U206_(潜水艦)とは? わかりやすく解説

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U206 (潜水艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/10 05:26 UTC 版)

U-206
基本情報
建造所 ゲルマニア造船所、キール
運用者  ドイツ国防軍海軍
艦種 潜水艦
級名 UボートVIIC型
艦歴
発注 1939年10月16日
起工 1940年6月17日
進水 1941年4月4日
就役 1941年5月17日
最期 1941年11月29日にビスケー湾で行方不明。1941年11月30日頃、おそらくサン・ナゼール沖のイギリスが敷設した機雷原で沈没
要目
基準排水量 769t
水中排水量 871t
全長 67.1m(耐圧殻50.5m)
最大幅 6.2m(耐圧殻4.7m)
高さ 9.6m
吃水 4.74m
主機 ディーゼルエンジン2基
電源 電動モーター
出力 2800 - 3200PS
電力 750PS
推進器 2軸
速力 水上17.7ノット、水中7.6ノット
航続距離 8500海里(水上10ノット)、80海里(潜航4ノット)
潜航深度 230m、圧壊深度250 - 295m
乗員 将校4名、士官40~56名
兵装 533mm魚雷発射管(前方4門、後方1門)、魚雷14またはTMA機雷26
8.8 cm SK C/35 艦載砲 1門
2cmC/30対空火器
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U-206は第二次世界大戦中のナチス・ドイツ海軍VIIC型Uボートである。U-206はキールにあるゲルマニア造船所で1940年6月17日に建造番号635として起工され、1941年4月4日に進水し、5月17日にヘルベルト・オピッツ中尉の指揮の下、就役した。

1941年11月、U-206はおそらくイギリスが敷設した機雷原で沈没した。

艦歴

第3潜水隊群の一員として、U-206は北大西洋で3回の哨戒を行った[1]

第1哨戒

1941年8月5日、U-206はノルウェーのトロンハイムを出港して初めての哨戒を開始した。U-206はアイスランドフェロー諸島の間の隙間を通過して南へ向かい、アイルランドの西を目指した。8月9日、U-206はアイスランドの南でオーシャン・ヴィクターを撃沈した。

8月26日、U-206は(規定に反して[2])イギリス空軍第612飛行隊の対潜哨戒中>にエンジンが故障したアームストロング・ホイットワース・ホイットレイMk.Vの乗組員6名を2隻のゴム製救命ボートから救助した。彼らはサン・ナゼールへ移送され、その後捕虜収容所へ移った。救助の後すぐに彼らは潜水艦とサン・ナゼールの機密情報をイギリスへ持ち込むことができた。U-206はイギリス人戦争捕虜をフランスに移送した初の潜水艦である[2]

9月10日、U-206は占領中のフランスにあるサン・ナゼールに到着した。

第2哨戒

U-206は2回目の急襲で1941年10月14日にジブラルタルの西55海里(102km、63マイル)でフルール・ド・リス英語版を、19日にの付近でバロン・ケルビンを撃沈した。

第3哨戒と喪失

1941年11月19日からU-206は行方不明と記録されている。U-206はイギリス空軍が敷設したサン・ナゼールの西の機雷原(コードネーム・ビーチ)の犠牲になったと信じられていた。男性46名が死亡し、生存者はいなかった。1942年3月に彼らの死亡宣言が出された。

ウルフパック

U-206は4つのウルフパックに参加した。

  • グリーンランド (1941年8月10日〜23日)
  • クルフュルスト (1941年8月23日~9月2日)
  • ゼーヴォルフ (1941年9月2日~9月7日)
  • ブレスラウ (1941年10月2日~10月23日)

戦果一覧

日付 船名 国籍 総トン数[Note 1] 結果[3]
1941年8月9日 オーシャン・ヴィクター  イギリス 202 沈没
1941年10月14日 フルール・ド・リス  イギリス海軍 925 沈没
1941年10月19日 バロン・ケルビン  イギリス 3,081 沈没

沈没位置

2018年以降、沈没した潜水艦を特定するための調査が続いており、U-206である可能性がある沈没船が20隻ほど確認され、2020年に潜水が計画されている。

脚注

注釈

  1. ^ 商船は総登録トン、軍艦は排水量で記載.

出典

  1. ^ Helgason, Guðmundur. “War Patrols of German U-boat U-206”. German U-boats of WWII - uboat.net. 2014年12月9日閲覧。
  2. ^ a b Louda, Jiří (2018年5月). “Jen objevit ponorku? Nikoliv! Pátráme po příbězích ve třech státech, říká Rous”. Jablonecký Deník. https://jablonecky.denik.cz/zpravy_region/jen-objevit-ponorku-nikoliv-patrame-po-pribezich-ve-trech-statech-rika-rous-20180501.html 
  3. ^ Helgason, Guðmundur. “Ships hit by U-206”. German U-boats of WWII - uboat.net. 2014年12月9日閲覧。

参考文献

  • Busch, Rainer; Röll, Hans-Joachim (1999). German U-boat commanders of World War II : a biographical dictionary. London, Annapolis, Md: Greenhill Books, Naval Institute Press. ISBN 1-55750-186-6 
  • Busch, Rainer; Röll, Hans-Joachim (1999) (ドイツ語). Deutsche U-Boot-Verluste von September 1939 bis Mai 1945 [German U-boat losses from September 1939 to May 1945]. Der U-Boot-Krieg. IV. Hamburg, Berlin, Bonn: Mittler. ISBN 3-8132-0514-2 
  • Gröner, Erich; Jung, Dieter; Maass, Martin (1991). U-boats and Mine Warfare Vessels. German Warships 1815–1945. 2. London: Conway Maritime Press. ISBN 0-85177-593-4 

外部リンク

  • Helgason, Guðmundur. “The Type VIIC boat U-206”. German U-boats of WWII - uboat.net. 2014年12月9日閲覧。
  • Hofmann, Markus. “U 206” (ドイツ語). Deutsche U-Boote 1935-1945 - u-boot-archiv.de. 2014年12月9日閲覧。

座標: 北緯47度05分 西経2度40分 / 北緯47.083度 西経2.667度 / 47.083; -2.667




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