R-7とR-11
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 02:02 UTC 版)
大戦終結後、ナチス・ドイツの技術は戦勝国によって持ち出され、これを元にそれぞれの国で独自の研究が始まった。アメリカやイギリスが鹵獲(ろかく)した完成品の打ち上げテストで満足している中、ソ連だけは熱心に研究を進めていた。ソ連はドイツに残っていた資材を用いて自国でV2/A4を生産した他、改良版であるR-1(SS-1A)、拡大版であるR-2(SS-2)、ソ連の独自技術を加えたR-5(SS-3)がコロリョフ設計局を中心に次々と開発された。この後、コロリョフ設計局はより大型化した大陸間弾道ミサイル(ICBM)であるR-7(SS-6)、R-9(SS-8)を開発し、ソ連領内から北米を射程圏内に収めるようになる。これらのミサイルはまだ信頼性が低く、また、少数が配備されたに過ぎないが、大陸間弾道弾の出現は当時まだ大型ミサイルが無かったアメリカをパニック状態に陥れた。こののち開発されたR-16(SS-7)が1962年に大量配備され、ようやくソ連の核攻撃能力が実効性のあるものとなった。 V2/A4の設計を元に、常温保存が可能な液体燃料を使用する別のエンジンを備えたミサイルがR-11(SS-1B)であり、スカッド(Scud-A)のNATOコードネームが与えられた。R-11はさらにエンジンが改良されたR-17(SS-1C Scud-B)となる。R-17はソ連の軍事援助によって各地に輸出され、その後の多くの紛争で使用された他、リバースエンジニアリングによって誕生した多くの派生ミサイルの先祖となった。
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