CIDG計画の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/19 07:13 UTC 版)
「民間不正規戦グループ」の記事における「CIDG計画の終焉」の解説
ニクソン・ドクトリンに基づくベトナミゼーションを反映して、CIDG計画は1970年に終了し、その部隊は、順次にARVNレンジャーの部隊として転換されていった。しかし少数民族を主体としたCIDG隊員とキン族主体のARVNとの間の民族的な反目は大きく、ARVN隷下で活動することを肯んじない隊員も多かった。1964年ごろより、既にこれらの隊員を主体としたベトナムからの分離独立を目指す反政府武装組織として、カンボジアの影響下にフルロ(FULRO)が結成されており、CIDG計画終了後、さらに多くの隊員がフルロに流入した。 フルロの残党はサイゴン陥落後も、統一されたベトナム政府に対して武装闘争を継続していたが、次第に劣勢となり、カンボジア領のジャングルに拠点を移した。そしてカンボジア内戦の終結プロセスの一環として、1992年10月10日、国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)に武器を引き渡して投降し、武装闘争を終結させ、約400人が難民としてアメリカに渡った。
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