MNLAとアンサール・アッ=ディーン間で暫定合意
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/05 07:25 UTC 版)
「マリ北部紛争 (2012年)」の記事における「MNLAとアンサール・アッ=ディーン間で暫定合意」の解説
二ヶ月クーデター後、暫定政権はマリ領土の回復・保全に懸命に取り組む。5月21日、トラオレ暫定大統領はバマコ市内にてデモ隊に襲われ負傷する。これにより検診のためパリに一時滞在する。 5月24日、アンサール・アッ=ディーンとAQIMはトンブクトゥにて会議を開く。そこにおいて指導者の一人アブデルマーレク・ドゥルークデル(fr:Abdelmalek Droukdel)は指揮下の戦闘員達に対して「徐々に」シャリーアを課しを「正常なるイスラム国家の創建」をするべきと解放メッセージで述べる。 2012年5月27日、アンサール・アッ=ディーンとMNLAは合併に関する「覚書」をAFPに送る。ここに示された内容によると「アンサール・アッ=ディーンとMNLAはアザワドのために自己の解散を宣言する。両運動はアザワド・イスラム国家暫定評議会を創設する」。
※この「MNLAとアンサール・アッ=ディーン間で暫定合意」の解説は、「マリ北部紛争 (2012年)」の解説の一部です。
「MNLAとアンサール・アッ=ディーン間で暫定合意」を含む「マリ北部紛争 (2012年)」の記事については、「マリ北部紛争 (2012年)」の概要を参照ください。
- MNLAとアンサール・アッ=ディーン間で暫定合意のページへのリンク