わいせつ物頒布等の罪 わいせつの定義をめぐる議論

わいせつ物頒布等の罪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 04:45 UTC 版)

わいせつの定義をめぐる議論

本条をめぐる主な争点は、規範的構成要件要素(裁判官の評価を必要とする要素)である「わいせつ」の定義である。判例サンデー娯楽事件から一貫して「わいせつ三要件」を採用している(大審院時代とは最後の要件に違いがある)。すなわち三要件とは、

  1. 徒に性欲を刺激・興奮させること
  2. 普通人の正常な性的羞恥心を害すること
  3. 善良な性的道義観念に反すること

というものである。しかし、このように定義することに対しては、批判も多い(たとえば、林幹人『刑法各論』395頁)。裁判上でも、わいせつの定義が曖昧である等の憲法21条違反の主張がしばしばなされるが、最高裁はそのような主張を一貫して否定している[注 5]

インターネットの普及により、日本の法律ではわいせつ物に相当するような海外の性情報が事実上の自由を享受している一方で、性的に過激な図書やDVDなどは各都道府県の有害図書規制や業界の自主規制により成人向けに区分陳列されているのが現状であり、刑法学者の園田寿はこうした情報環境の変化を踏まえ、刑罰によってわいせつ表現を禁圧することには合理性がなく、旧来のわいせつ概念は再検討すべきであるとしている[15]

保護法益をめぐる議論

本条の保護法益については、次のように各説が対立している。

  1. 性道徳・性秩序の維持
  2. 社会環境としての性風俗の清潔な維持
  3. 国民の性感情の保護
  4. 商業主義の否定
  5. 見たくない者の権利ないし表現からの自由
  6. 青少年の保護
  7. 女性差別の撤廃
  8. 性犯罪の誘発防止
  9. 法の統一性(法解釈の変遷)

チャタレー事件など、判例では「わいせつ物は性道徳・性秩序を維持するために処罰される」と考えるのであるが、これに対しては法による道徳・倫理の強制であり、憲法の精神的自由に反するのではないかという批判がある[16]

そこで、ポルノカラー写真誌事件団藤重光裁判官の補足意見などは、本条は清潔な環境を保護するためにわいせつ物を処罰するものだという観点に立ちつつ、それだけでは重罰の根拠を説明できないので、性感情・見たくない者の自由・青少年の保護・商業主義の否定などの観点をも含んだものだと捉える。

これに対して、見たくない者の自由や青少年の保護だけに本条の処罰根拠があると考える論者もおり[17]、そうすると、わいせつ物を見たくて見る大人に頒布・販売する行為は処罰する必要がない、という結論になるが、最高裁はこのような立場はとっていない。

以上のような伝統的な議論に対して、ラディカル・フェミニズムの観点から、わいせつ物は女性差別や性犯罪を助長するものであるから、そのような弊害を防ぐために処罰するのだ、と捉える論者も出てきている[18]。一方で憲法学者の志田陽子は、わいせつ表現の規制は女性差別の克服にはほとんど効果がなく、むしろ「ろくでなし子事件」で示されたように女性の自発的な性表現を取り締まることになるなど、規制による弊害のほうが大きいと指摘している[19]

わいせつ電磁的記録頒布罪

わいせつ電磁的記録頒布罪における「頒布」とは「不特定又は多数の人に対して物を交付・讓渡することをいう」とされ、原則として「1対1は頒布にあたらない」と解されている[20]。ただし、「たまたま1名の顧客に交付・譲渡等したに過ぎない場合であっても、それが不特定又は多数の人に対して交付・譲渡等する意思でされたものであれば、頒布に該当する」とした判例があるため(東京高裁昭和47年7月14日判決、東京高裁昭和62年3月16日判決)、一人に対する送信であっても頒布の「疑い」で逮捕される可能性がある[注 6][20]

なお、わいせつ電磁的記録頒布罪に該当しない1対1の送信でも、わいせつ記録の被写体が18歳未満であれば児童ポルノ提供罪(児童ポルノ・児童買春法7条2項)や提供目的製造罪(同条3項)に該当し、3年以下の懲役または300万円以下の罰金が科される[20]。また、ストーカー規制法では「性的羞恥心を害する文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を送付」する行為(同法2条1項8号)を「つきまとい等」としており、「特定の者に対する恋愛感情その他の好意の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する目的で」反復して行うと、ストーカー行為として1年以下の懲役または100万円以下の罰金が科される[20]

海外に事業場やサーバーを置いて日本の刑法上、わいせつ頒布送信となる事業をするケースもあり、取締が行われている。

海外経由の電磁的わいせつ頒布と陳列の主な事例
  • FC2のケースでは、わいせつ電磁的記録媒体陳列罪,公然わいせつが問われた[21]
  • 児童ポルノを含む猥褻記録販売サイト運営3人が、わいせつ電磁的記録頒布罪で逮捕された。21~58歳の出品者32人、25~49歳の購入者9人が検挙された。新たに発覚した出品者2人は児童ポルノを投稿していたことから、児童買春・児童ポルノ禁止法違反(不特定多数への提供)容疑で逮捕された[22]

国内

  • 2023年11月、秋田県大仙市立大曲中学校女性教諭(39)が2021年12月ごろから2022年10月ごろにかけ、インタネット上に卑猥な動画を複数回投稿し、不特定多数が閲覧できるようにした容疑で秋田県警に逮捕されている。同教諭に対しては行政処分としては秋田県教育委員会は「学校の信頼を失墜させた」などとして同年11月25日付けで停職1年の懲戒処分としている[23][24]

