パブロ・オズーナとは? わかりやすく解説

パブロ・オズーナ

(Pablo Ozuna から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/05 14:34 UTC 版)

パブロ・オズーナ
Pablo Ozuna
シカゴ・ホワイトソックス時代
(2008年6月7日)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国
出身地 サントドミンゴ
生年月日 (1974-08-25) 1974年8月25日(48歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション ユーティリティプレーヤー(主に外野手三塁手二塁手
プロ入り 1996年 アマチュア・フリーエージェントとしてセントルイス・カージナルスと契約
初出場 2000年4月23日
最終出場 2008年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

パブロ・ホセ・オズーナ(Pablo Jose Ozuna、1974年8月25日 - )は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身の元プロ野球選手ユーティリティプレーヤー)。右投右打。

ポジションは主に外野手で、他に二塁手遊撃手三塁手一塁手でのプレー経験がある。

同じくメジャーリーガーのマーセル・オズナはいとこ[1]

経歴

プロ入りとカージナルス傘下時代

1996年4月にセントルイス・カージナルスと契約[2]

1998年、傘下A級ピオリア・チーフスで133試合に出場して、打率.357、出塁率.400、OPS.894、62盗塁の好成績を収め、ベースボール・アメリカ誌のマイナー代表チームとミッドウェストリーグのトップ・プロスペクトに選出され、リーグMVPにも輝くなど、メジャー昇格への足がかりを掴む。

マーリンズ時代

1998年12月14日にエドガー・レンテリアとのトレードで、アーマンド・アルマンザ英語版ブレイデン・ルーパーの両投手と共にフロリダ・マーリンズへ移籍。

1999年は傘下AA級ポートランド・シードッグスで117試合に出場し、打率.281、7本塁打、46打点、31盗塁を記録[2]

2000年4月23日のフィラデルフィア・フィリーズ戦でメジャーデビュー。この年はわずか14試合の出場ながら打率.333をマーク。またAA級ポートランドでは打率.308、35盗塁を記録した[2]

2001年は手首の怪我のため全休した[3]

2002年は34試合に出場し、打率.277、0本塁打、3打点、1盗塁を記録した。

ロッキーズ時代

2002年11月16日にマイク・ハンプトンフアン・ピエールとのトレードで、プレストン・ウィルソンチャールズ・ジョンソンヴィック・ダレンスバーグ英語版と共にフロリダ・マーリンズへ移籍[3]

2003年は膝の怪我のためわずか17試合の出場、打率.200に終わった。12月14日に自由契約となった[2]

フィリーズ傘下時代

2004年1月9日にデトロイト・タイガースと契約したが、3月27日に金銭トレードでフィラデルフィア・フィリーズに移籍。この年は傘下AAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レッドバロンズで126試合に出場し、打率.307、6本塁打、76打点、31盗塁を記録したが、メジャーへの昇格機会は無かった[2]。オフの10月15日にFAとなった[2]

ホワイトソックス時代

2005年1月19日にシカゴ・ホワイトソックスと契約。移籍後は複数のポジションをこなすユーティリティープレーヤー代走・右の代打として、チームの世界一に貢献。当時、腰に故障を抱えていたジョー・クリーディやメジャー1年目だった井口資仁らの休養日の代役として、ウィリー・ハリスティモ・ペレスらと共に大きな役目を担った。この年は主に控えとして70試合に出場し、打率.276、0本塁打、11打点、自己最多の14盗塁をマーク。

2006年アレックス・シントロンロブ・マコーヴィアクらと共にユーティリティーとしてプレーし、自己最多の79試合に出場し、打率.328・メジャー初本塁打を含む2本塁打をマークした。また、8月24日のデトロイト・タイガース戦では左翼の守備で、ショーン・ケーシーを一塁でアウトにしてレフトゴロを記録した。

2008年は32試合に出場していたが、7月8日にDFAとなり、7月16日に自由契約となった[2]

ドジャース時代

2008年7月20日にロサンゼルス・ドジャースと契約した。移籍後は32試合に出場。オフの11月12日にFAとなった。

フィリーズ傘下時代

2009年1月15日にフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。開幕後は傘下AAA級リーハイバレー・アイアンピッグスに配属された。6月11日、禁止薬物に陽性反応を示したため、50試合の出場停止処分が下った。8月20日に自由契約となった[4]

独立リーグ時代

2010年独立リーグアトランティックリーグニューアーク・ベアーズと契約。28試合に出場して打率.294、1本塁打、13打点、3盗塁という成績だった。この年限りで退団した[2]

