NPOでの活動
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大学卒業後、NPOの支援母体である医真会 八尾総合病院(大阪府八尾市)からNPO国際医療協力機構(現:NPOチャイルドドクター・ジャパン)に出向する。「人の役に立つこと」を目標にアフリカへやってきたが、問題山積みで成果のあがらない毎日に疲れ、渡航から数年後に帰国を決意する。その折、最後にと訪れた支援地域のスラム(貧困地域)で、かけ寄ってくる子ども達にいやされ、それまで支援の対象と思っていた子どもたちから逆に自分が力づけられていることに気づく。 アフリカの子ども達だけでなく、自分と同じように先進国の人々も元気づけられる仕組みができないかと考え、支援される子ども1人と支援者1人を1対1でむすぶ医療支援システムを作る。里親制度の支援の一環である途上国の子ども達との交流事業では、以前は1年に1度しか届けられなかった子どもたちへの各支援者からの手紙を、1300人の翻訳ボランティアの協力により数日で届けられるようにするなど、支援者と支援されている子どもとの交流頻度を高め、支援者の支援継続につながった。ひとつの支援で、アフリカの子供も先進国にいる支援者も同時に元気になる、そうした支援が出来るようになったことが一番うれしかったとメディア等で発言している。
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