注釈

  1. ^ わいせつ動画のURLをインターネット上に公然とリンクした場合、わいせつ電磁的記録媒体陳列罪[2]。画像掲示板の管理者が投稿されたわいせつ画像を削除せずに放置した場合、わいせつ図画公然陳列罪となる[3]
  2. ^ 松文館裁判のように、局部修正を施した成人向け漫画が摘発される事例も稀にある。
  3. ^ サンデー娯楽事件判決で登場し、チャタレー事件判決以後、踏襲される。
  4. ^ 東京高判昭和29年11月12日。
  5. ^ たとえば、ポルノカラー写真誌事件判決参照。
  6. ^ 検挙された場合でも、1対1の送信であるとの弁解が認められた場合は頒布罪にはあたらない。

出典

  1. ^ 園田寿・臺宏士『エロスと「わいせつ」のあいだ 表現と規制の戦後攻防史』朝日新聞出版〈朝日新書〉、2016年、5頁。
  2. ^ わいせつ動画「URL」投稿で逮捕、余罪数百件の疑い…リンク貼るだけでも犯罪?”. 弁護士ドットコム. 弁護士ドットコム (2017年9月19日). 2020年10月1日閲覧。
  3. ^ “画像投稿サイト運営の社長ら7人、わいせつ図画陳列で逮捕”. 読売新聞 (読売新聞社). (2007年5月23日). オリジナルの2007年5月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070525044205/https://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070523i312.htm 2007年5月25日閲覧。 
  4. ^ 西田典之『刑法各論』、曽根威彦『刑法各論』、前田雅英『刑法各論講義』、堀内捷三『刑法各論』、中山研一『刑法各論』、内田文昭『刑法各論』など参照。
  5. ^ 園田寿・臺宏士、前掲書、250、253頁。
  6. ^ 海外から絶大な支持を受ける「日本のアダルト業界」。世界基準と大きく異なるモザイク国家・日本のアダルト規制とは。日本人初のカップルPornhuberが伝える”. 集英社オンライン. 集英社 (2023年4月22日). 2023年4月25日閲覧。
  7. ^ 園田寿・臺宏士、前掲書、168-173頁。
  8. ^ 志田陽子 (2020年7月17日). “ろくでなし子裁判・最高裁判決は何を裁いたのか ――刑事罰は真に必要なことに絞るべき”. Yahoo!ニュース. 2021年3月30日閲覧。
  9. ^ 小宮自由 (2016年5月19日). “わいせつ物頒布罪は廃止すべきである”. アゴラ. 2023年3月25日閲覧。
  10. ^ 「必要な議論を飛ばして表現規制で全ての問題を解決しようとしている」“青少年健全育成基本法”の議論が抱える、そもそもの問題点とは【山田太郎と考える「表現規制問題」第5回】”. ニコニコニュース. ドワンゴ (2017年6月8日). 2023年3月18日閲覧。
  11. ^ 参議院. “刑法第百七十五条の廃止に関する請願”. 2023年6月20日閲覧。
  12. ^ 西田典之 『刑法各論』 弘文堂(1999年)84頁
  13. ^ 林幹人 『刑法各論 第二版 』 東京大学出版会(1999年)91頁
  14. ^ 白田秀彰. “情報時代における言論・表現の自由(3.2.1 猥褻表現)”. 2009年9月21日閲覧。
  15. ^ a b 園田寿 (2015年10月9日). “性表現について不快感を示す人びとの存在 ー春画展に寄せてー”. Yahoo!ニュース. 2023年7月25日閲覧。
  16. ^ 平野龍一『刑法概説』、林幹人『刑法各論』など。
  17. ^ 平野龍一『刑法概説』など。
  18. ^ 長谷部恭男編『リーディングス現代の憲法』紙谷雅子執筆部分参照。しかし、わいせつ物が犯罪等を助長するという科学的根拠はないと言われている(1970年のアメリカ大統領委員会報告書など)。
  19. ^ 「わいせつ表現」規制と女性差別克服は関係ない? 憲法学者・志田陽子氏インタビュー”. wezzy (2016年12月27日). 2023年7月2日閲覧。
  20. ^ a b c d 局部の写真を送りつける「ちん凸」、有名インフルエンサーも被害に 法的には? - 弁護士ドットコムニュース”. 弁護士ドットコム (2023年9月29日). 2023年12月1日閲覧。
  21. ^ 平成30年(あ)第1381号 わいせつ電磁的記録記録媒体陳列,公然わいせつ被告事件 令和3年2月1日 第二小法廷決定”. 最高裁判所. 2022年11月9日閲覧。
  22. ^ 児童ポルノ売買、48人検挙 事件なくならない事情とは:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2021年3月3日). 2023年12月1日閲覧。
  23. ^ 「わいせつ動画投稿 中学校女性教諭を停職1年処分 秋田県教委」『NHK秋田News Web』2024-1-25
  24. ^ 「わいせつ動画投稿疑い 秋田、女性教諭を逮捕」『産経新聞』2023-11-15


「わいせつ物頒布等の罪」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「わいせつ物頒布等の罪」の関連用語

わいせつ物頒布等の罪のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



わいせつ物頒布等の罪のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのわいせつ物頒布等の罪 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS