K-8-10爆発事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 00:48 UTC 版)
「秋田ロケット実験場」の記事における「K-8-10爆発事故」の解説
内之浦への新実験場の建設が決まった後も、東京から近い地の利を有し、梅雨の期間が短いために夏季の実験・観測に有利である秋田ロケット実験場では、高度300km未満に限定のうえ継続して飛翔実験を行う予定だった。しかし1962年(昭和37年)5月24日夜、K-8型10号機が打ち上げ直後に爆発、周囲を巻き込んで火災を発生させる事故が起こった(固体推進剤内にクラックが生じていたことによる異常燃焼が原因とされている)。死傷者は出なかったものの、事故を機に地元の協力が得られなくなり、安全対策にかかる費用の問題もあり、道川での発射実験は全て中止、実験場閉鎖へと追い込まれた。以後の東大によるロケット飛翔実験は内之浦へ全面的に移行することとなる。1955年(昭和30年)から1962年(昭和37年)にかけて秋田ロケット実験場から打ち上げられたロケットは、計88機であった。 なお、東大の道川からの撤退に際し、秋田県は何らかの代替施設を県内に設けることを東大に要望、これを受けて1962年(昭和37年)10月、能代市にロケットモーターの地上燃焼実験施設「能代ロケット実験場」が開設された。
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