YZR-M1の開発ライダー
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「吉川和多留」の記事における「YZR-M1の開発ライダー」の解説
現在はヤマハのロードレース世界選手権MotoGPクラス用マシン、YZR-M1の開発ライダーを務めており、同クラス初年度となった2002年シーズンの第13戦パシフィックGP(ツインリンクもてぎ)ではワイルドカード枠で実戦デビューし、12位で完走を果たした。 2010年シーズンには、第4戦イタリアGPで脛骨開放骨折の重傷を負い長期欠場することになったバレンティーノ・ロッシの代役として、フィアット・ヤマハチームより第7戦カタルーニャGPに出場し15位となる。なお当初3戦の出場予定であったが、ロッシの回復が早まったため第7戦のみとなった。
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