マキ (F1)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/17 09:31 UTC 版)
マキ(Maki )は、かつて存在した日本のF1コンストラクター。1960年代のホンダF1に続き2番目にF1参戦した日本のコンストラクターであり、自動車メーカーの後ろ盾のない日本の純粋なプライベートチームが海外のF1レースに参戦したのは、2019年現在、マキのみ[2]。
- ^ a b F1では参戦(エントリー)しても予選を通過して決勝に出場しなければ出走扱いされない。マキは記録上F1デビューしていないことになるが、参考のため記載する。同様のケースとしてカウーゼン(1978年)、ライフ(1990年)がある。
- ^ 日本のプライベートF1コンストラクターとしてはコジマエンジニアリングも存在したが、コジマが参戦したのは日本で開催されたF1だけで、海外のF1レースには出場していない。
- ^ 1975年のオランダGPでは予選を通過したがエンジン破損のため決勝に出場できなかった。
- ^ 世界選手権シリーズに含まれないF1レース。
- ^ 『CAR MAGAZINE』2002年9月号、『ノスタルジックヒーロー』2010年10月号
- ^ 『ノスタルジックヒーロー』2010年10月号には、三村建治の言葉として「エムズブレイン社長は牧元章さん」という記述がある。
- ^ マキ参加の直前にはシグマ・オートモーティブ(現サード)に在籍。その前には三村の兄が設立したエバカーズに在籍しており、三村と共同作業を行っていた経験もある。『CAR MAGAZINE』2003年9月号、『ノスタルジックヒーロー』2010年8月号〜10月号
- ^ 『CAR MAGAZINE』2003年1月号。
- ^ 大串信「日の丸F1走る!」『F1倶楽部 VOL.7-ニッポンのF1』 双葉社ムック、1994年、19頁。
- ^ 「オールドタイマー」2017年2月号
- ^ 『CAR MAGAZINE』2003年1月号、『ノスタルジックヒーロー』2010年10月号
- ^ 「マキ」という名のGPマシン「日の丸のF1」シンドローム オートスポーツ400号記念臨時増刊 ザ・タイムトンネル・サーキット 82-83頁 三栄書房 1984年9月30日発行
- ^ a b 「ノスタルジックヒーロー」2010年10月号
- ^ a b 『CAR MAGAZINE』2002年9月号。「ノスタルジックヒーロー」2010年10月号
- ^ a b c 「ノスタルジックヒーロー」2010年12月号
- ^ 『CAR MAGAZINE』2003年1月号、「ノスタルジックヒーロー」2010年10月号
- ^ 『F1全史 1971‐1975 名手スチュワートの退場 若手精鋭たちの新時代』 ニューズ出版、1993年
- ^ 小野昌朗は「F101Cと呼ばれているが、中味はF101Bのまんま」と述べている。「オールドタイマー」2017年2月号
- ^ ノンタイトル戦では1974年に高原敬武が参戦経験あり。
- ^ マキF1をイギリス・グッドウッドへ(過去記事) - ひろか~と(2010年2月27日)
- ^ drvehicle (2010年8月15日). “今年こそ!!”. 広島市交通科学館イベント 担当者日記!. 2010年10月22日閲覧。
- ^ “40年ぶりのマキ”. Motor Press (2014年11月17日). 2014年11月17日閲覧。
- ^ “蘇った日本製F1マキF101がモナコを走った日”. motorsport.com. (2016年6月8日) 2017年11月11日閲覧。
- ^ 鈴鹿サーキット [@suzuka_event] (2017年11月17日). "伝説の国産F1マシン Maki F101CのS字の走りをお楽しみください。" (短文投稿). Xの短文投稿(旧Twitter)より2017年11月17日閲覧。
- ^ 『Racing On』 467 [特集] マキとコジマ、三栄書房、2013年、23頁。
- 1 マキ (F1)とは
- 2 マキ (F1)の概要
- 3 F1における全成績
- 4 脚注
- 5 関連項目
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