U205_(潜水艦)とは? わかりやすく解説

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U205 (潜水艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/10 05:24 UTC 版)

U-205
基本情報
建造所 ゲルマニア造船所、キール
運用者  ドイツ国防軍海軍
艦種 潜水艦
級名 UボートVIIC型
艦歴
起工 1940年6月19日
進水 1941年3月20日
就役 1941年5月3日
最期 1943年2月17日沈没
要目
基準排水量 769t
水中排水量 871t
全長 67.1m(耐圧殻50.5m)
最大幅 6.2m(耐圧殻4.7m)
高さ 9.6m
吃水 4.74m
主機 ディーゼルエンジン2基
電源 電動モーター
出力 2800 - 3200PS
電力 750PS
推進器 2軸
速力 水上17.7ノット、水中7.6ノット
航続距離 8500海里(水上10ノット)、80海里(潜航4ノット)
潜航深度 230m、圧壊深度250 - 295m
乗員 将校4名、士官40~56名
兵装 533mm魚雷発射管(前方4門、後方1門)、魚雷14またはTMA機雷26
8.8 cm SK C/35 艦載砲 1門
2cmC/30対空火器
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U-205は第二次世界大戦中のナチス・ドイツ海軍VIIC型Uボートである。U-205は1940年6月19日にキールにあるゲルマニア造船所で建造番号634として起工され1941年5月3日に進水し、1941年5月3日にフランツ・ゲオルク・レシュケの指揮の下、就役した。

U-205は1943年2月17日にイギリス海軍の駆逐艦パラディンにより北緯32度56分 東経22度01分 / 北緯32.933度 東経22.017度 / 32.933; 22.017で沈没した。

艦歴

第3潜水隊群の一員としてU-205は北大西洋で2回の哨戒を行った。第29潜水隊群に加わり、U-205はさらに地中海で9回の哨戒を行った。

第1哨戒

1941年7月14日、U-205はトロンハイムを出港して第1哨戒を開始した。U-205はグリーンランドアイスランドの間にある隙間(デンマーク海峡)を通過して1941年8月23日に占領中のフランスにあるブレストにドック入りした。

第2哨戒

1941年9月23日にロリアンを出港し、U-205は9月27日に航空機から攻撃を受けて損傷し、港に戻り1941年10月2日にロリアンに到着した。

第3哨戒

1941年11月3日、U-205はロリアンを出港し、ウルフパック・アルノーに参加した。ジブラルタルの集中砲火を突破し、1941年12月10日にU-205はラ・スペツィアで第29潜水隊群に加わった。

第4哨戒

1942年1月5日にU-205はラ・スペツィアを出港し、2月10日に帰還した。

第5哨戒

3月17日にラ・スペツィアを出港し、1942年6月8日にU-205はサラミスに到着した。

第6哨戒

1942年5月6日にラ・スペツィアを出航し、1942年6月8日にサラミスに到着した。

第7哨戒

帰路にて、1942年6月12日にU-205はMW11船団を護衛中のイギリス軽巡洋艦ハーマイオニーの攻撃に成功し、87名の乗組員と「コンボイ」として愛されていた船乗り猫が死亡した。6月23日、U-205はラ・スペツィアにドック入りした。

第8哨戒

1942年8月3日、U-205はラ・スペツィアからプーラへ出航し、1942年9月10日にそこに到着した。

第9哨戒

1942年10月20日ポーラ発、1942年11月19日ラ・スペツィア到着、1942年11月20日ラ・スペツィア発、1942年11月24日ポーラ着。

第10哨戒

1043年1月12日ポーラ発、1943年1月26日サラミス着。

最後の哨戒と沈没

1943年2月2日にサラミスを出港し、U-205はキレナイカのアポロニア沖で輸送船団を攻撃のため追い込んでおり、1943年2月17日に南アフリカ空軍ブリストル・ブレニム爆撃機に発見され 北緯32度56分 東経22度1分 / 北緯32.933度 東経22.017度 / 32.933; 22.017座標: 北緯32度56分 東経22度1分 / 北緯32.933度 東経22.017度 / 32.933; 22.017でイギリス駆逐艦パラディンの攻撃を受けた。爆雷攻撃により浮上を余儀なくされ、U-205の乗組員は通気口を開けた後船を放棄した。パラディンの乗船部隊はかろうじて書類と無線機器を引き揚げた。2隻目の軍艦グロキシニアはまだ浮かんでいるU-205を浜辺まで曳航することを試みたが、失敗した。U-205は沖合約1000m(3,300フィート)で沈没した。

ウルフパック

U-205は1つのウルフパックに参加した。

  • アルノー (1941年11月5日~18日)

その後

U-205は誤ってピーター・キーブルの著書Ordeal by Waterに登場するU-307だと広く信じられており、文中には沈没したUボートから暗号化装置を潜水して回収したと書かれている。

戦果一覧

日付 船名 国籍 総トン数
(排水量)
結果[1]
1942年6月16日 ハーマイオニー  イギリス海軍 5,450 沈没

歴代艦長

  • フランツ・ゲオルク・レシュケ大尉 (1941年5月3日~1942年10月19日)
  • フリードリッヒ・ビュルゲル中尉 (1942年10月19日~1943年2月17日)

脚注

  1. ^ Helgason, Guðmundur. “Ships hit by U-205”. German U-boats of WWII - uboat.net. 2014年12月9日閲覧。

参考文献

  • Busch, Rainer; Röll, Hans-Joachim (1999). German U-boat commanders of World War II : a biographical dictionary. London, Annapolis, Md: Greenhill Books, Naval Institute Press. ISBN 1-55750-186-6 
  • Busch, Rainer; Röll, Hans-Joachim (1999) (ドイツ語). Deutsche U-Boot-Verluste von September 1939 bis Mai 1945 [German U-boat losses from September 1939 to May 1945]. Der U-Boot-Krieg. IV. Hamburg, Berlin, Bonn: Mittler. ISBN 3-8132-0514-2 
  • Gröner, Erich; Jung, Dieter; Maass, Martin (1991). U-boats and Mine Warfare Vessels. German Warships 1815–1945. 2. London: Conway Maritime Press. ISBN 0-85177-593-4 
  • Jak Mallmann Showell, Enigma U-boats, 2000, p. 95.

関連項目

  • 第二次世界大戦における地中海のUボート作戦英語版
  • HG73船団英語版

外部リンク

  • Helgason, Guðmundur. “The Type VIIC boat U-205”. German U-boats of WWII - uboat.net. 2014年12月9日閲覧。
  • Hofmann, Markus. “U 205” (ドイツ語). Deutsche U-Boote 1935–1945 - u-boot-archiv.de. 2014年12月9日閲覧。



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