SLFPへの復党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 10:25 UTC 版)
「アヌラ・バンダラナイケ」の記事における「SLFPへの復党」の解説
2001年に実施された総選挙の際、アヌラはSLFPに復党した。彼自身は再選を果たしたが、SLFPは再び大敗を喫した。しかし2004年の総選挙では人民解放戦線(JVP)と協力して統一人民自由同盟(UPFA)を結成したSLFPが再び勝利した。アヌラ自身もガンパハ選挙区で再選し、観光・産業・投資大臣に就任した。2005年8月、当時外相を務めていたラクシュマン・カディルガマール(英語版)が暗殺された事件を受け、後任にアヌラが就任することとなった。その際彼は産業・投資大臣を辞任したが、観光大臣は兼任し続けた。2005年に実施された大統領選挙において、SLFPはマヒンダ・ラージャパクサを公認候補として選出した。彼の勝利に伴い、アヌラ・バンダラナイケが首相に就任すると目されていたが、ラージャパクサはラトナシリ・ウィクラマナカを首相に指名した。この背景には、アヌラが大統領選において協力的でなかったと捉えられたことがあるとされている。また同時にSLFP党内でラージャパクサ派が次第に主導権を握るようになり、アヌラは周辺に追いやられるようになった。その結果、新政権では観光大臣の座しか与えられなかった。さらに彼はこの大統領選前にガンを患っていた。
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