イバン・ロドリゲス 経歴

イバン・ロドリゲス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/20 00:14 UTC 版)

経歴

プロ入り前

アマチュアの野球選手だった父親の影響もあり、幼い頃から野球一筋だった。少年時代は投手も務めており、後にメジャーでもチームメイトとなるフアン・ゴンザレスと同じリトルリーグに所属していた。当時は直球だけでノーヒットノーランを達成するほどの豪速球を投げていたという。その後、父親の勧めで捕手に転向、捕手としてもその強肩と打撃で注目を集めるようになる[1]

レンジャーズ時代

1988年、16歳のときにドラフト外テキサス・レンジャーズと契約。当時はスペイン語しか話せなかったが、英語を上達させ、それと共に成績を残せるようになった[2]1991年6月20日のホワイトソックス戦で19歳でメジャーデビュー。ケビン・ブラウンバッテリーを組み、盗塁を試みた走者2人とも刺すなどデビュー戦から強肩ぶりを発揮。MLB史上最も若い捕手として一躍注目を浴びた。相手のホワイトソックスの捕手は、元祖「パッジ」のカールトン・フィスクであった。また、この日は自身の結婚式が予定されていたが、突然メジャー昇格の知らせを聞き、婚約者を連れて球場入り。ロドリゲスはそのままスタメンに名前を連ねるというハプニングもあった[1]

翌6月21日には、当時44歳でMLB最年長投手だったノーラン・ライアンとバッテリーを組み、19歳でMLB最年少捕手のロドリゲスとの25歳差バッテリーとしてこちらも話題を呼んだ[3]。デビュー1年目から随所に強肩強打を発揮し、新人王の投票数は4位だった。

その後はMLB屈指の捕手として君臨。1992年、リーグ最年少の選手となり(1991年はリーグ2位)、オールスターに初出場し、以後10年連続出場した。ゴールドグラブ賞を初受賞以後10年連続受賞。1994年から6年連続でシルバースラッガー賞を受賞した。1995年、打率.303を記録以後8年連続打率3割を達成。1996年には1930年にミッキー・カクレーンが記録した捕手のシーズン最多であった42二塁打を更新する44二塁打を記録し[4]、639打数も捕手としてのMLB新記録となった[2]

ロドリゲス放出の可能性があったため、球団は1997年7月29日にジム・レイリッツ英語版を獲得[5]。しかし、その2日後の7月31日に5年総額4200万ドルで契約延長[6]。そのため、レイリッツは移籍後捕手としての出場は11試合にとどまり、シーズン終了後にボストン・レッドソックスへ放出した。ロドリゲスはこの年、打率.313、20本塁打と、自己最高の成績を修めている。

当時チームには同郷のフアン・ゴンザレスも在籍しており、2人を中心としてチームは1996年、1998年1999年と3度の地区優勝を果たした。1997年にゴンザレスがウィンターリーグで故障したため、球団から出場を禁止されたが、反発し出場した[2]1998年は5月9日まで打率4割を維持し、その後も首位打者争いをしたが、シーズン終盤に失速し最終的にリーグ8位の.321に終わった。1942年のアーニー・ロンバルディ以来となる捕手としての首位打者とはならなかった。

1999年に打率.332、35本塁打、113打点、25盗塁という成績を残し、アメリカンリーグMVPを受賞した。

2000年には91試合を出場した時点で打率.347、27本塁打、83打点と前年を上回る成績を残していたが、7月24日のエンゼルス戦で、盗塁を刺そうとした際に右手親指を打者のバットに当ててしまい、故障者リスト入りでシーズンを終えることとなった。2001年にはアレックス・ロドリゲスがチームに加入し(I-Rodという愛称は、同じくロドリゲスという姓であるアレックスの愛称A-Rodと共にこの頃つけられた)、リーグ優勝への期待が高まったが、逆にチームは低迷。

2001年2002年と自身も故障が続き、好成績は残すもののシーズンを通して出場することが出来なかった。

マーリンズ時代

2003年FAを取得し、フロリダ・マーリンズに移籍。若い選手が多い中でベテランとしてチームをまとめ、ワイルドカード獲得の原動力となった。プレーオフ1回戦のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦では、2勝1敗で迎えた第4戦での9回表、1点差に迫られた場面で、安打で生還しようとしたJ.T.スノーに吹っ飛ばされながらも、本塁を死守。チームもこのまま逃げ切り、リーグ優勝決定戦に駒を進めた。シカゴ・カブスとのナショナルリーグ優勝決定戦を4勝3敗と僅差で制し、自身も2本塁打、10打点という活躍で、MVPを獲得した。ワールドシリーズではニューヨーク・ヤンキースを4勝2敗で下し、メジャー13年目にして悲願のチャンピオンリングを手に入れた。

