う有罪が確定。同日、自宅において(当所では有罪が確定した人物には1日の執行猶予が与えられる)ピストルにより自らの命を絶った[12][13]。
2007年、遺児である娘レイシー・フォン・エリックがWWEと育成契約を結び、傘下のFCWでプロレスデビュー。
2009年4月、フォン・エリック・ファミリーの一員としてWWE殿堂に迎えられた。
得意技
- ^ “Lacey Von Erich”. Online World of Wrestling. 2012年8月18日閲覧。
- ^ “NWA Missouri Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2012年8月18日閲覧。
- ^ “AJPW 1983 Grand Champion Carnival I”. Puroresu.com. 2024年3月12日閲覧。
- ^ “NWA World Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2012年8月18日閲覧。
- ^ “AJPW 1984 Grand Champion Carnival II”. Puroresu.com. 2024年3月12日閲覧。
- ^ “Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1984”. Wrestling-Titles.com. 2020年2月5日閲覧。
- ^ “NJPW 1985 Burning Spirit in Autumn”. Puroresu.com. 2020年2月5日閲覧。
- ^ “NJPW 1986 IWGP Champion Series”. Puroresu.com. 2020年2月5日閲覧。
- ^ “WCWA World Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2012年8月18日閲覧。
- ^ “USWA Unified World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年4月12日閲覧。
- ^ “History of the Intercontinental Championship”. WWE.com. 2012年8月18日閲覧。
- ^ “Who's who in the Von Erich Family?”. About.com. 2012年8月18日閲覧。
- ^ “Kerry Von Erich”. Online World of Wrestling. 2012年8月18日閲覧。
- 1 ケリー・フォン・エリックとは
- 2 ケリー・フォン・エリックの概要
- 3 獲得タイトル
- 4 外部リンク
固有名詞の分類
アメリカ合衆国のプロレスラー |
ジェリー・ローラー デニス・コンドリー ケリー・フォン・エリック ブライアン・ケリー ラーズ・アンダーソン |
新日本プロレスに参戦した外国人プロレスラー |
ジェリー・ローラー エル・カネック ケリー・フォン・エリック カール・ゴッチ ドス・カラス |
全日本プロレスに参戦した外国人プロレスラー |
ラリー・ズビスコ ジェリー・ローラー ケリー・フォン・エリック バリアント・ブラザーズ ドス・カラス |
二世レスラー |
ヴァージル・ラネルズ3世 タマ・トンガ ケリー・フォン・エリック ミスティコ ボブ・オートン・ジュニア |
WWE殿堂 |
ジェシー・ベンチュラ ジェリー・ローラー ケリー・フォン・エリック バリアント・ブラザーズ ボブ・オートン・ジュニア |
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