NgLj-2 発掘(1992年)
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「フランクリン遠征」の記事における「NgLj-2 発掘(1992年)」の解説
1992年、考古学者と法医人類学者のチームが、キングウィリアム島西岸のある地点を同定し、「NgLj-2」と呼ぶことにした。この場所はレオポルド・マクリントックの言う「ボートを見つけた場所」に関する具体的記述と合っていた。そこを発掘してみると、400近い骨とその欠片、さらに粘土のパイプからボタンや真鍮の部品にいたるまでの人工物が出てきた。遠征隊の法医学者アン・キーンレイサイドがこれらの骨を検査し、鉛の含有量が高いことと、「肉を削ぎ落したとみられる」多くの解体痕があることが分かった。この調査行によって、フランクリン隊の少なくともある集団が最終段階で人肉食を行っていたことが一般に受け入れられるようになった。2015年6月18日、Journal of Osteoarchaeology誌に掲載された論文は、肉を削ぎ落とされたこれらの骨に加え、35本の「骨に破損と"ポット・ポリッシング"――すなわち、沸騰した湯で熱せられた骨の端部が料理鍋にこすれてできる跡があり」、これは「人肉食の最終段階の、飢えた人々が最後の一滴までカロリーと栄養分をしぼりつくすために骨髄を抽出しようとするとき、一般的に見られる」ものである、と結論している。
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