タイガース時代

タイガース時代

2004年2月2日に4年契約でデトロイト・タイガースに移籍[6]。移籍1年目に打率.334、19本塁打、86打点と好成績を残し、3年ぶりにゴールドグラブ賞を受賞。

2005年オールスターゲーム前日に行われた本塁打競争ボビー・アブレイユに次ぐ2位となったが[6]、レギュラーシーズンは打率.276、14本塁打、50打点と低迷、出塁率もデビュー以来となる3割を切ることとなった。同年にはホセ・カンセコが出版した筋肉増強剤のアナボリックステロイドの使用に関する暴露本禁断の肉体改造』において、ラファエル・パルメイロフアン・ゴンザレスと共に、1992年にカンセコからステロイド剤を紹介され、使用していたと名指しされたが、本人は一切のステロイド剤の使用を否定している[7]。なお、ロドリゲスと一緒にカンセコからステロイド剤を紹介されたとされるパルメイロとゴンザレスも、暴露本出版当時はステロイド使用を否定していたが、前者はその後薬物検査で陽性反応を示し、ミッチェル報告書にも記載された。後者もミッチェル報告書に記載されている。

2006年開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)プエルトリコ代表に選出された。

シーズンでは打率を3割にのせ、チームのリーグ優勝に貢献し、若い投手の力を引き出し堅い守りを評価され[8]、2年ぶりにゴールドグラブ賞を受賞。一方でメジャー16年目にして初めて捕手のほか一塁、二塁の守備に就き、一塁では55イニングと63度の、二塁では2イニングの出場と1度の守備機会をそれぞれ記録した。

2007年は捕手に専念し、129試合に出場(捕手として出場したのは127試合)。2年連続となる13度目のゴールドグラブ賞を獲得したものの、盗塁阻止率は自己最低となる30.9%、打撃も精彩を欠いた。また、7月3日のインディアンス戦で、ボブ・ブーン(2225試合)、カールトン・フィスク(2226試合)、ゲイリー・カーター(2056試合)に続き、史上4人目となる捕手として2000試合出場を達成。チームも序盤は好調を維持したものの終盤で失速、ヤンキースにワイルドカードを奪われ、プレーオフ進出はならなかった。オフの10月9日に球団が年俸1300万ドルのオプションを行使し、2008年の残留が決まった[9]

ヤンキース時代

ヤンキース時代

2008年7月30日にカイル・ファーンズワースとの交換トレードでニューヨーク・ヤンキースに移籍した[10]。ケガで離脱したホルヘ・ポサダの穴埋めとして獲得されたが、ホセ・モリーナらとの併用がほとんどで、代打起用も多かった。オフにフリーエージェントとなった。

アストロズ時代

2009年開幕前の3月に開催された第2回WBCプエルトリコ代表に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした。同大会では決勝トーナメント進出を逃したが、攻守にわたって活躍し、大会の捕手部門でベストナインに選出された。3月20日にヒューストン・アストロズと年俸150万ドル+出来高150万ドルの1年契約を結んだ[11]。6月17日に捕手としての2227試合に出場し、カールトン・フィスクのMLB記録を更新[12]

レンジャーズ復帰

2009年8月18日にマイナー2選手との交換でテキサス・レンジャーズへ復帰[13]デビッド・マーフィーに代わり、かつて付けていた背番号7番を得た。同年は捕手としてMLB史上第1位の13910刺殺を記録。レンジャーズとの年俸調停を辞退し、フリーエージェントを選択した。

ナショナルズ

2009年12月11日に2年600万ドルの契約でワシントン・ナショナルズへ移籍[14]

2010年5月24日より背中を痛めたため故障者リスト入りしていたが、6月8日に2009年のMLBドラフト1位投手であるスティーブン・ストラスバーグのデビュー戦にあたり復帰。ストラスバーグの7者連続を含む14奪三振の好投に、試合後「この坊やは大したもんだ」と感嘆のコメントを寄せた[15]

引退

2012年はFAのままシーズンを迎えたが、4月23日に古巣の本拠地レンジャーズ・ボールパークで引退を正式に表明。同日引退セレモニーが行われた。

2013年2月、レンジャーズのGM特別補佐に就任。

ロドリゲスのレンジャーズ在籍時の背番号「7」。
テキサス・レンジャーズの永久欠番2017年指定。

2017年1月18日、資格を得て1年目でアメリカ野球殿堂入り。殿堂入りのロゴチームはレンジャーズを選択したが、レンジャーズの選手としての殿堂入りは、ノーラン・ライアン以来、球団史上2人目で、さらに捕手で有資格1年目での殿堂入りは、1989年ジョニー・ベンチ以来、史上2人目である[16][17]。また、殿堂入りを記念し古巣・レンジャーズはロドリゲスの在籍時の背番号『7』を永久欠番に指定した[18]


