FISA・FOCA戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 02:10 UTC 版)
「F1世界選手権の歴史」の記事における「FISA・FOCA戦争」の解説
F1がテレビ放映権料収入により巨大ビジネス化するなかで、運営を巡る権力争いが起きた。現場監督者のF1製造者協会 (FOCA) 会長バーニー・エクレストンと組織統治者の国際自動車スポーツ連盟(FISA) 会長ジャン・マリー・バレストルの対立が表面化。コンストラクターもFOCA陣営(DFVエンジン勢)FISA陣営(ターボエンジン勢)とに分かれて一時は選手権分裂が危ぶまれた。両者は1981年のコンコルド協定で和解し、FISAが統轄面、FOCAが商業面を分担する体制を確立した。以後コンコルド協定は「F1界の法典」として機能するが、収入の分配や参戦資格などをめぐり様々な論争を起こしている。 FISA・FOCAの分裂騒動ではウイングカーの危険性が争点のひとつとなった。1982年にジル・ヴィルヌーヴをはじめ重大な死傷事故が相次いだことから1983年よりフラットボトム規定が施行され、ウイングカーは姿を消した。
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