S.E.5a
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/26 08:40 UTC 版)
原型のS.E.5は77機が生産されただけで、改良型のS.E.5aに移行した。S.E.5aのS.E.5後期型との相違は装備したエンジンのタイプだけである。エンジンは従来の150馬力のものから変速ギア付き200馬力イスパノ・スイザ8bとなり、しばしば大きな時計回りの4枚ブレードプロペラを使用した。S.E.5は6つのメーカーで合計5,265機生産されたが、その内訳は、オースティン・モーターズ1,650機、エア・ナビゲーション・アンド・エンジニアリング社560機、カーティス社1機、マーティンサイド258機、ロイヤル・エアクラフト・ファクトリー200機、ヴィッカース2,164機、ウォルズリー・モーター社431機であった。このうち数機が複座練習機に改造された。カーティス社がアメリカで1,000機を生産する計画もあったが、大戦終結のためにわずか1機にとどまった。当初、フランス製イスパノ・スイザエンジンの供給が非常に限られており、機体の生産に追いつかなかったため、新型戦闘機を受領することになっていた飛行隊は、1918年前半までエアコー D.H.5やニューポール 24を使い続けなければならなかった。 200馬力(149kW)のウォルズリー・ヴァイパー(ウォルズリー・モーター社によってライセンス生産されたイスパノ・スイザの高圧縮比型)の採用によってS.E.5aのエンジン問題は解決され、以後、このエンジンが標準装備となった。 オースティン社製S.E.5aのうちおよそ38機は、大戦終結の直前、アメリカ海外派遣軍の第25飛行隊の装備機となった。そのほとんどの武装は胴体搭載のヴィッカース機銃のみであった。
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