Camp Hauge
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「キャンプ・ヘーグ」の記事における「Camp Hauge」の解説
1953年8月に岐阜基地に配備された第9海兵連隊司令本部は、大阪の境基地 (Camp Sakai) を経て、1955年7月5日に沖縄の登川基地 (Camp Napunja) に移転する。翌年1956年1月には、キャンプ瑞慶覧に移転した。 キャンプ・ナプンジャは、海兵隊移駐後、しばらくしてキャンプ・ハーグと改名される。キャンプ・ハーグはペリリュー戦と沖縄戦で戦い名誉勲章をうけた海兵隊のルイス・ジェームス・ハーグ (Louis James Hauge Jr.) 伍長にちなんで海兵隊が命名したもので、Hauge という名前はハウジやヘーグではなくハーグと読むのが一般的である。そこから Hague (ヘイグ) という綴りと混合されることも多く、海兵隊の公式サイトですら Hague と記載しているものもある。 7月5日に第9海兵連隊が1953年7月5日にキャンプ・ナプンジャに基地を移転した。その同じ月、第3海兵師団指令本部も沖縄 (註・キャンプ・コートニー) に移された。こうした動きは、アメリカの地上部隊を撤退させる日本との合意にもとづいたものだった。 — Strobridge, Truman R, A brief history of the 9th Marines, Washington, D.C. : Historical Branch, G-3 Division, Headquarters, U.S. Marine Corps (1961), p. 16. 第9海兵連隊は、快適な大阪の境基地 (Sakai Camp) からまだ建設中の登川キャンプに移転したときの落胆をこのように記録している。 そうして、あの荒々しい第2紙世界大戦の島の戦いが終わってほぼ10年後、海兵隊は再び沖縄にやってきた。… 島を半分横断した後、我々はコザから北に5分ほどいったところのコンセットが立ち並ぶ列のただなかにいた。これが第9海兵連隊の本部となるナプンジャ基地であるということだった。物事は万事よく見えなかった。陸軍のうち捨てた仮兵舎に詰め込まれた。ほこりや土がそこら中にあった。 — Turner Publishing (ed.), Third Marine Division: Two Score and Thirteen Association History 1949-2002, (2002/10/1) p. 16.
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