F2/F3000
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 15:27 UTC 版)
またこの頃オイルの輸入業によって活動資金を得たことで、富士GCシリーズ参戦の機会を得た。そこでの走りがヤマハエンジンの名チューナーとして名を馳せた松浦賢、ムーンクラフトの由良拓也の目に留まり、1986年のF2最終戦からムーンクラフトのシートを獲得する。 1987年に入ると、新装となった全日本F3000選手権に参戦。大手運送会社のフットワークという大口スポンサーを掴んだことに加え、上述の松浦賢とのつながりからヤマハがコスワースDFVをベースに開発したコスワース・ヤマハOX77エンジン(5バルブ仕様)のワークスとなったことで強力な体制を得て、1987年にはシリーズ2位、翌1988年にはシリーズチャンピオンを獲得した。
※この「F2/F3000」の解説は、「鈴木亜久里」の解説の一部です。
「F2/F3000」を含む「鈴木亜久里」の記事については、「鈴木亜久里」の概要を参照ください。
- F2/F3000のページへのリンク