フレッド・ニブロとは? わかりやすく解説

フレッド・ニブロ

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/18 14:03 UTC 版)

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Fred Niblo
フレッド・ニブロ
1926年(大正15年)
本名 Frederick Liedtke
生年月日 (1874-01-06) 1874年1月6日
没年月日 (1948-11-11) 1948年11月11日(74歳没)
出生地 アメリカ合衆国 ネブラスカ州ヨーク郡ヨーク
死没地 アメリカ合衆国 ルイジアナ州ニューオーリンズ
国籍 アメリカ合衆国
職業 映画監督脚本家映画プロデューサー俳優
ジャンル 映画、とくにサイレント映画
活動期間 1916年1932年
配偶者 ジョゼフィン・コーハン 離婚
エニッド・ベネット 死別
著名な家族
フレッド・ニブロ・ジュニア 長男
主な作品
奇傑ゾロ
血と砂
ベン・ハー
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フレッド・ニブロFred Niblo, 1874年1月6日 - 1948年11月11日)は、アメリカ合衆国映画監督脚本家映画プロデューサー俳優である[1]アカデミー賞を設立した36人の人物の一人である[1]。⇒ 映画芸術科学アカデミー#36名の創設会員

人物・来歴

1874年(明治7年)1月6日ネブラスカ州ヨーク郡ヨークに「フレデリック・ライトケ」として生まれる[1]

1927年(昭和2年)5月11日ルイス・B・メイヤーダグラス・フェアバンクスらとともに、映画芸術科学アカデミーを創立、アカデミー賞を創設して、1929年(昭和4年)5月16日には、第1回アカデミー賞を開始した。

1948年(昭和23年)11月11日ルイジアナ州ニューオーリンズで死去した[1]。満74歳没。最初の妻ジョゼフィン・コーハンとの間の長男フレッド・ニブロ・ジュニアは脚本家として成功した[1]ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに星を持ち、彼の監督作の『ベン・ハー』は、1997年(平成9年)にアメリカ国立フィルム登録簿に登録された。

同時代の日本映画には、多大な影響を与えており、寿々喜多呂九平は『奇傑ゾロ』を翻案して『快傑鷹』(1924年)の脚本を書き、二川文太郎が監督して主演の高木新平が「鳥人」と呼ばれ[2]1927年(昭和2年)に冬島泰三が翻案して脚本を書き、衣笠貞之助が監督した『鬼あざみ』は『紅百合』が原作で、ニブロの名がクレジットされている[3]。『ベン・ハー』に影響を受けた岩井憲次という青年は、1927年に映画俳優としてデビューするにあたり、主演のラモン・ノヴァロから名をもらい、羅門光三郎と名乗り剣戟俳優となった。

フィルモグラフィ

監督作
『六六六』、1916年
血と砂』、1922年。

関連事項

  1. ^ a b c d e #外部リンク欄、「Fred Niblo」リンク先、Internet Movie Database、2009年10月28日閲覧。
  2. ^ 無声映画人物録、「高木新平」の項、マツダ映画社、2009年10月28日閲覧。
  3. ^ 鬼あざみ日本映画データベース、2009年10月28日閲覧。

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