その後は、2012年-2013年シーズンまで母国ドミニカのウィンターリーグでプレーして現役を引退した。

プレースタイル

1999年当時は、「選球眼が甘く四球を選べないものの、コンタクトに優れ、スピードとクイックネス(初動の速さ)を兼ね備えた優れた走者で遊撃守備も上手い」と評され、「(前年オフに)マーリンズがレンテリアを放出してまでトレードに応じたのは、オズーナを欲したからだ」と言われたほど将来を嘱望されていた[5]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2000 FLA 14 26 24 2 8 1 0 0 9 0 1 0 2 0 0 0 0 2 0 .333 .333 .375 .708
2002 34 50 47 4 13 2 2 0 19 3 1 1 0 1 1 0 1 3 2 .277 .300 .404 .704
2003 COL 17 45 40 5 8 1 0 0 9 2 3 0 1 0 2 0 2 6 1 .200 .273 .225 .498
2005 CWS 70 217 203 27 56 7 2 0 67 11 14 7 3 0 7 0 4 26 5 .276 .313 .330 .643
2006 79 203 189 25 62 12 2 2 84 17 6 6 3 0 7 0 4 16 3 .328 .365 .444 .809
2007 27 85 78 9 19 3 0 0 22 3 3 0 3 0 3 0 1 9 1 .244 .280 .282 .563
2008 32 69 64 5 18 3 0 0 21 6 0 2 2 0 2 0 1 3 2 .281 .313 .328 .642
LAD 36 33 32 6 7 0 1 1 12 3 1 1 0 0 1 0 0 5 1 .219 .242 .375 .617
'08計 68 102 96 11 25 3 1 1 33 9 1 3 2 0 3 0 1 8 3 .260 .290 .344 .634
MLB:7年 309 728 677 83 191 29 7 3 243 45 29 17 14 1 23 0 13 70 15 .282 .318 .359 .677

年度別守備成績



一塁(1B) 二塁(2B) 三塁(3B) 遊撃(SS) 中堅(CF) 左翼(LF) 右翼(RF)
















































2000 FLA - 7 12 17 1 3 .967 - - - - -
2002 - 10 13 16 1 3 .967 - - 1 0 0 0 0 ---- - -
2003 COL - 8 22 31 1 9 .981 - 3 3 6 1 0 .900 5 1 0 0 0 1.000 - -
2005 CWS 2 2 1 0 0 1.000 6 6 6 1 0 .923 32 29 67 6 4 .941 15 19 35 2 12 .964 - 9 10 0 0 0 1.000 1 0 0 0 0 ----
2006 - 6 5 12 1 1 .944 17 5 11 0 0 1.000 - - 38 45 3 0 0 1.000 1 0 0 0 0 ----
2007 - 3 12 10 0 3 1.000 9 5 9 3 0 .824 1 0 0 0 0 ---- - 7 13 0 1 0 .929 -
2008 - 10 10 11 1 0 .955 16 8 29 4 4 .902 - - - -
LAD - 27 17 32 0 4 1.000 1 0 0 0 0 ---- 4 0 4 0 0 1.000 - 2 0 0 0 0 ---- -
'08計 - 37 27 43 1 4 .986 17 8 29 4 4 .902 4 0 4 0 0 1.000 - 2 0 0 0 0 ---- -
MLB 2 2 1 0 0 1.000 77 97 135 6 23 .975 75 47 116 13 8 .926 23 22 45 3 12 .957 6 1 0 0 0 1.000 56 68 3 1 0 .986 2 0 0 0 0 ----

背番号

  • 3 (2000年、2002年)
  • 1 (2003年)
  • 38 (2005年 - 2008年途中)
  • 14 (2008年途中 - 同年終了)

脚注

  1. ^ Ismael Hernández (2020年1月10日). “Primo de Marcell Ozuna contó cómo de niño ayudaba en casa vendiendo pescado antes de dar salto a MLB”. Al Bat. 2022年2月26日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h Pablo Ozuna Stats & Scouting Report”. Baseball America. 2022年2月26日閲覧。
  3. ^ a b Remember That Guy: White Sox utility man Pablo Ozuna”. NBC Sports Chicago (2020年3月18日). 2022年2月26日閲覧。
  4. ^ MLB公式プロフィール参照。2022年2月26日閲覧。
  5. ^ 谷口輝世子 「Future Impact ― 未来を約束された7人のルーキー」 『月刊スラッガー No.13 , 1999年5月号』日本スポーツ企画出版社、51-55頁頁。 

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類

ロサンゼルス・ドジャース及びブルックリン・ドジャースの選手 ゲーリー・ラス  トッド・ホランズワース  パブロ・オズーナ  マット・ケンプ  ケビン・バーン
シカゴ・ホワイトソックスの選手 マイク・キャメロン  アンドリュー・シスコ  パブロ・オズーナ  ケビン・バーン  トニー・バナザード
フィラデルフィア・フィリーズの選手 ポール・バード  バート・アダムズ  パブロ・オズーナ  スコット・ローレン  スコット・エアー
ドミニカ共和国の野球選手 アルフレド・グリフィン  ラファエル・サンタナ  パブロ・オズーナ  ウィルフィレーセル・ゲレロ  エステバン・ハーマン
フロリダ・マーリンズの選手 チャーリー・ハフ  トッド・ホランズワース  パブロ・オズーナ  ランディ・メッセンジャー  リック・ヘリング
コロラド・ロッキーズの選手 ロドリゴ・ロペス  トッド・ホランズワース  パブロ・オズーナ  アルフレッド・アメザガ  デクスター・ファウラー

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