  1. ^ a b c オールスターで共演!イチローも認める強肩ロドリゲスとは? 2008年1月15日閲覧.
  2. ^ a b c 鉄矢多美子「イバン・ロドリゲス[レンジャーズ] 大リーグ・ナンバーワン捕手が目指す新たなる勲章」『月刊メジャー・リーグ』1998年9月号、ベースボールマガジン社、1998年、雑誌 08625-8、10 - 16頁。
  3. ^ June 21, 1991 Texas Rangers at Chicago White Sox Box Score and Play by Play - Baseball-Reference.com 2008年1月15日閲覧.
  4. ^ Career biography (1996)”. 2008年1月15日閲覧。
  5. ^ 「30球団マンスリー・リポート テキサス・レンジャーズ/自己最高の盗塁阻止率51.3%! ロドリゲス6年連続のGグラブ賞の快挙」『月刊メジャー・リーグ』 1998年1月号、ベースボールマガジン社、1998年、雑誌 08625-1、93頁。
  6. ^ a b c The Ballplayers - Ivan Rodriguez Chronology” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年7月14日閲覧。
  7. ^ Rodriguez Denies Using Steroids CBS News(2005/02/08)
  8. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、134頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5 
  9. ^ Tigers exercise option on Pudge for '08” (英語). MLB.com. 2008年7月14日閲覧。
  10. ^ Yankees fill need, acquire Pudge New York trades reliever Farnsworth for 14-time All-Star”. MLB.com. 2008年8月1日閲覧。
  11. ^ Pudge, Astros make deal official Rodriguez expects to be in uniform vs. Nationals on Sunday”. astros.com. 2009年3月21日閲覧。
  12. ^ McTaggart, Brian (2009年6月17日). “Pudge sets record for games caught” (英語). MLB.com. 2009年6月21日閲覧。
  13. ^ McTaggart, Brian (2009年6月18日). “Pudge sets record for games caught”. MLB.com. 2009年6月18日閲覧。
  14. ^ Sullivan, T.R. Byrd, Rodriguez decline arbitration, MLB.com. Published December 7, 2009. Retrieved December 8, 2009.
  15. ^ http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/06/08/AR2010060805223.html?nav%3Dhcmodule
  16. ^ 強肩捕手ロドリゲス氏 史上2人目の快挙!対象1年目で米殿堂入り”. スポーツニッポン. 2017年1月21日閲覧。
  17. ^ 6球団でプレー、ロドリゲス氏 殿堂入り式典は「レンジャーズ」の帽子”. スポーツニッポン. 2017年1月21日閲覧。
  18. ^ レンジャーズ、イバン・ロドリゲス氏の7を永久欠番日刊スポーツ 2017年1月21日付
  19. ^ 福島良一『素晴らしいアメリカ野球』 光文社 249ページ
  20. ^ 「イバン"パッジ"ロドリゲス」月刊スラッガー2004年3号 8~11頁
  21. ^ ロジャー・ブレスナハン(212)、レイ・シャーク(177)、ジェイソン・ケンドール(189)、レッド・ドゥーイン英語版(133)、カールトン・フィスク(128)に次ぐ






固有名詞の分類

ニューヨーク・ヤンキースの選手 ジョー・コナー  ジョー・ボロウスキー  イバン・ロドリゲス  アントニオ・オスーナ  エリック・アルモンテ
テキサス・レンジャーズ及びその前身球団の選手 ダーウィン・クビアン  イスマエル・バルデス  イバン・ロドリゲス  ボビー・ウィット  ロビンソン・テヘダ
デトロイト・タイガースの選手 ジェーソン・ジョンソン  ロッキー・コラビト  イバン・ロドリゲス  ジェイソン・ベバリン  ボブ・マクドナルド
ワシントン・ナショナルズ及びモントリオール・エクスポズの選手 トニー・タラスコ  チャド・コルデロ  イバン・ロドリゲス  アントニオ・オスーナ  モイゼス・アルー
ヒューストン・アストロズの選手 ブラッド・リッジ  ペドロ・フェリス  イバン・ロドリゲス  ロン・ワシントン  モイゼス・アルー
フロリダ・マーリンズの選手 ポール・クアントリル  ジョー・ボロウスキー  イバン・ロドリゲス  マーク・コッツェイ  モイゼス・アルー
プエルトリコの野球選手 ルイス・アキーノ  ジョーイ・コーラ  イバン・ロドリゲス  フアン・パディーヤ  フェリペ・クレスポ

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