ROH参戦、対ヘビー級路線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 14:49 UTC 版)
「KENTA (プロレスラー)」の記事における「ROH参戦、対ヘビー級路線」の解説
GHCジュニアヘビー級王座からは陥落したものの、かつてタッグを組んでいた丸藤が2006年9月に秋山を破りジュニアでありながらGHCヘビー級王座を戴冠。同年1月にGHCジュニアヘビー級王座の防衛戦で丸藤に勝利していた経緯から初防衛戦の相手として指名され、初のジュニアヘビー級同士によるGHCヘビー級選手権試合が行われた。1月の試合を超え、プロレス大賞にて2006年のベストバウトに選ばれる程の死闘を繰り広げたものの敗北する。 また2005年末よりアメリカのプロレス団体ROHに定期的に遠征するようになり、当時ROH世界王者だったブライアン・ダニエルソンとライバル関係になる。現地にてROH世界王座に挑戦して敗北することもあったが、2006年12月にノアマット初上陸を果たしたダニエルソンとリマッチを行い初勝利を収めた。 2006年から断続的に続いていた対ヘビー級路線は2007年に入り、森嶋猛とのシングルという形に結実した。2006年12月にSEMで引き分けたことに続き、2007年3月には日本武道館のメインイベントでROH世界王座戦(2007年1月に森嶋がROH世界王者になっていた。)という形で森嶋に挑むも敗北。その後、下記に示す石森太二とのタッグ結成により再びジュニアヘビー級戦線に戻るかと思われたが、対ヘビー級の能力も高く評価されており、アメリカで三沢を相手にGHCヘビー級選手権試合を行ったりする等、時々ヘビー級戦線に参戦している。
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