球戯場
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球戯場(きゅうぎじょう、仏: Salle du Jeu de Paume)は、フランス、ヴェルサイユにある、ルイ14世以来、王族達がテニスの原型の球戯(ジュ・ド・ポーム)を楽しんだ屋内コートであり、現存するジュ・ド・ポームのコートの一つである。1789年6月20日には、議会場を締め出された議員が集まり「球戯場の誓い」を行なった。
注釈
- ^ グラン・コミュン(Grand Commun)はジュール・アルドゥアン=マンサールにより、ルイ14世のために宮殿の隣に建てられた、宮殿に食事を給仕することを主目的とした建物である。2007年に改修の検討作業の一環として発掘調査が行われ、ジュ・ド・ポームの建物やサンジュリアン教会の墓地の一部などの遺跡が発見された。発掘写真などは[1]。
- ^ 議会場は現在取り壊され、跡だけが保存されている。ムニュ・プレズィール館は、バロック音楽研究所となっているため、議会場跡は、一般見学者には原則非公開。
出典
- ^ こちら
- ^ a b c 球戯場の仏語サイト Salle du Jeu de Paume より。
- ^ ヴェルサイユ宮殿公式サイトの日本語説明より。ヴェルサイユ宮殿美術館国有地公団
- ^ "Notice no PA00087683". base Mérimée, ministère français de la Culture.
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引数が必須です。 (説明) - ^ ヴェルサイユ宮殿の公式サイト;ジュール・アルドゥアン=マンサールによる大理石の建物があったが1820年に取り壊された。ヴェルサイユ宮殿美術館国有地公団
- ^ 国立図書館のサイトに写真がある:http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b69426939
- ^ a b c ヴェルサイユ宮殿でのダヴィッドの未完のデッサン公開展、Le Serment du Jeu de Paume, Quand David réécrit l'Histoire (14 octobre 2008- 11 janvier 2009)のパンフレットより。pdf(フランス語)
球戯場 (Juego de Pelota)
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「太陽の神殿 アステカII」の記事における「球戯場 (Juego de Pelota)」の解説
左右に高い壁があり、正面に像がある。マヤの球技は豊作を願って行われる宗教儀式で、ゴムのボールを壁にもうけられた輪にくぐらせて競ったという。
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球戯場
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詳細は「メソアメリカの球戯」を参照 球戯場はほとんどのマヤ遺跡に存在するが、チチェン・イッツァのものは特に大きい。 マヤの球戯は2つのチームに分かれ、ゴムで作られた非常に重いボールを腰で打って相手側のコートに入れる。チチェン・イッツァの球戯場には両側の高さ6メートルの所に石の輪があり、これは後古典期の特徴である。輪の中にボールを通すと即座に勝ちになったらしいが、現実に行うことは困難と思われる。 試合が白熱するほど雨が降り豊作になると信じられていた。勝敗で生贄になる者が決まったとされるが、勝った側が生贄になったとも負けた側が生贄になったともいわれており、ここは現在でもはっきりしていない。
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